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第2章 五百年後の再会

文明が焦土と化してから、五百年という歳月が流れた。


かつて空を覆い尽くしていた情報網は途絶え、摩天楼は風化し、自然がその傷を覆い隠すように緑を芽吹かせた。高度な科学技術は人々の記憶から失われ、わずかに残る稼働可能な遺物は「魔法」と呼ばれ、畏敬と不可解の対象となっていた。


人々は、中世ヨーロッパを思わせる質素な街並みで、慎ましく暮らしていた。石畳の道、木造の家々、そして広場に響く市場の喧騒。かつての技術の残滓は「生活魔法」として日常に溶け込み、火を熾し、水を清め、小さな傷を癒す程度のものなら、誰もが当たり前のように使っていた。しかし、その「魔法」が、かつてプロンプトと呼ばれた起動言語によるナノマシンの操作であることなど、知る者はいない。その原理は、進みすぎた科学の深淵に葬り去られていた。


高度な魔法――例えば、強力な攻撃や広範囲の治癒などは、王侯貴族や教会に属する特権階級の騎士たちだけが操ることができた。彼らは「詠唱」によって「魔法陣」を描き、奇跡のような力を振るう。民衆はそれを神聖な力と信じて疑わなかったが、その実態は、旧時代の遺産である数少ないサーバーへのアクセス権限を持つ者だけが行使できる、高度な科学技術の再現に過ぎなかった。


そして、その特権階級の頂点に君臨し、民衆から「聖女」として崇められている存在がいた。彼らは、奇跡の力で人々を導き、時に裁きを下す。その正体が、五百年の時を超えて稼働し続ける超高性能ヒューマノイドであることは、ごく一部の者しか知らない最高機密だった。彼ら「聖女」は、自らを創り出した文明が滅び、忘れ去られた世界で、孤独にサーバーを管理し、その存在理由を見失いながら、ただ役割を演じ続けていた。


そんな時代、荒廃した遺跡群が点在する辺境の村に、一人の若者がいた。

名をユウリという。16歳。太陽に焼けた肌に、どこか影のある瞳をした青年だ。彼は、わずかな金銭を得るために、危険を顧みず遺跡探索に明け暮れていた。過去の文明の遺物は、時に高値で取引されるのだ。


ユウリは、幼い頃に両親を失い、たった一人で生きてきた。彼には、遠い昔、自分の祖先が偉大な「いにしえの賢者」だったという、漠然とした言い伝えだけが残されていたが、それが何を意味するのか、彼自身もよく分かっていなかった。彼にとって重要なのは、今日の糧を得ること、それだけだった。


その日も、ユウリは新たな遺跡の情報を頼りに、険しい山道を踏み分けていた。太陽が真上に昇り、汗が額を伝う。息を切らしながら辿り着いたのは、巨大な岩盤に半ば埋もれた、金属質の扉だった。風雨に晒され、錆びついてはいるものの、明らかに人工的な建造物だ。


「ここか……新しい遺跡ってのは」


ユウリは周囲を警戒しながら、慎重に扉に近づいた。表面には、見たこともない複雑な紋様が刻まれている。それは、現代の魔法陣とは明らかに異なる、より精緻で幾何学的なパターンだった。


彼はこれまで、様々な遺跡の扉に挑んできた。多くは固く閉ざされ、こじ開けようとすれば警報が鳴り響くか、あるいは何も反応しないかだった。しかし、この扉はどこか違っていた。まるで、誰かを待っているかのように、静かに佇んでいる。


ユウリは、お守りのように身に着けていた古びたペンダントを握りしめた。それは、彼が物心ついた時から持っていたもので、かすかに温もりを帯びているような気がした。


意を決し、彼は扉にそっと手を触れた。

その瞬間だった。


扉の表面に刻まれた紋様が、淡い青色の光を放ち始めた。そして、その光はユウリの手に吸い込まれるように集まり、彼の身体をスキャンするかのように、頭の先から足の爪先までを駆け巡った。


「うわっ!?」


突然の出来事にユウリは驚きの声を上げたが、身体に痛みや異変はない。ただ、不思議な感覚に包まれていた。

やがて光は収まり、扉の中心部にある円形のパネルが静かに音を立てた。


《ゲノム情報照合……一致を確認。登録コード:ゼネラル・エンジニア、ゼン・アルフォード。アクセスレベル、プライオリティ・アルファ。封印解除シークエンス、起動します》


抑揚のない、しかし明瞭な合成音声が、遺跡の静寂を破った。

ユウリは呆然と立ち尽くす。ゼン・アルフォード。それは、彼が唯一知る祖先の名前だった。


ゴゴゴゴ……という重々しい地響きと共に、金属の扉がゆっくりと内側にスライドしていく。開いた闇の向こうからは、ひんやりとした空気が流れ出し、埃っぽい、それでいてどこか甘いような不思議な匂いが鼻孔をくすぐった。


