感謝
父との僅かな会話を経て、僕は自室に篭って開始した。
最初に考えたのは、どんなことを歌詞に書こうか、ということ。
前、作詞作業をした時に意識したことは、テーマを持って歌詞を書くことだった。
僕は昔から、歌詞の意味を理解しながら歌を歌おうと心がけたことがなかった。あくまでメロディーを聴いて、かっこいい。きれい。そんな漠然とした感想を抱くことしかなかった。
『純はきれいな歌声なのだから、もっと歌詞を読んでみるといいかもしれないわね』
歌詞に深い意味を感じるようになったのは母の言葉のおかげだった。
僕の歌手生活の大半は……母と二人で築いたものだ。
さて、それじゃあ今回は、歌詞にどんなテーマを持たせて、どんな意味をこめようか。
……どうせ覆面歌手なんだ。
身バレの心配もほぼないし、折角なら自分の最近の身辺における話を歌にしようと思った。
「うーん」
僕は最近の自分の生活を振り返ってみることにした。
唇を尖らせて、ペンを口に咥えて……ボーっと考えてみることにした。
最近の僕の生活は……。
思い出すのはやはり、荒んだ毎日。
不良生活を歩んでいたわけではない。
ただ、不良よりも僕の生活は芳しいものではなかっただろう。
堕落した日々。
生産性のない時間。
何かを起こそうという意思もなく、あっという間に時間だけが過ぎていった。
でも、僕の人生に転換期がやってきた。
『うわあ、本物だ! 本物の青山君だ!!!』
和久井さんとの出会って。
『ねーねー? 何見てるのー? 青山君ー?』
彼女に振り回されて……。
一体、何度彼女を煩わしいと思ったことか。
邪魔だと思ったことか。
放っておいてほしいと思ったことか。
『見返してやりたい……っ!』
でも、彼女のおかげで僕は……再び歌を歌おうと思うことが出来たのだ。
彼女が僕に、手を差し伸べてくれたから……。
時刻は深夜三時。
「眠い」
気付けば、一晩中歌詞作成に熱中してしまった。
大あくびを掻きながら、僕はベッドに潜り込んだ。
多分、今日は寝不足確定だ。
翌朝、目を覚ますと……やはり気分は優れなかった。
頭が重いし、内臓も不調な気がした。
一瞬、学校を休もうかと思ったが……僕はベッドから出た。
一階リビングに行くと、父は既に家を出ていた。
父が残したメモとおにぎりをほうばって、僕は家を出た。
電車に揺られて、通学路を歩いて、学校にたどり着くと……朝早いせいか、教室にいたのは和久井さんだけだった。
「おはよう、青山君!」
「おはよう」
「今日は一段と凄い寝癖だね」
「え、ああ……そうだね」
今日は敢えて髪を乱すセットをしてこなかったのだが……そういえば、歯磨きくらいで髪にまで気を配ってこなかったことに気付いた。
「目の下、隈があるけど大丈夫?」
気付けば、和久井さんの顔が目前にまで迫ってきていた。
彼女の細い指が、僕の目の下を優しく撫でた。
心配そうな彼女には悪いが、僕は頬を赤く染めて、一歩後ずさった。
「だ、大丈夫だから……」
「嘘。もっと顔色悪くなった」
和久井さんが、ずいっと僕に身を寄せた。
「顔、赤いよ? 熱でもあるの?」
僕の額に、和久井さんの手が触れた。ひんやりとした冷たい手だった。
「熱は……なさそうだね」
「ち、ちょっと作詞に熱中しただけだよ!」
僕は和久井さんの手を額から退かしながら声を荒げて言った。
和久井さんは少し面食らっていた。
「……あはは。そうだったんだ」
そして、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
「それで……作詞作業は順調?」
「……った」
「え?」
「終わった」
僕は俯いた。
「書きたいことが溢れてさ。気付いたら終わってた」
そして、苦笑した。
昨日、オリジナルソングの作成を一度は拒んだ身の癖に……。
まさかここまで、あっさり作詞作業をこなせてしまうとは思わなかった。
……ただ、これで終わり、というわけではない。
「読んでくれない?」
僕は、歌詞を綴ったノートを和久井さんに手渡した。
「駄目ならリテイクする。とにかく半端なものは出したくない」
「……」
「だから、読んでくれない? そして、感想を聞かせてほしい」
和久井さんは戸惑った後、無言でノートを受け取った。
そして、ノートの一ページ目を開き……そこに書かれた歌詞に目を通した。
「……青山君?」
「……」
「これって……」
「君のことを書いた」
最近の生活を振り返って……。
辛いこと。
苦しいこと。
たくさんのことを振り返って……。
僕は、一体どれだけ彼女に救われたのか。
その事実に気付かされた。
気付いたらペンが走っていた。
気付いたら、想いが溢れていた。
歌詞に綴った僕の想いは……好き、だとか、愛、だとか……そういう浮ついた感情ではない。
感謝。
苦しんだ一年半を……僅か二週間で道を示してくれたことへの、等身大の感謝だった。
「……青山君って、歌詞を書いても捻くれた性格が現れるんだね」
僕を茶化す和久井さんの声は、少し震えていた。
「良いよ。良いと思うよ。これ」
彼女の目じりに涙が溜まった理由は、今の僕ではまだわからなかった。
最近は夜も暑くて、エアコンをつけたまま寝ているのだが、寒くて時折目を覚ましてしまう。
ならばとエアコンを切って寝ると、暑くて首筋に汗を蓄えて時折目を覚ましてしまう。
この世界に生きるのに、俺は向いていなさすぎる。病む……。