表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

完璧なんてないらしい

例えばの話だ。

あるところに、ごく普通の高校生がいるとする。彼は取り柄という取り柄もなくて、魅力というほどの魅力はない。逆に言うなれば、どこにでも居そうな平凡さこそが売りな、そんなやつ。さらに言うなら、受け入れられるのが怖い、臆病者。

またあるところに、一人の女子生徒がいる。彼女は容姿端麗で、人並み以上の社交性を持ち合わせ、周囲との調和をよくとることのできる人物だ。誰からも好かれて、誰とでも仲良くなれるような、そんな人。さらに言うなら、受け入れられないのが怖い、臆病者。


では、例えば。

例えばそんな二人が、親密な関係になることはあるのだろうか。本来相容れぬもの同士、言ってしまえば住む世界が違うような大きな距離。それを埋め合わせることなんて、実際あるのだろうか。

答えは当然、「否」である。

どうしたって交わることのない、あり得ない邂逅。

ただ一つだけ盲点があるとすれば。人間は、そう完璧ではないということか。


「……あなた、どこから見てた?」

「……ひえ」


思わず情けない声が出てしまったが、そこはそれ。どうかそれほどに衝撃的だったということで流して欲しい。

今はそんなことよりも目の前にいる彼女、柚子原咲希(ゆずはらさき)についてだ。

彼女はニコニコと、笑顔を崩さぬままジリジリと歩み寄ってくる。サラサラと流れる長髪の黒色が、まるで映画に出てくる妖怪だ。なるほど、迫力のある美人とはこういう人のことを言うのだと思い知る。

無人の教室、逃げる場所ならたくさんある。廊下に走ったっていいし、ここは一階、窓から飛び出すのも視野だ。けれどその動作さえ許してくれないであろうその眼差しに、足は動く気はないらしい。


「……聞こえなかったみたいだからもう一度聞きますね?ど・こ・か・ら…見てました?」

「…見てない。何も見てないです。強いていうならこの先の平穏な未来を見ていたぐらいで…」

「は?」

「すみませんごめんなさい」


言葉の圧はもはや人を殺せるレベルである。というか、なんならもう殺されているのではなかろうか。

だってほら、目を瞑れば今日一日の光景が浮かんでくる。

ああ、どうしてこんなことになっているんだろう。俺は走馬灯のように浮かんでくる記憶たちに思いを馳せることにした。






新学期。

誰しもが良くも悪くも心動かされるそのワードは、もはやなんらかの魔力を帯びているのではないか。視界に映る満開の桜と、忙しなく校門を流れる同じ制服を着た学友たち。そのどれもが、いつもより幾分か浮ついている。目の前に見える学舎も、いつもより少し輝いているような、そんな気さえする。

高校2年生となる俺、鈴里悠(すずりゆう)もまた、同じようにどこか地に足つかない感覚だ。何せ学生の身分で、学校という世界はこの世の全てと言っても決して過言ではない。その世界が大きく変わろうとしているのだ、落ち着かないのも無理はないだろう。いったいこの一年でどのような新しい出会い、そしてドラマがあるのか、考えるだけで胸躍るーー


「どうか、一年間平穏に暮らせますように」


なんてことは全くなく、ただひたすらに安寧を祈り桜の木に向かって合掌する。


そう、俺の人生に凹凸はいらない。ただひたすらに、今と同じような日が毎日続いていくことが何よりも幸せなんだから。

そんな他愛もないような信条を掲げていると、トントンと右肩を叩かれる。


「よう、悠、いつも通り元気がないな」

「はよー朝人、いつもみたいに元気そうだな」


声をかけてきたのは、幼馴染かつ友人の浅川朝人(あさがわあさと)。彼とは小学校からの付き合いで、まぁ色々な意味で気の置けない仲なのだ。こいつを一言で表すなら「質実剛健」。クラスリーダーを平気でやってのけるような、そんなやつである。おまけに顔もいいものだから、当時から今にかけて絶賛モテまくりというわけだ。


「バカ言うな、俺はいつも元気なわけじゃない。ただ新学期から陰鬱な顔してたら印象悪いだろうが。だから今日ぐらいは見栄張ってるんだ」

「別にいつも通りじゃん。というかなに、そのいかにも誰か『陰鬱な顔してる』みたいな言い草。悪いけどこれがデフォだから、俺」

「じゃあそろそろアップデートするんだな。社交性が3世代前で止まってるぞ。そんなんだからろくに友人も作れないんだよ」


こいつ…的確に痛いところを突きやがって!

