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無能と追放された公爵令嬢は、その実、国さえ救う伝説の魔女である ~ようやく手に入れた自由な暮らしを、今更返せと言われましても~  作者: 九葉


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第2話 辺境での解放

王都の喧騒が完全に途絶えてから、どれほどの時間が経っただろうか。


護衛という名の監視役の騎士たちに連れられ、揺られること十日。

わたくしが辿り着いたのは、地図の端に辛うじて記されているだけの「忘れられた谷」と呼ばれる場所だった。


「公爵令嬢、ここがあなたの新しい住処です」


騎士の一人が、侮蔑を隠そうともせずに言い放つ。

彼が示した先には、今にも崩れ落ちそうな粗末な小屋がぽつんと一軒。

周囲には、ごつごつとした岩と枯れ草が広がるばかりで、人の気配すらない。


(まあ、素晴らしい! 理想の引きこもりライフに最適な環境じゃない!)


心の中でガッツポーズをする。

貴族社会のしがらみも、息の詰まるお茶会も、意味のない夜会もない。

誰の目も気にすることなく、自堕落な生活を満喫できる楽園。


わたくしは努めて悲壮感漂う表情を作り、か弱く頷いてみせた。


「……ありがとうございます。ここまでお送りいただき、感謝いたします」

「ふん」


騎士は鼻を鳴らし、さっさと馬首を返していく。

すぐにその背中は小さくなり、やがて見えなくなった。


一人きり。

本当の、完全なる一人きり。


わたくしは大きく息を吸い込み、そして、天に向かって高らかに宣言した。


「自由だーっ!」


誰に聞かれる心配もない。

わたくしはスカートの裾を持ち上げ、意味もなくその場でくるくると回ってみる。

ああ、なんて清々しい気分。


さて、まずはこの楽園を快適な我が家へと作り変えなくては。


小屋の中は、埃っぽく、隙間風がひどい。

ベッドと呼ぶには憚られる藁の塊と、ぐらつくテーブルが一つ。

まずは掃除から、と言いたいところだけれど。


(その前に、ちょっとだけ魔法の力に頼るとしましょうか)


わたくしは小屋の扉を閉めると、そっと右手を目の前にかざした。


「――来たれ、清浄なる風」


指先から淡い翠色の光が溢れ出す。

それは瞬く間に部屋中に広がり、長年積もった埃や煤を絡め取りながら、壁の隙間から外へと抜けていく。

ほんの数秒で、小屋の中は見違えるように綺麗になった。


次に、小屋の周りの土地。

このままでは作物が育つとは思えない。


わたくしは外に出て、地面にそっと手のひらを触れさせた。

体の中を巡る、膨大な魔力。

普段は鉛のように重い枷で、そのほとんどを心の奥底に沈めている。

けれど今は、その枷をほんの少しだけ緩めて、魔力の一部を大地へと流し込む。


「――目覚めよ、母なる大地」


わたくしの足元から、柔らかな光の波紋が広がっていく。

ごつごつしていた岩は砂のように細かくなって土に還り、硬くひび割れていた地面は、まるで上質なビロードのようにふかふかになった。

枯れていた井戸からは、キラキラと輝く清らかな水がコンコンと湧き出し始める。


「ふぅ……。ちょっと動いただけで疲れてしまったわ。完全に運動不足ね」


自分のやっていることの異常さには一切触れず、わたくしはその場にぺたんと座り込んだ。

この程度の魔法は、わたくしにとっては深呼吸をするようなもの。


「魔力なし」のアナ・エルグランド。

それは、この絶大すぎる力を隠すための、わたくし自身が作り上げた偽りの姿。

この力は、あまりにも異質で、強大すぎる。

下手に知られれば、兵器として利用されるか、あるいは化け物として恐れられるのが関の山だ。

だから、ずっと隠してきた。息を潜めるように生きてきた。


でも、ここでは違う。

誰にも知られることなく、ほんの少しだけ、自分のためにこの力を使える。


その事実に、胸が温かくなるのを感じた。


***


新しい生活は、驚くほど快適だった。


魔法で改良した畑に種を蒔けば、数日でぷっくりと実った野菜が収穫できる。

森に入れば、動物たちがわたくしを恐れることなく側によってきて、美味しい木の実の場所を教えてくれる。

夜は、魔法で呼び出した小さな光の玉を灯りにして、王都では読むことを禁じられていた冒険小説を読みふける。


そんなある日、谷の麓にある小さな村の存在に気がついた。

追放されてきた犯罪者わたくしのことだを恐れているのか、村人たちは皆、わたくしを遠巻きに見ている。


(別に、無理に仲良くするつもりもないけれど……)


