楽しみ
「ただいま」
あの後もしばらく、和久井さんと学校でオリジナル曲の話をした後、完全下校になったため、僕達は帰路についた。
家に到着すると、リビングに明かりが灯っているのが見えた。
「おかえり。今日も遅かったね」
どこか嬉しそうに、父はリビングから厳寒に顔だけひょっこり出してきた。
「うん。……ちょっと色々ね」
「色々かあ。そっかあ」
「何だよ、その顔……」
「ん? わが子が学校生活を楽しんでいるようで、嬉しいって顔だよ」
「言わなくてもわかるから……」
「でも、聞いてきたじゃない」
まあ、そうだけども……。
「さ、夕飯を食べようか」
「うん」
どうやら父は、僕が帰宅するまで夕飯を食べるのを待っていてくれたようだ。
食卓に並ぶ料理を見て、少しだけ申し訳ない気持ちになった。
「頂きます」
僕達は夕飯を食べ始めた。
テレビから流れるワイドショーの音だけしか響いていない、静かな食卓だった。
「ふふっ」
急に父が笑い出した。
「どうかしたの?」
「いやあ……最近、純が楽しそうで嬉しいなあと思ってさ」
……楽しそう、か。
父の言いぶりだと、この前まで僕は毎日がつまらなさそうに見えた、とも捉えることが出来る。
……確かに。
前までは、毎日がつまらなかった気がしてきた。
声変わりをして以降、どれだけ練習をしても成果に結びつかず。母も失い。歌を歌うことさえ辞めて……。
これまでずっと歌を歌って生活してきた僕にとって……この前までの時間は、ただ虚無だった。
でも今は……。
『青山君の本心はどうなのよ』
彼女のおかげで、今は少しだけ毎日が楽しい。
「本当に、良い出会いをすることが出来たみたいだね」
「……うん」
あまのじゃくな性格をしているのに、珍しく否定する気にならなかった。
それくらい、彼女に救われたということだろう。
「今度、父さんにも会わせてくれるかい?」
「……それは、どうだろう」
和久井さん、結構強烈なキャラをしているし……父に会わせたらびっくりしてしまうかもしれない。
「そんなこと言わずにさ」
父は食い下がる。
「父さんも会いたいんだ。君の恋人に」
「ぶーっ!」
僕は口に含んだ味噌汁を一気に噴出した。
「恋人なんていませんが!?」
「うわあ、雑巾雑巾」
僕の話も聞かず、父は脱衣所に雑巾を取りに行った。
「と、父さん! 僕は別に、恋人が出来たから毎日が楽しいわけじゃない!」
脱衣所から戻ってきた父に、僕は語気を荒げて言った。
「え、そうなのー?」
「そうだよ! そうに決まってるじゃないか!」
「そっかー……」
父はフローリングを拭き終えたようで、立ち上がった。
「じゃあ、また歌を歌うことにしたとか?」
そして、僕の方を向いた父は……優しい笑みを浮かべていた。
僕は逡巡したが……父を真っ直ぐ見据えた。
「うん」
僕は頷いた。
「そっか」
「……ごめん」
「何が?」
「母さんが死んだのは、僕が歌を歌っていたせいだから……。それなのにまた……また、歌を歌いたいと思ったから」
「……」
「そんな僕が、また歌を歌うだなんて……父さんにまた迷惑がかかったっておかしくないから。だから……ごめん」
「……そうだなあ」
父は、顎に手を当てて唸った。
「確かに、また色々あるかもしれない。君がバッシングされたり、親としての品格がどうのって叩かれるかもしれない」
「……」
「前みたく職場に入れなくなるかもしれない。近所からも陰口を叩かれるかも」
「……うん」
「それが嫌だから、君に歌うのを辞めて、だなんて僕が言うと思うかい?」
父の温かい手が、僕の頭を優しく包んだ。
「これからも歌いなよ。前みたいに。君の気が済むまで」
「……嫌じゃないの?」
「嫌なわけないじゃないか」
「でも、父さんにメリットなんてないじゃない」
「あるよ」
父の手が、今度は僕の両肩を掴んだ。
「君が楽しめる」
僕は、気付けばポカンとしていた。
それだけ……?
たったそれだけのことで……父に、メリットなんてあるはずがないじゃないか。
「信じてないって顔だね」
「うん」
「……君も将来、親になればわかるよ」
「そうなの?」
「うん。そうだよ。……だから、僕のためを思うなら、むしろもっと歌ってくれよ」
「……」
「それが、僕の願いだよ」
……この時の僕は、正直に言えば父の気持ちは理解が出来なかった。
父は将来、僕も子供を持てばわかると言ったが……今の僕からしたら、仮に自分の子供が出来たとしても、所詮血の繋がった赤の他人でしかなく、そんな子に迷惑をかけられたらきっと叱責すると思わずにはいられなかったのだ。
……でも。
父の言葉は、正直に言えば、救われた。
ずっと胸に引っかかっていたのだ。
今日も。
和久井さんとコラボをした日も。
歌を歌いたいと漠然と思ったいくつかの日も……。
父に、これ以上迷惑をかけていいのか、と。
でも、父は今、僕が歌うことを迷惑ではないと言ってくれたのだ。
今の僕にとって、これ以上有難い言葉はありはしなかった。
「父さん、僕、今度また作詞をやってみることになったんだ」
「へえ、そうなんだ」
「うん。動画が公開されたら絶対に教えるから、見てね」
「わかった。頑張るんだよ」
「うん!」
僕は力強く頷いた。