まぁ本当のことなので何も言い返すことはできないんだけど。俺はグッと出そうになる拳を押さえつけ、代わりに睨みつける。見事なまでの負け犬ムーブである。


「はっはっは、そういうのだよ、そういうの。もっと他人に対して自分ってものを見せてもいいんだぞ。変にいい子ちゃんぶっても、かえって気を遣われるだけなんだからな」

「もう5万回は聞いたよ、それ。…いいんだよ、俺はこれで。今が充実してるって思えてるんだから、それでいいんだ」


バシバシと俺の背中を叩く朝人に、どうでも良い持論を投げつける。

すると、朝人はどうしてか不満げな表情を見せる。


「良いわけあるか。お前はもう少し他人に関わるべきだ。長年友人をしてきた俺から言わせれば、お前ほど良い奴はそういない。実際、中2まではそこそこ社交性もあったろうに。」

「まさか。波風立てないように生きてきただけだよ。それが側から見たら『優しい』って勘違いしてるだけだろ」

「全く。華がないな、高校生。そんなんじゃ今後が思いやられるぞ。……なぁ、もしかして綾子さんのことまだーー」

「朝人」


反射的に声が出る。

まずった、今のはいけない。朝人はあくまで心配してくれただけで、そういうやつだって知ってたはずだ。


「すまん、軽率だった。悪気があったわけじゃないんだが、次からは気をつける」

「いや、俺の方こそ。心配してくれただけなんだろ?なら、ありがとうだ」


朝人の顔が曇る。ほんと、こいつは底抜けに優しいな。こんな、俺の面倒な性分に、全身全霊で考えてくれてるんだから。


ーー悪いのは、いつまで経っても前を向けない俺の方なのに。


「…だがな、悠。世の中には案外、『良い人』っていうのは居るものだ。それだけは理解していてくれ」


朝人は呆れたように笑った。それで今の話はチャラだと、二人して悟る。


「ところで悠、クラス発表はもう見たか?」

「え、いやまだだけど。まじか、朝人ってそういうの気にするタイプだった?『ジブン、どこだろうと変わりません』みたいにするのがお前だろ」

「今までどんな目で俺のこと見てたんだ。流石に少しくらいは気にもする。というかそれはどちらかというとお前だろう」


失礼な。少しくらいドキドキしますよ。

うるさい人がいないといいなーとか、少しぐらい顔見知りがいるといいなーとか。


「で、わざわざそんな話を持ちかけてきた理由は?」

「新学期にクラス替えの話をするのは、至極真っ当だ。…まぁいい。別にそう面白い話でもなかったな。俺は先に教室で待ってる。お前はクラス確認してからこい」

「あぁ、わかった」


スタスタと、朝人は下駄箱へと歩いていく。確かクラス発表の掲示は中庭だったな。校舎前で別れて、俺は中庭へと足を運ぶ。ところで、さっきの朝人の発言に少し引っかかったが、あいつのことだ。深く考えてたらキリがないな。

中庭まではそれほど距離はない。ゆっくり、周りの生徒の浮き足だった様子でも見ながら向かうとしよう。


うちの高校、私立月乃宮学園高等学校は、いわゆる中高一貫の付属校だ。偏差値もそこそこで、入学するのにかなり苦労した記憶がある。俺は高校からの編入組で、中学は朝人同様、別の場所に通っていた。中高一貫とは難しいもので、ある程度人間関係が形成された中に単独で突入しなければならない。全部が全部そうというわけではないが、ある程度難しいものもある。俺みたいな社交性に欠けた奴がいい例で、下手をすると友人を作ることが何よりも難関だったりする。


「その点、朝人は一躍人気者か…。流石というべきか、やっぱりというべきか」


彼の堂々とした立ち姿は、性別問わず人を惹きつける魅力がある。何事もキッパリという性格も気前がいいし、何より信頼できる。いつの世も、彼のような人間が表に出るのだろうなと、常々考える。


「……!」


それは俺にとっても喜ばしい限りだ。あいつの良いところがみんなに知れ渡るのは、友人として実に微笑ましい。今では野球部エースとまで言われるようになっている。次の代を率いていくのは、朝人になるのだろうな。


