距離感
放課後、色々あった一日もようやく終わり、クラスメイト達は身支度をして帰宅していった。
「じゃあね、和久井さん」
「うん。ばいばーい」
和久井さんの友達も、次々に教室を去っていった。
「さて、と」
そして、クラスメイト全員が去ったタイミングで、和久井さんが立ち上がった。
「ねえ青山君、いい加減、このルールなくさない?」
和久井さんは煩わしそうな顔をしていた。
「このルール?」
「作戦会議を、クラスメイト全員がいなくなってから始めるってやつだよー」
「……ああ」
僕は鞄に今日出た宿題を仕舞いながら、曖昧な返事をした。
「適当に返事しないでっ」
そんな僕に、和久井さんはずいっと顔を寄せてきた。
……前々から思っていたが、和久井さん、なんだか距離感が近すぎやしないだろうか?
一々照れて、そっぽを向くことになる僕の気持ちも少しは考えてほしい限りだ。
「ねえ、面倒だよ。このルール。別にいいでしょ? あたし達の関係、皆になんて思われようが」
「……そんなわけないだろ?」
僕は呆れた口調で続けた。
「そもそも君は、人気者ってことを忘れちゃいけない。人気者ってのはね、常々下世話な話題に巻き込まれるもんなんだ」
「下世話って……あたし達、別に付き合っているわけじゃないじゃない」
「違う」
「付き合っているってこと?」
「なんでそうなる? ……そうじゃない」
僕は肩を竦めた。
「そういう連中は、事実なんてどうでもいいんだ」
「……」
「火のないところに煙は立たない。そうじゃない。連中は火のないところに煙を立ててでも火をつけるんだ。そして、火がついたら最後。正義という大義名分を振りかざす不特定多数の部外者が、一気に火を大きくする」
母は僕の主体性に任せ、僕の意思で選んだ変声期を遅らせる手術を世論が潰したように……大義名分を持って炎上させてくる連中のことが、僕はこの世で一番、大嫌いだ。
「ふうん」
「わかってくれた?」
「うん。まあ、わかった」
「じゃあ、これからもこのルールは続けるから」
「……仕方がないなあ。わかったよ」
納得したのも束の間の出来事だった。
「あ、青山君! 今日さ、ミッちゃん達に聞いたんだけどさ。駅前の喫茶店のパフェが凄い美味しいんだって!」
「……ん?」
「折角なら、そこで作戦会議しよ!」
「……はぁ」
僕はため息を吐いた。
「和久井さん、さっきの僕の話聞いてた?」
「聞いてたよ?」
「僕、言ったよね。連中は火のないところにも煙を立ててくるって。そんな場所で二人きりで行ったら……で、でえと……とか思われちゃうかもしれないんだよ?」
「それが?」
「困るでしょ。で、でえと、とか思われちゃったら」
「全然?」
和久井さんは、あ、と手を叩いた。
「いっそのこと、付き合っちゃうか」
「マジで僕の話、ちゃんと聞いてた?」
自ら火をつけてどうする。
放火魔よりたちが悪いよ……。
「えー? 駄目ー? なんでー? あたしは別に、青山君と付き合ってもいいと思っているけどなあ」
「……いや、駄目でしょ」
僕は俯いた。
『……釣り合ってはいないよなあ』
脳裏には先程のクラスメイト達の会話が蘇っていた。
クラスメイトの無責任な発言を聞いた時、僕は別にイライラするようなことはなかった。それどころか、その通りだと思った。
……落ちぶれた僕には、彼女のような人は眩しすぎるのだ。
「……ふうん」
和久井さんは……どうでもよさそうに唇を尖らせていた。
「ま、なんでもいっか」
そして、次の瞬間……。
「じゃあ、行こうか!」
「うわあっ!」
和久井さんは僕の手を強引に引いて、走り出した。
「ど、どこ行くの!?」
僕は叫んだ。
「どこって……駅前の喫茶店!」
日常生活の中でこんなに叫ぶのは、いつ振りだろうか。
「だ、だからそこは……っ」
「関係ないよーっ!」
楽しそうに、和久井さんは笑った。
「あたしが行きたいから行くの!」
「……」
「君と一緒にパフェを食べたいから、だから行くのっ!」
……手を引かれ、廊下を走りながら思った。
もし僕が逆の立場なら、彼女のように振舞えただろうか?
もし僕が手を引く立場なら……こんなにも後ろを振り向かず、こんなにも周囲を気にせず、彼女の手を引けただろうか?
答えは……わからない。
実際にそうなる日がやってくる日が来ないのだから、わかりっこない。
でも、思った。
「君は、いつも自由だね」
僕にコラボを申し込んできたり。
僕に黙って、僕とのコラボを事前告知したり。
僕の意思に反して、強引に手を引いたり……。
本当に彼女は……いつだって自由だ。
その彼女の自由ぶりが、今の僕には羨ましくて仕方がなかった。
……ただ。
「和久井、前も言ったよな? 廊下は絶対に走るなって」
「すみませんすみません」
この彼女の謝りぶりは、自業自得以外の何者でもないな。
僕は呆れたため息を吐いた。