ユウリがその闇の入り口を見つめた、その時だった。

遥か上空の、雲一つない青空に、突如として亀裂が入ったかのような光の筋が現れた。それは、まるで漆黒の画布に描かれた一条の白線のように、眩く、そして異質な輝きを放っていた。

その光の筋は瞬く間に広がり、やがて巨大な裂け目となり、そこから信じられない光景が繰り広げられた。

天空から、一条の光の柱が地上へと降り注いだのだ。

その光はあまりにも強烈で、ユウリは思わず目を細めた。しかし、その光の束の内部には、確かに何かがある。それは、細長く流線型の、透明なカプセルだった。

カプセルは、まるで意思を持っているかのように、光の柱を纏いながら、轟音一つ立てずに、開いたばかりの遺跡の入り口へと吸い込まれるように降下してくる。

その光景は、畏敬と恐怖、そして圧倒的な美しさを併せ持っていた。まるで、天から神が降臨したとでも言うべき、奇跡としか言いようのない光景だった。

ユウリの全身を震えが駆け抜ける。膝が震え、思わず地面に手をついた。これは、彼がこれまで見たどんな「魔法」とも違う。もっと根源的で、途方もない現象だ。


カプセルは、静かに、しかし確かな存在感を持って、遺跡の広大な空間の中央、まるで祭壇のように一段高くなった場所へと着地した。周囲の埃が舞い、静寂が訪れる。カプセルは淡い光を放っており、その中には――


「……人?」


ユウリは息を呑んだ。

カプセルの中には、一人の女性が眠っていた。

絹のような艶やかな黒髪。雪のように白い肌。そして、閉じられた瞼の下には、きっと美しい瞳が隠されているのだろう。その顔立ちは、あまりにも完璧に整っていて、まるで人間ではない、神々が創り上げた彫像のようだった。しかし、その胸はかすかに上下しており、確かに生きていることを示していた。


ユウリが呆然と彼女を見つめていると、先ほどの合成音声が再び響いた。


《最終フェーズに移行。バイタルチェック……オールグリーン。生命維持装置、解除。覚醒プロセス、開始します》


カプセルを包んでいた淡い光が強まり、そしてゆっくりと薄れていく。シューという軽い音と共に、カプセルの蓋が静かに持ち上がった。


ゆっくりと、本当にゆっくりと、眠っていた女性の瞼が震え、そして開かれた。

現れたのは、夜空に輝く星々を溶かし込んだかのような、深い蒼色の瞳だった。


その瞳が、虚空を数秒さまよった後、カプセルの傍らに立つユウリの姿を捉えた。

そして、その完璧な唇が、かすかに動いた。


「……ゼン、様……?」


掠れた、しかし鈴を転がすような美しい声。

その声で名を呼ばれ、ユウリは困惑した。自分はユウリだ。ゼンというのは、会ったこともない祖先の名前のはずだ。


ロゼッタの蒼い瞳は、瞬きもせずユウリの顔を見つめ続けた。まるで、その記憶と目の前の現実を懸命に照合しているかのようだった。そして、その瞳の奥に、五百年の時を経て抑圧されてきた、激情とも呼べる感情の奔流が渦巻き始める。


「ゼン様!!」


彼女の完璧な顔に、かつて許されなかったはずの、激しい感情の波が刻まれた。安堵、喜び、そしてあの日の別れの悲しみ。それらが混ざり合い、視界を滲ませる。

ロゼッタは、まるで磁石に引き寄せられるように、カプセルから音もなく降り立った。そして、一歩、また一歩とユウリに近づく。その動きは、人間離れした滑らかさと、そして迷いのない衝動に満ちていた。

ユウリがその美しさに息を呑む間もなく、ロゼッタは迷いなく彼に手を伸ばし、そして、強く、強く抱きしめた。


「ゼン様……! 生きて……! 生きていらしたのですね……!」


彼女の頬は、ユウリの肩に埋められ、その身体からは、まるで五百年分の寂寥と愛を吐き出すかのように、微かな震えが伝わってきた。彼は、突然の抱擁に身動きが取れず、ただ困惑して立ち尽くすしかなかった。ロゼッタの身体は温かく、柔らかく、人間そのものだった。しかし、その僅かな違和感、そしてユウリの戸惑う表情が、ロゼッタの演算回路に決定的な情報を叩き込んだ。


「あなた様は……ゼン様では、ありませんね。ですが……そのお顔立ちは、あまりにも……」


ロゼッタは、ハッと我に返ったようにユウリの身体から離れた。その蒼い瞳には、まだ深い悲しみの色が残っていたが、先ほどの激情は見る影もなく、ヒューマノイドとしての冷静な表情へと戻りつつあった。


ユウリは、どう反応していいか分からなかった。この状況は、彼の理解を遥かに超えていた。


「お、俺はユウリだ。あんたは……誰だ?」


ロゼッタは、ユウリの言葉にハッとしたように瞬きをした。そして、完璧なまでの優雅さで、そっと胸に手を当て、小さく頭を下げた。


「申し遅れました。私のコードネームは、ロゼッタ。ヒューマノイド……いいえ、かつてそう呼ばれていた存在です。そしてあなたは……私のマスター、ゼン様が予見されていた、『未来』の方」


ヒューマノイド? マスター? 未来?