「……。…………っ!」


と、そんなことはどうでもいいんだ。今はクラス発表の方を見に行かないと。やはり新学期だからだろうか、いつもより少しばかり感傷的な気分になる。気がつけば足も少し早歩きになっていた。はぁ、何を急いでいるんだか。一旦立ち止まって深呼吸でもするか。せっかくの新学期だ、空気も美味しいに違いない。


「あのっ…!これ落としあぅ!」

「…ぐえっ」


立ち止まって伸びをしようとした瞬間、背中に衝撃が走る。痛みの中に、何か柔らかい感触があったような気もしたが、それはそれ。


「あっ、すみませんぶつかってしまって!」

「こちらこそすみません。怪我はありませんでした…か?」


背中の衝撃を確認するように振り返る。

がつん、と二度目の衝撃。もちろん、顔を見るなり二度目の体当たりをしてきたわけでは決してない。それほど驚いたというだけだ。なんせ、彼女は。


「柚子原さん…?」

「あれ、私のことご存知でしたか?……すみません、どこかでお会いしていましたか?だとしたらとんだ失礼を……」


困り顔すら絵になってしまうような、絵画のような美しさ。整った顔立ち、スラリと伸びた手足と、よく手入れされた黒髪に、思わず見惚れる。

彼女は柚子原咲希。この学校に通うものなら知らない人は居ないであろう、いわゆるマドンナ的存在である。近くで見るのは初めてだが、なるほどどうして、そう言われるのもすんなりと納得できてしまう。


「あ、いや違うんだ。えーと…ほら、柚子原さんよく定期テストでよくトップ層に居たから、割と有名人というか」

「なるほど、そうでしたか。よかった、私、人の名前は忘れない方なんですけど。そういうことなら、納得ですね」


ニコリと微笑む柚子原咲希。あまりの眩しさに少しだけ目を細める。大丈夫か俺、キモくないか。


「えーっと、それで俺に何か…?」

「そうでした!これ、落としませんでした?」


そう差し出されたのは、紺色のハンカチだ。


「ありがとう、俺のです。わざわざ届けてくれてありがとうございます」

「いえいえ、こういうのは助け合いですから。それに、良いことをすると良い気分になるでしょう?」

「あぁ、確かに。お会計とかで綺麗な額のお釣りになるように払うと気持ちいいですよね」

「……」

「…え、あれ、違いました?」


ポカーンとする柚子原さん。鳩が豆鉄砲喰らったような、先程までのキラキラ具合が嘘のような気の抜け具合。そうか、俺は間違えたのか。

自分のコミュニケーション能力の無さに項垂れていると、唐突に柚子原さんが吹き出した。


「ふ、ふふ、ふふふふ…あはははは!…はぁ。面白いですね、そんな例え話が返ってくるとは思いませんでした」

「そうですか。俺もミスってないみたいでよかったです」

「…?あ、そうだ!お名前を伺ってもいいですか?まだ聞いていなかったので」

「え、あぁ…鈴里悠です。2年です」

「本当ですか!同学年だったんですね。とても落ち着いているので上級生かと思いました」


パァと明るくなる柚子原さん。老けて見えてるわけじゃないよね、とは聞き返せなかった。


「クラス発表はもう見ましたか?私まだ見てなくて、よかったら一緒に見にいきませんか?」

「あー、クラス発表…」

「はい、ドキドキしますよねぇ。一体どんなクラスになるんでしょう」

「柚子原さんは新しいクラス楽しみなんだ。俺は知り合いがいるか不安でドキドキしてましたよ」

「もちろん不安もありますけど、新たな出会いですよ!どんな人と知り合えるか、すごく楽しみです!」

「新たな出会い、か」

「はい、そうです。実を言うとですね、私、『友達を100人作る』のが夢だったんです」

「……」


キラキラと、太陽のような笑顔に照らされる。

あぁ、なるほど。俺は今、とても最低なところに思い至った。

『俺は、この人とは根本的なところで相容れない』のだと。

もちろん嫌いなわけじゃない。彼女のような性格の人は好ましく思う。だが、いざ自分が対面するとなるとその感覚の違いに戸惑ってしまう。言うなれば、住む世界が違うのだ。


「ごめん、柚子原さん。実はもう自分のクラス見ちゃったんだ」

「あら、そうだったんですか…。ではまた今度、お話ししましょうね」


そんな俺の嘘を疑う様子もなく、ひらひらと手を振る彼女。多少の罪悪感を覚えながら、校舎の方へ戻る。これでいいのだと、自分に言い聞かせるように少しだけ歩くスピードを上げながら。そんな醜い自分の感情に見ないふりをして、ただひたすら歩くのだった。


