【短編集】始末に負えない女性たちの碌でもないハッピーエンドについて
乗り換え ~結婚したい明子の打算~
1.
松本課長が「そろそろお開きにします」と宣言して、部署内のささやかな打ち上げを締めた。ぞろぞろと参加者が会議室を出ていくのを横目で見ながら、吉田明子は片づけを始めた。
明子の1年後輩の四谷正敏が少し離れた離れたテーブルでごみ袋に紙コップや紙皿を放り込んでいた。明子は残った食べ物がもったいないと思った。
「食べられるものを捨てたらもったいないよ。持って帰らない?」と明子は言った。正敏はちらりと明子のほうを見ると、「そうですね」とそっけない返事をして、半分以上残ったピザや開封していないポテトチップスの袋などをテーブルの端にまとめて置いた。
先輩の山川が会議室に戻ってきて、「早くしろ。今日は残業をつけないでくれ」と急かした。
「どうするの、これ?」と山川は残してある食べ物を指さして言った。
「捨てるのもったいないと思って」と明子。
「飲み物以外は持って帰れよ、じゃまだから」と山川。
「はい」と明子。
集めると、大きなレジ袋2つ分のスナック菓子と箱2つ分のピザがあった。
「どうする、これ?」と明子。
「ぼく、いりません」と正敏。「スナック菓子を食べないので。」
明子は困った顔をした。
「わたしのアパートまで運んでよ」と明子。
今度は正敏が困った顔をした。断れば角が立つ。「わかりました」と正敏はそっけなく言った。
2.
さびれた工場の敷地を出て、二人は徒歩で明子のアパートに向かった。
二人は無言で郊外の国道沿いの歩道を十分ほど歩き、明子の住む賃貸アパートの前に着いた。
正敏は荷物運びを手伝わされたことがあった。半年前、明子の実家に姉の内縁の夫が転がり込んできたので、明子は実家を出てアパートに引っ越したのだった。
外階段を上がってドアの前に来た。明子がドアを開けて、正敏が上がり框に荷物を置いた。正敏が「それでは」と言う前に、「部屋に入って。お茶を入れるから」と明子が言った。やっぱりそうなるのか、と正敏は思った。
正敏はくつを脱いで部屋に上がった。明子がコーヒーテーブルの前の座布団に座れという。すぐ横にはベッドがあって、窓際の枕元に沿ってぬいぐるみが並べてある。
明子はガスコンロに火をつけて「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」ときいた。「コーヒーください」と正敏。
明子は二人分のカップと甘い駄菓子をのせたお盆を、コーヒーテーブルに置いた。「どうぞ」と明子にすすめられ、「いただきます」と正敏。
「砂糖とミルクはいらないんだっけ」と明子。「ええ、ブラックで」と言って正敏はコーヒーをすすった。
3.
正敏は明子の顔を正面からまじまじと見た。美人ではない。一重瞼の目、高いほう骨、ニキビの残った頬、薄い唇。小動物を思わせる顔立ちである。正敏は、嫌いではないと思う。
明子は化粧気のない、中性的な顔を正敏に近づけて言った。「四谷君、わたしのこと、どう思う?」
「どうって、親切な先輩ですよ」と正敏。
「そういうことじゃないのよ」と明子は立ち上がって正敏の横に座った。「せっかく来てくれたんだから、押し倒してくれてもいいのよ」と、ひきつるように笑った。
正敏はおもむろに明子の顔を手のひらで撫でた。明子は媚びを売るような笑顔を正敏に向けた。
事が終わって、正敏はベッドの縁に座った。明子が後ろから正敏の肩に手をかけた。
「今更だけど、四谷君ってどんな女性が好みなの?」と明子。
「優しくて、いつでもやらせてくれる女の人」と正敏。
「四谷君って、そんなふうに女性を見てるんだ」と明子。「セックスだけが恋愛じゃないわよ。」
「ぼくは恋愛ごっこなんてしません。ぼくにとってやらせてくれる女の人が必要で大切なんです」と正敏。
「わたしのことは?」と明子。「大好きですよ」と正敏。
「うれしいわ」と明子はにっこりと笑った。
4.