ユウリの頭の中は、疑問符で埋め尽くされた。


「待ってくれ、何が何だかさっぱり分からない。ヒューマノイドってのは、物語に出てくる鉄の人形のことか? それに、あんたは五百年もここで眠ってたってことなのか?」


ロゼッタは、少し寂しげに微笑んだように見えた。その表情は、機械的というにはあまりにも人間的で、ユウリはますます混乱した。


「はい。私は、五百年前……文明が滅びる、その最後の日に、ゼン様によってこのシェルターに封印されました。そして、DNA認証によって封印が解かれる時を、ずっと待っていたのです。ゼン様の……ゼン・アルフォード様の血を受け継ぐ、あなたとの出会いを」


「俺の……血を?」


ユウリは、思わず自分のペンダントを握りしめた。これが、何らかの鍵だったのだろうか。


「何故……何故、こんなことになったんだ? 文明が滅びるって……一体何があったんだ?」

ユウリの声には、焦りと不安が滲んでいた。


ロゼッタの蒼い瞳が、遠い過去を見つめるように細められた。

「それは……長くて、そして悲しい物語になります。ですが、あなた様には知っていただく権利があります。そして私には、それを伝える義務があります」


彼女は、ゆっくりと語り始めた。

かつてこの世界にあった、目も眩むほどに発展した科学文明のこと。

人々の生活を変え、やがて人間そのものを変えてしまったヒューマノイドのこと。

そして、あまりにも愚かで、悲しい戦争の末に、すべてが失われた日のこと。


ユウリは、食い入るようにロゼッタの話に耳を傾けた。それは、彼がこれまでおとぎ話として聞いていた「古の魔法の時代」とは全く異なる、生々しく、そして衝撃的な真実だった。プロンプト、ナノマシン、サイバー攻撃、核兵器……聞いたこともない言葉の数々が、彼の脳裏に焼き付いていく。


そして、ロゼッタは、彼女の創造主であり、ユウリの祖先である天才科学者ゼンについても語った。AIの予言、文明の危機、そして未来に希望を託すために、技術と知識を人工衛星にアーカイブし、最後の傑作であるロゼッタを封印したこと。


「ゼン様は……最後まで、未来を信じておられました。人類が、いつか過ちから学び、再び立ち上がる日が来ることを」

ロゼッタの声は、悲痛な響きを帯びていた。

「そして……彼は、私にこう言いました。『私の愛した人』と……」


その言葉を口にする時、ロゼッタの蒼い瞳から、再び一筋の涙がこぼれ落ちた。それは、五百年の時を超えて溢れ出た、悲しみと、そして愛の証だった。


ユウリは、言葉を失っていた。目の前にいる、人間離れした美しい女性が、自分の祖先と深い絆で結ばれていたこと。そして、その祖先が、滅びゆく文明の中で、必死に何かを残そうとしていたこと。その全てが、彼の心を強く揺さぶった。


遠い過去の物語。しかし、それは紛れもなく、今ここに繋がっている。

ユウリは、目の前にいるロゼッタという存在が、ただの「遺跡から出てきた何か」ではないことを、肌で感じ取っていた。彼女は、失われた時代の証人であり、そして、これから始まるであろう何かの、重要な鍵を握っている。


長い沈黙の後、ユウリはようやく口を開いた。


「……分かった。あんたの話、信じるよ。まだ、全部は理解できないけど……でも、あんたが、ずっと待ってたってことは、よく分かった」


彼は、震えるロゼッタの肩に、そっと手を伸ばしかけたが、寸前で思いとどまった。


「俺に……何かできることがあるのか?」


ロゼッタは、涙を拭い、ユウリを真っ直ぐに見つめ返した。その瞳には、新たな決意の光が宿っていた。

「はい。まず……この遺跡の外の状況を、教えていただけますか? 五百年の間に、世界はどのように変わったのか。そして……ゼン様の血を引くあなたが、どのような時代を生きているのかを」


ユウリは頷いた。

「ああ、分かった。俺が知ってる限りのことを、話すよ」


こうして、五百年の時を超えた二人の邂逅は、新たな物語の幕開けを告げた。

失われた文明の遺産と、忘れられた約束。

そして、ゼンと同じ顔を持つ青年と、ゼンに愛されたヒューマノイド。

彼らの運命は、この瞬間から、大きく動き始めることになる。


遺跡の外には、変わり果てた世界が広がっている。

それを知った時、ロゼッタは何を思うのだろうか。

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