ーーあぁ、これは重症だ。

やはり俺は、まだ過去を克服する度量は持ち合わせていないらしい。





ところで、クラス発表の掲示を見ていないのに自分のクラスがわかるのか、と感じたそこのあなた。もちろんわかります。

さっき朝人は妙な言い方をして去って行きました。

「先に教室で待ってる」と。つまり、俺のクラスはあいつと一緒の確率が極めて高いのです。

以上、推理終わり。


「お、やっときたか」

「一緒のクラスならそうと言ってくれればよかったのに」

「それじゃあ面白みに欠けるだろう。高校生活でクラス替えは二回しかないんだ、少しは味わったほうがいい」

「余計なお世話。第一、俺はクラス替えに面白みなんてものを見出すつもりはないよ」


軽口を叩きながら教室に入る。クラスは2年C組。一番扉に近い席の朝人は教室に入るなりそんな言葉を投げかけてきたのだ。

席は、どうやら黒板に書いてあるらしい。俺の席はというと、真ん中の列の一番後ろだ。悪くない、と言うかめちゃくちゃいい。最初の席順は大当たりだ。


「いい席だな」

「あぁ、一番後ろを取れるなんて幸先がいいよ」

「ん?あぁそっちか。ま、そうだろうな、お前には」

「…なんだよ、歯切れが悪い。もう自分の席行くからな」


言って、朝人の席を離れ自分の席につく。

なるほど、壮観である。クラス替えでガヤガヤしている教室を一番後ろから眺めるというのはなかなかどうして面白い。うん、やっぱりいい席だ。

自分の引き運の良さに感心していると、急に教室がドッと湧き上がる。

なんだと思い振り返ると、そこには。


「柚子原さんだ!」「よっしゃー!」「おい、祝勝会だ!」「バッカお前、まずは神に感謝が先だろ!?」


などと野郎どもの雄叫びと、


「やっぱ可愛いー!」「え、ほんとに同じ人間?私が人じゃないのかな」「あれは女の私でも惚れますわ」


などという女子たちの黄色い歓声に包まれる、柚子原咲希が立っていた。それに困惑するようなしぐさの彼女とパチリと目が合う。かと思えば、彼女は微笑みながら、胸の前で小さく手を振ってくる。俺は反応に困ったが、ひとまず軽く会釈をする。


「あの、鈴里くん、さっきはーー」

「ねぇねぇ柚子原さん!」


何か言いたげな彼女の声と姿は、同じクラスの女子たちによってかき消された。

何か話でもあったのだろうか。そんなことを考える暇もなく、彼女の姿を捉えられなくなるほどの人だかりが完成する。まぁいいか。大事な用事であればまた後で聞こう。


数分後、予鈴のチャイムが鳴った。ガヤガヤとしていた生徒たちは自分の席につき始める。俺はというと、イヤホンで音楽に没頭中。数分の間でさえ話す相手がいないというのが、ボッチの悲しいところである。