そう思っていた矢先のことだった。

村の子供が、わたくしの畑の前で転んで膝を擦りむいてしまった。

わっと泣き出した子供に、思わず駆け寄る。


「大丈夫?」

「う、うわーん! 魔女だー!」

「あら、失礼ね。見ての通り、ただの綺麗な(元)お嬢さんよ」


軽口を叩きながら、子供の膝に手をかざす。

ポケットに入れていた薬草を握りつぶし、そこに気づかれないようにほんの少しだけ治癒の魔力を込めて、傷口に塗ってあげた。


「はい、これでよし。もう痛くないわ」


子供はきょとんとした顔で自分の膝を見つめている。

さっきまで血が滲んでいた傷は、跡形もなく綺麗に消えていた。


「……ありがとう、おねえちゃん」


ぽつり、と呟かれた言葉。

わたくしは、その言葉に、なんだか胸の奥がむず痒くなるのを感じた。


それからだった。

村人たちの態度が、少しずつ変わっていったのは。


わたくしが作った、栄養満点の野菜をおすそ分けすれば、次の日には焼きたてのパンが小屋の前に置かれている。

村の井戸が枯れたと聞けば、夜中にこっそり出かけていって、魔法で水を満たしておく。

感謝されるためにやっているわけじゃない。

ただ、わたくしがそうしたいから、そうしているだけ。


それでも、「ありがとう」と向けられる屈託のない笑顔は、今まで経験したことのない温かさで、わたくしの心を少しずつ満たしていった。


そんな穏やかな日々が続いていたある日の午後。

わたくしは薬草を摘むために、いつもより少し深い森の中へと足を踏み入れていた。


その時だった。


ガサッ、と背後の茂みが大きく揺れる。

振り返ると同時に、涎を垂らした巨大な牙を持つ、三つ目の狼――グリムウルフが飛び出してきた。


(まずいわね、厄介なのに見つかった)


ここは村から近い。下手に大きな魔法は使えない。

けれど、このままでは――。


わたくしが指先に魔力を集中させようとした、その瞬間。


一陣の風が、わたくしの横を駆け抜けた。

銀色の閃光が走る。


「――っ!」


グシャッ、という鈍い音と共に、巨大なグリムウルフの体が崩れ落ちた。

その首には、一本の剣が深々と突き刺さっている。


呆然とするわたくしの前に、血振りをした剣を鞘に収めながら、一人の青年がゆっくりと振り返った。


「怪我は、ないか?」


夜の闇を溶かし込んだような黒髪。

星空を閉じ込めたような深い紫の瞳。


その顔には、見覚えがあった。


(あの夜会の……隅にいた人……!)


なぜ、こんな場所に?

彼は旅人のような簡素な服を着ているが、その立ち姿や洗練された剣技は、ただ者ではないことを物語っている。


「……助けていただき、ありがとうございます。あなた様は?」


警戒を滲ませながら尋ねると、彼はふっと口元を緩めた。

その笑みは、どこか全てを見透かしているようで、心臓が小さく跳ねる。


「俺はレオン。ただの旅人だ」

「レオン……様」

「様はいらない。レオンでいい」


彼はそう言うと、わたくしに向かって真っ直ぐに歩み寄ってきた。

そして、わたくしの瞳をじっと覗き込む。


「君は、アナ・エルグランド嬢、で間違いないな」

「……ええ、そうですけれど」

「やはり。探したぞ」


探した? わたくしを?

意味が分からず混乱していると、彼は思いもよらないことを口にした。


「君は、あの夜会で泣いていなかった」


その言葉に、息を呑む。


「追放を言い渡された時も、悲しんでいるようには見えなかった。むしろ……どこか清々しい顔をしているようにさえ、俺には見えた」


心臓が、ドクン、ドクンと大きく脈打つ。

この男は、見ていたのだ。

わたくしが演じていた悲劇のヒロインの仮面を突き破って、その奥にある本心まで。


「君は一体、何者なんだ?」


紫の瞳が、面白くてたまらない、とでも言うようにキラキラと輝いている。

それは、侮蔑でも憐憫でもない。

ただ純粋な好奇心と、興味に満ちた色。


“魔力なし”でもなく、“公爵令嬢”でもない。

ただの“アナ”という人間そのものに向けられた、初めての眼差しだった。


わたくしは、この謎めいた旅人、レオンから目が離せなくなっていた。

この出会いが、ようやく手に入れた穏やかな日常を、そしてわたくし自身の運命をも大きく変えることになるなど、まだ知る由もなかった。

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