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第四章

※本作は公開されている議論(YouTube動画等)を参考に、

 発言構造と社会心理を分析した思想的考察です。

 実在の人物への誹謗・中傷を目的としたものではありません

 知的怠惰の構造 ― 現実主義という名の麻酔


 ――考えなくても傷つかない社会のつくり方


「現実的に考えよう。」


 この言葉が日本をダメにしている。


 現実を見て行動することは本来、賢明な態度だ。


 だが今の日本では、「現実的」は思考停止の免罪符になっている。


 考えないことを“落ち着き”と呼び、


 挑戦しないことを“安定”と呼ぶ。


 そして


 変わらない現実を正当化するために使われるのが“現実主義”だ。


  現実主義はいつから「諦め主義」になったのか


 戦後の日本社会は、「努力すれば報われる」という構造の上に成り立っていた。


 だが、今は違う。努力しても報われない構造が明確になっている。


 なのに、多くの人はその矛盾を直視しない。


 代わりにこう言う。


「しょうがないよ、政治が腐ってるんだから」

「仕方ない、そういう国だし」


 まるで、腐った空気に慣れた魚のように。


 本来、現実主義とは「現実を変えるために正確に観測する力」のことだ。


 だが日本では、「現実に屈すること」が現実主義になってしまった。


  教育が作り出した“正解を信じる人間”


 なぜ日本人はここまで「思考より従順」を選ぶのか。


 原因は教育だ。


 学校で教えられたのは「考える方法」ではなく、「間違えない方法」。


 つまり、“答えを出す訓練”ではなく、“間違えない訓練”。


 その結果


 自分で考えるより、模範解答を探す


 論理を組み立てるより、安心できる意見を選ぶ


 正しさよりも、空気を読む


 こうして育った大人たちは、社会に出る頃には「正解依存症」になる。


 だから、難しいことを言う人(=権威)には弱く、わかりやすく言う人(=庶民的)を“浅い”と見なす。


 つまり、日本社会は知的ヒエラルキーの逆転構造を抱えている。


「複雑に語れる人」が偉く、「わかりやすく説明する人」が軽く見られる。


 その構造が、三橋を“勝者”に見せた最大の要因だ。


  政治構造が知的怠惰を利用してきた


 政治家にとって、考えない国民ほど都合がいい。


 考えない人は怒らないし、怒らない人は票を入れてくれる。


 だから政治家は、わざと「難しく」語る。


 “なんとなくすごそう”な言葉で煙に巻く。


「経済安全保障」「持続的成長」「構造的デフレ」


 聞いた瞬間、わかった気にさせるが、何も意味していない。


 その一方で、ひろゆきのように「できるでしょ?」と核心を突く人間は嫌われる。


 なぜなら、「言い訳の快楽」を奪ってしまうからだ。


 人は、自分の無力を合理化できる環境を愛する。


  “知的怠惰”は善意の皮をかぶっている


 興味深いのは、多くの人が「考えないこと」を“優しさ”と勘違いしていることだ。


「相手を傷つけないように言葉を選ぶ」


 美徳のように聞こえる。


 だが、これは「問題を直視しない」口実にもなる。


「現実的に無理だから」と言えば、どんな提案も潰せる。


「それは理想論だ」と言えば、どんな希望も嘲笑できる。


 そうして、思考が感情に負ける文化が定着した。


 これが“知的怠惰の社会的完成形”だ。


  現実を変えるには「痛みを許容する思考」が必要


 ひろゆきの議論は、ドライに聞こえた。


 でも彼の言葉には、“現実を動かす覚悟”があった。


「できるならやればいい」――この言葉は


 同時に「やらないなら怠慢」という意味を含む。


 つまり彼は、責任の所在を曖昧にしなかった。


 それが嫌われる理由でもあり、尊敬される理由でもある。


 本来、改革とは“痛みを伴う選択”だ。


 だが日本では、「痛みを感じさせる発言」を“冷酷”と呼び、


「痛みを隠す発言」を“優しい”と呼ぶ。


 この逆転こそが、現実妥協の正体だ。


  “安定志向”が崩壊を加速させる


「安定したい」という欲求は誰にでもある。


 しかし、今の日本社会ではそれが現状維持という名の停滞に変わっている。


 構造的に見れば、変化を拒むことは緩慢な破滅と同義だ。


 ひろゆきのように構造を正そうとする人間が、「冷たい」「理屈っぽい」と叩かれるのは、今の社会が変化を恐れているからだ。


  結論:「現実的に」という言葉を疑え


「現実的に無理」「政治が動かない」「国民性だから」


 これらの言葉は、思考を止めるための呪文だ。


 本当の現実主義者は、現実を観測し、修正しようとする人間のこと。


 今の日本に多いのは、現実に逃げ込んで思考を止める人間だ。


 ひろゆきの冷たい現実論は、その思考停止の鎖を断ち切るための“構造的警鐘”だった。


「考えることをやめた瞬間、現実は誰かの都合で書き換えられる」


 それが、今の日本の“静かな崩壊”だ。


※本作は公開されている議論(YouTube動画等)を参考に、

 発言構造と社会心理を分析した思想的考察です。

 実在の人物への誹謗・中傷を目的としたものではありません

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