「鈴里くん、酷くありません…?」

「え、どうしたの急に」


横を向くと膨れっ面をした美少女が立っていた。俺はつられるようにイヤホンを外し、彼女の方へ視線をやる。


「さっき呼んだのに無視したじゃないですか。私は見逃しませんでしたよ」

「それはほら、他に柚子原さんに話がある人がいっぱい居るみたいだったし。それはそうとよかったですね、みんなと仲良くなれそうで」

「そうですけど。そうなんですけど!でも私は鈴里くんとももっと仲良くなりたいです。さっきはなんか、変な感じでお別れしちゃいましたし」

「あー、うん。ごめん。俺あんまり人との会話が得意じゃないんです」

「?そうですか?そんな感じ全くしませんけど。ほら、私とも普通に話せてるじゃないですか」


おかしなことを言う柚子原さんだった。


「それは柚子原さんがすごいんですよ」

「そんなことないですよ!……わたし、男の子と話す時なぜかみんな黙ってしまって……もしかしたら私と話すのつまらないのかなって……」

「あ、いやー…それは」


ご愁傷様です。主に相手の男の子の方。確かにこんな美少女相手じゃ緊張するのも無理ないな。


「とにかく!私、鈴里くんと友達になりたいんです!」

「友達、ですか」

「はい。最初会った時から壁?みたいなのを感じてたんですけど」

「そんなことないですよ、気のせいです」

「そんなことあります。その証拠にずっと敬語じゃないですか!」


それはお互い様だろう、というのは言わないでおくことにした。

そもそも、柚子原さんは誰に対しても敬語を使う人種らしい。先程、クラスメイトに囲まれていた時もずっと敬語だったっけ。


「席も隣なんですし、もう少し砕けた感じでいいですよ。ほら、たとえばあだ名で呼び合うとか」

「それはちょっとハードル高いですね…というか、隣なんですね、席」

「え、気づいてなかったんですか。自分の席確認する時とか、気にしません?周りの人」

「そういうもんですか」

「そういうもんです。ふふ、やっぱり変わってますね、鈴里くん」

「あんまり言われたことないですけど」

「ほんとうですか?だとしたら皆さん見る目がないですね」


くすくすと笑うしぐささえ絵になるな。本当に同じ地球人類か怪しくなるレベルだ。それに違うんだ柚子原さん。見る目がないんじゃなくて、見る人がいないんだよ……。

それはそうと、仲良く、か。できるだろうか、この人と。こんな、まるで太陽のような人と。そんな考えの中、思い至る。

彼女は言った。「友達100人作るのが夢」なのだと。

たかが100分の1。そう考えれば、多少気が楽になる。ならばここは一つ、彼女の夢の手助けでもしよう。この世は助け合いなのだ。


「それじゃ、『同じクラスの友人同士』、仲良くしましょう」

「……。ふふ、やっぱり変わってる」


そこで会話は途切れた。理由は単純、我らが担任の先生が教室へと入ってきたからだ。

そこからは特に何も起きなかった。クラスで簡単な自己紹介を行い、軽いホームルームと配布物が手渡され、気がつけば下校の時間へとなっていた。





「柚子原さんと友達に?」


時は放課後、下校しようと下駄箱に向かっていると朝人に捕まり、一緒に帰ることになった。クラスで親睦を深めなくて良いのかと聞いたが、「そんなのは焦ってすることじゃない」とのことだ。うん、実に朝人らしい。


「会話の流れでね。断るのも変な話だろ」

「まず断るという選択肢が出てくること自体変な話ではあるが。まぁお前のことだ、そんなことツッコンでいたらキリないな。それにしても彼女、噂通り、いや噂以上の美形だな」

「……驚いた。朝人もそういう世俗的な話題とか気にするんだ」


いやはや、空いた口が塞がらない。そんな俺の様子に、朝人は「心外だ」とでも言いたげな目で俺を見る。


「美しいものに興味を惹かれるのは当然だろう。ただ、恋愛対象として見るかは別の話だがな。特に彼女の場合は…」

「何、なんかあるの?」

「いや、どうでもいい根も葉もない噂話だ、忘れてくれ。とにかく、お前が友人を作ろうというのは良い傾向だ。人との縁は時に金なんかよりも大事な資産となる。徳は積めば積むだけいいぞ」

「お前、達観しすぎてもはや高校生とは思えない発言してるぞ」


こいつ、年齢訴訟でもしてるんじゃなかろうか。

そう思うことはもはや一度や二度ではないのだが、実際この考え方が浅川朝人を浅川朝人たらしめる所以なのだ。この高校生、精神があまりに成熟しすぎている。

そんな友人の成長ぶりに呆れながらズボンのポケットに手をやると、あることに気がついた。


「ごめん朝人、やっぱり今日は先に帰ってくれ。教室にスマホ忘れてきたっぽい」

「む、そうか。じゃあまた明日、学校で」

「あぁ、それじゃ」


言って、来た道を引き返す。ここからだと歩いて約15分といったところか。幸いこの後の予定も特にない。別に急ぐ理由も見当たらないし、ゆっくり行くことにしよう。





学校へと戻る最中、何人もの学生服とすれ違う。

どうでもいいことではあるけれど、同年代の男女がこれほど同じ場所に集まるというのは、今更ながらにすごいことだ。あまりに日常的すぎてなんとも思わなかったが、改めて考えると、言いようもない感動が浮かぶような…。

