ここで一曲
いつもより一駅分を歩いていき、最初は市街地の中を進んでいた道も、少しずつ高架線の下を歩くように道が変わっていった。
時折、高架線を走り去る電車が轟音を響かせる中、和久井さんから彼女が動画配信を始めた理由を聞けなかった僕はすっかり無口になってしまっていた。
ただ、一つ誤解をしてほしくないことがある。
僕が今、無口になっている理由は……別に、和久井さんから話が聞けずに、苛立ちが募ったからというわけではない。
単純に、僕から彼女に提供出来る話題がない。
それだけのことだった。
『まあ……方や人気インフルエンサーの和久井さん。方や一般小市民。……釣り合ってはいないよなあ』
ふと、今日の昼食時のクラスメイトの顔が脳裏を過ぎった。
僕と彼女が釣り合っていないこと、当の昔から知っていた。だから驚きはない。
だけど……僅かに胸の奥を締め付けるこの感覚は、一体何なんだろう。
「着いた」
駅に着いた僕達は、改札を過ぎて、ホームのある二階に上がった。
「お」
途中、彼女が何かに気づいたように声を上げた。
唐突に走り出した彼女が走り出した方を覗くと、そこにはピアノが置かれていた。
「ピアノだ」
「なんでこんなところに?」
「……最近は、いろんな場所にピアノ置いてあるからね」
あはは、と苦笑しながら、和久井さんは言った。
……そうなんだ。
電車を使うのは、高校入学を機に、電車通学をするようになって以降のこと。中学時代はおろか、小学生だった時、歌手活動を精力的にしていた時期も、電車の利用は少なかった。
何せ、小学校の時にはPVを撮りに行くにも、歌番組への出演時も、目的地へは車で通うことが多かったから。
「……おほん」
わざとらしく咳払いをした和久井さんは、ピアノ椅子に腰を落として、鍵盤を弾いた。
和久井さんの動きと呼応するかのように……ピアノの音色が、駅改札構内へと響き始めた。
美しく、悲しい音楽だった。
「どうだった?」
「上手だった。とても」
「エヘヘ」
和久井さんは照れたように、頭を掻いていた。
少し意外だった。
彼女ほどの実力者でも、褒められれば照れるのか……。
「あ、そうだ!」
僕からの鳴り止まない拍手の間に、和久井さんは何かを思いついたようだ。
出来れば、関わりたくないのだが……何かに気づいた瞬間に見せた、僕を見るあの顔。あの得意げな瞳は……。
「僕はパス」
「まだ何も言ってないよ」
「じゃあ、僕とは無関係のことということでいいですか?」
「……」
「おい黙るなよ」
和久井さんは、困り顔でもじもじしていた。
どうやらまた、僕にとっては面倒臭い以外の感想が出てこない何かに、僕は巻き込まれつつあるようだ。
「ねぇ、青山君」
「……」
「ここで、一曲歌わない?」
和久井さんの提案に、僕は初め……理解がおいつかなかった。
「はあ?」
しばらくして、ようやく彼女の言っていることを理解した瞬間、僕は顔を歪ませていた。