次の日、明子と正敏だけが残業で設計室にいた。明子が立ち上がり「四谷君、ちょっといい?」と言って正敏の机に近づいた。
正敏が書類から顔を上げると、明子は正敏のわきに立った。「ねえ、やらせてあげる」と明子は言いながら正敏の肩に手を置いた。
正敏は驚いた顔で、「ここで?」と言った。
「そうよ」と明子は言いながら、正敏の顔を自分の胸に押し付けた。
明子と正敏は残業で二人きりになると、「やる」ことが習慣になった。
その日も事が終わって、明子はデニムパンツのボタンを留めながら言った。「わたしって、四谷君の何なのかしら?」
「やらせてくれる女の人」と正敏。
「結婚とか、将来のことを考えてくれないの?」と明子。
「結婚なんて面倒くさいですよ」と正敏。
「わたしって、四谷君の都合のいい女なのね」と明子。
「吉田さんがそう思うんなら、そうなんでしょう」と正敏。
「わたし将来のことが不安なの。結婚してくれない?」と明子。
「ぼくと結婚したって、先輩の不安はなくなりませんよ」と正敏。
「わたし、四谷君といると安心する」と明子。
「そんなの気のせいですよ。将来なんてわかりません。心配したら負けです」と正敏。
「四谷君、優秀だから出世しそうでしょ。結婚して子供ができたら、安心して子育てできるから」と明子。
「ぼくはこの仕事を一生続ける気なんてありませんよ」と正敏。「それに子供がいるからっていう理由で働くのは嫌です」と正敏。
「四谷君って自分勝手だね」と明子。
「今更、気が付いたんですか?」と正敏。
「結婚に向いてない」と明子。
「そうですよ。他をあたってください」と正敏。
「わかったわ」と明子は薄く笑った。
5.
次の日の残業の時間に、「四谷君、話があるの」と明子は正敏に話しかけた。「製造部の山本君がここに来るから、話をしてもらえないかしら。」
山本達也は明子と同期入社の男性社員である。
「いいですよ」と正敏は答えた。
しばらく待つと、携帯で呼び出された達也が部屋に入ってきた。走ってきたのか、達也は小太りな体を上下させながらハアハアと息をしている。
達也は、部屋の奥のほうにいる四谷を見つけると、目を吊り上げて近づき「四谷!お前、吉田をもてあそんだな!」と怒鳴った。
「何のことでしょうか?」と正敏。
「とぼけるな!」と達也。「明子を無理やり押し倒したそうじゃないか!」
「不快な思いをさせてしまったようでしたら、吉田先輩に謝罪します」と正敏。「申し訳ありませんでした」と立ち上がって明子に向かって頭を下げた。
達也は拍子抜けしたような顔をした。「いいのか、明子?」と達也は言った。
明子は達也の後ろから腕をつかみ「もういいわ。ありがとう、達也君」と言った。
6.
次の日、昼食を終えて設計室に戻ると、松本と山川が立ち話をしている。
「四谷君、聞いた?吉田が製造部の山本と婚約したそうだよ」と山川。
「そうなんですか。知りませんでした」と正敏。
「破れ鍋に閉じぶたとはよく言ったもんだよ」と松本。「吉田さんには早く寿退職してほしいね。」
「四谷君が吉田と付き合ってたって噂だけど、本当?」と山川。
「ええ、まあ」と正敏。
「男女の仲のことはわからないねえ」と松本。「変な女に引っかからないように気をつけなさい。」
「はい」と正敏。
「やり逃げ出来てよかったじゃない」と山川。
「そんなんじゃないですよ」と正敏。
「隠さなくてもいいよ」と山川。「残業の時はいつも二人きりにしてあげていたんだ。」
「知ってたんですか?」と正敏。
「もちろんだよ。吉田は四谷君の前では女の顔になってたからねえ。それに大した仕事をしていない吉田が残業なんておかしいだろ」と山川。「それで、吉田ってどうなの?」
「どうって?」と正敏。
「また、とぼけちゃって。あれの具合ですよ」と山川。
「そりゃあ、悪くないですよ」と正敏。
「どんなふうに良かったの?」と山川。
「締まってます。とにかく狭くて」と正敏。
「気持ちいいんだろ」と山川。
「最近、全部入るようになってからは」と正敏。
「四谷君専用になったっていうわけだ」と山川。
「蓼食う虫も好き好きだね」とあきれ顔で松本が言った。
7.
数日後、正敏が残業していると、明子が設計室に入ってきて正敏の前に立った。以前と同じ口調で「やらせてあげる」と言った。
驚いた正敏は「吉田先輩、山田先輩と婚約したんでしょ」と言った。
「そうだけど」と明子。「わたしはまだ、四谷君の都合のいい女だよ」と言って、媚びた笑顔を正敏に向けた。
まったく都合のいい理屈だと正敏はあきれた。
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