なんて、どうでもいいことばかり考えてしまうのはぼっち特有の悪い癖だろう。そんな身もふたもないことを考えていると。


「あれ、先輩…?」


向かいから歩いてきた一人の女生徒に話しかけられた。

背は平均よりやや低め、セミロングの茶髪がよく似合うあどけなさの残る顔立ちの少女。

はて、こんな今どき女子の知り合いがいただろうか…。


「……えー、と」

「あの、覚えてませんか…?」


この声、どこかで…。それとこのどことなく兄心をくすぐるような感覚、覚えがあるぞ。そう、それは確か中学校の…。


「まさか、一ノ瀬…?」

「は、はい!そうです!やっぱり鈴里先輩だ!」


彼女は一ノ瀬ことり。

同じ中学校の出身で、俺が当時2年生の途中まで在籍していた軽音楽部のメンバーである。俺が部活を辞めて以降それきりだったが、こうして思わぬ形で再会を果たすとは。


「久しぶり、この高校受けてたんだ。まさか会えるとは思わなかった」

「はい、私もこんなに早く会えるとは思ってませんでした!」

「ん?うん、ほんとびっくり。部活辞めてから会う機会なかったもんな」

「ほんとですよ。少しくらい顔出してくれるかなーって思ってたのに、一回も来てくれないんですもん」

「それはごめん」


なにか引っ掛かる言い方をしていたような気がするが、ここはスルーする。


「ずいぶんと雰囲気変わったな。前はもっとこう、お淑やかな感じだったのに」

「失礼な。今でも十分お淑やかなレディです。まぁあれですよ、高校デビュー?イメージチェンジ?みたいな」

「にしてもなかなか大胆な舵の切り方したな。失恋でもした?」

「…先輩、彼女いないでしょ。ほーんと、そういうところですよ、安心します」


安心しちゃうんだ。こいつも大概変わってる。

てか、君別に元から美人だったでしょ。

というのは、調子に乗りそうだから言わないでおこう。前は黒髪ショートの『清楚系代表です』みたいな風だったのが、今や現代風なイケイケ女子だ。あれ、イケイケって死語か…?どうでもいいか。


「先輩は…ちょっと痩せました?ご飯しっかり食べてます?」

「食べてるし、そんな目に見える減り方はしてないよ」

「あのですね、外見の変化って意外と自分じゃわかんないもんなんです!鏡見ていつも通りでも、いざ体重計に乗って見ると血の気が引いたり、家族に言われて死にたくなったり……。そんな経験ありますよね?」

「うん、よくわからないが、努力してて偉いな」


グッと身を乗り出して熱弁する一ノ瀬。あまりの熱量に押されつつ、日頃の努力に感服。

というか近い。この子熱が入ると距離感バグるクセ、まだ治ってないのか。

俺は一ノ瀬の肩を取り、一定の距離感に引き戻す。「あ、すみません」と謝る彼女の顔は、どこか少し赤いような。

やめなさい、そういうのが勘違い男を量産させるんだからな。まだ見ぬ被害者に心の中で黙祷する。


「というかなんで向かい側から歩いてきたんですか?今から登校ですか?」

「な訳あるか。ちょっと忘れ物を取りにね」

「ふーん…ついていってあげましょうか?」

「なんでだよ。いいよ別に、スマホ取りに戻るだけだし」

「そですか」


あれ、なんか一ノ瀬が睨んできてるぞ。おかしい、今のは軽口を叩き合うグッドコミュニケーションのはずでは。


「あ、そうだ聞いてくださいよ!私、すっごくベース上手くなったんですよ」

「おー、まだ続けてたんだ」

「もちろんです!今では私も立派なスラップ厨なんです」


ムフー、と自慢げな一ノ瀬。


「鈴里先輩は今は軽音部ですか?」

「あー、いや実は……。最近ギターに触ってなくてさ。あんまり気が乗らないというか、一応部活には入ってるんだけど、幽霊部員というか」

「え、そうなんですか?」


まぁ色々あったんだよ。

その言葉をすんでのところで飲み込む。こいつに余計な心配をかけるのは、どうしてか気が引けるのだ。


「でも入ってはいるんですよね、軽音部。ならいいです」

「ならいいんだ」


彼女は「はい」と、これまでにない優しい笑顔で微笑んだ。その様子に、中学時代の記憶がフラッシュバックする。そういえば、こいつらとバンドを組んで音を鳴らしていたあの時は、すごく楽しかった気がする。


「今度、また一緒にやりましょうね、先輩」

「…わかった、またいつかな。それじゃ、俺はもう行くよ」


そう言って、半ば逃げるように立ち去る。これ以上思い出すと、嫌なことも溢れてきそうになってしまって。

けれど、一ノ瀬ことりはそんな俺を見逃してはくれなかった。制服の袖口が、キュッと摘まれる。ただそれだけの抵抗で、俺はどうしてか動けなくなってしまう。


「ねぇ、先輩。私、あの時どうして先輩が部活辞めちゃったのかとか、なんでそんなに暗い顔してるのかとか聞きません。けど…」


彼女は、ただ願うように。

微かに、制服をつまむ指に力がこもったのを感じて。


「私は何にも変わってませんから。だから、いつでも声をかけてくださいね。お茶ぐらいならいつでも付き合ってあげます」


彼女は「それでは」と、そんな言葉を残して去っていった。





夕暮れ、というにはいささか早い午後の学校。今日は下校も早かったため、どこもかしこもまだまだ明るい。

目的の教室はというと、もちろん我がクラスの2年C組。うちの教室は一階にあるため、階段を登る手間がないのは良いことだ。とりあえず、さっさとスマホを回収して帰るとしよう。明日からまた学校が始まるんだ、今日ぐらいだらけても怒る人はいないに違いない。


教室に到着する。教室のドア閉まっていて、もしかしたら鍵がかかっているかもしれない。だとしたら面倒だな、などと考えながらドアを開こうとしたその時。


「はー、めんどくさー」


という、あまりにも気だるげな声が聞こえてきた。

なんだ、誰かいるんじゃないか。止まっていた手を再度動かそうとしてーー。


「なんで私がこんなことしないといけないのー…?まぁ私がやるって言っちゃったんだけどさー…」


どこかで、聞いたことのある声が、する。

いや待て、冷静になるんだ鈴里悠。そんなわけがないだろう。俺が聞き覚えのある女子の声なんて、それこそ数える程度しかないというのに。いや、けどこの声は確かに…。


「もーやだ、早く家帰りたい。甘いもの食べながらテレビ見たい…。というかこれ一人でやるには量多すぎない?せめてもう一人ぐらいさぁ…」


ブツブツと独り言を永遠と垂れ流すダレカ。

俺は覚悟を決め、扉と壁の微かな隙間から固唾を飲んで教室の中を盗み見る。そこにいたのは、紛れもなく。


やっぱり柚子原咲希だーーー!?


どういうこと?どういうこと?どういうこと?どういうこと?どういうこと?

混線する思考回路。信じ難い現実を目の当たりにした時、人は叫ぶ声すら失うらしい。そんな俺にも理解できることはただ一つ。一刻も早くこの場から立ち去ることだ。どの時代も、知らなくて良いことというのはこの世にごまんとあるものだ。その一つがこれ、ボクハナニモミテイナイ。


…帰ろう。俺は別にスマホがないと生きていけない人種じゃない。早くても明日には回収できるんだ、今日のところは運がなかったと引き下がるのが吉だ。さ、帰るか。

俺は身を翻し、ゆっくりと教室に背を向けて…。


キュッ。


…終わった。上履きが床との摩擦で、最悪なタイミングで音を立てやがった!


「誰!」

「……!」


教室の中から声がする。流石に今のでバレてしまったらしい。

彼女は動揺したのか、聞いたことのないような声量で反応した。


「…誰かいるの?」

「……………」

「ねぇ、わかってるから、出てきなさい。今ならまだ間に合うわ」


何がどう間に合うんですか?その答えを聞くには、あまりに勇気が足らなすぎた。

どうするべきか。多分この距離ならなんとか逃げ切れる。けれど今日逃げ切ってどうなる。後ろ姿でも見られたら最後、彼女は全力で犯人を探し出すだろう。そして、隣の席である俺は真っ先にその調査の目が向けられる。

…どっちみち、明日までの命らしい。

観念して教室に入る。


「…っ!鈴里くん」

「さっきぶり、柚子原さん」


なんて、あまりに気の利かない挨拶をする。

この瞬間、俺は確かに聞いたのだ。今までの平穏が、ガコン、と崩れ落ちる音を。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