CAR LOVE LETTER 「Pull back car」
車と人が織り成すストーリー。車は工業製品だけれども、ただの機械ではない。
貴方も、そんな感覚を持ったことはありませんか?
そんな感覚を「CAR LOVE LETTER」と呼び、短編で綴りたいと思います。
<Theme:HONDA S800(S800)>
今日もくたくた。
今携わっているプロジェクトも大詰めを向かえ、企画の最終調整の段階に入っている。
毎日進捗のフォロー会議があり、工場や業者との打ち合わせ、更にプロジェクトリーダーの私には、プロジェクトメンバーの業務管理や、新人育成の課題もある。
女史、なんて呼ばれて久しいし、それなりに修羅場も経験してきたけれど、さすがに今回のプロジェクトはキツイと感じてしまう。
オフィスには、若い子とその先輩社員が真剣な顔して残業してる。このタイミングで決定的なミスをして、彼らはその埋め合わせに必死だ。
プロジェクトの致命傷になる訳じゃないけど、やはりそこは社会人としての道理を責任持って果たそうと言う彼らの姿勢は買いたいと思う。
とは言え、さすがにもういい時間だしね。今日はもうこの辺にしましょう。
「さぁほら、もう帰るわよ。キリが悪くても、今日はもう店仕舞い!」
私が声をかけると、渋々と言う表情半分、助かったと言う表情半分で、彼らは帰り支度を始めた。
私だって、思う様に仕事がはかどっていないのよね。残業休出してでも挽回したいんだけれども。
彼らに言った言葉は、自分にもいい聞かせている言葉かもね。
オフィスが入っているフロアは私達以外みんな帰宅していた。
私はフロアの鍵を閉め、守衛室に向かう。
「僕が鍵、返しておきます。」若い子が気を利かせてくれる。私は電車の時間がギリギリだったから、彼の厚意がありがたかった。
「ありがとう。お疲れ様。明日はきっちり資料まとめなさいよ!」私は彼らの頭を軽くこづく。
「うぇ〜、頑張ります。お疲れでした!」
「お前がさっさとやらないからこんな時間になるんだぞ。」
「先輩、タバコの時間長過ぎですよ!」
先輩後輩の間柄だけど、お互いをからかいながら、彼らは駐車場に向かって行った。
私も入社して何年かはあんな感じだった。
同僚と遅くまで仕事して、仕事がはけたら疲れも知らずに居酒屋で大騒ぎして羽目をはずしたり。若さに任せて突っ走って失敗もしたけれど、それでも何とかなった。
今じゃ「アラフォー」なんて言われる様になってさ。気が付けばそのアラフォーどころか「アラサー」なんて言葉も出来ちゃって、一体時代はどれだけスピードを上げて駆け抜け様としているのか、ちょっと不安になる。
そんなだから、時代の流行をいち早く捕まえなければならない今の仕事が、苦痛に思えて来る事もあるのよね。
歳、なのかな。実感はないけれども。
電車を降り、自宅に向かう途中に、あの店がある。ちょっと遅い時間だけど、まだ開いてるわね。
夕食もまだだし、最近ご無沙汰だから、今日は寄って行こうかな。
お店は住宅地と繁華街の際にある、雰囲気のいい喫茶店。マスターが一人できりもりしてるのに、遅くまで開いてるし、お茶だけでなくしっかりとした食事も出来る。しかも美味しいの!
でも何よりお店に行く理由は、マスターの人柄がいいから。
常連客も多いし、その常連客の口コミで来る新規のお客さんも多い。
前に満員になって手が回らなくなっちゃって、私が洗い物したなんてこともあった。
ライトにぼんやり照らされた看板をくぐり、入り口のドアに手をかける。
カウベルがコロコロと鳴りカウンターの向こうから馴染みのある声が聞こえてきた。
「いらっしゃいませ。おや、久しぶりですねぇ。」
「遅くにすみません。まだ、いいですか?」コーヒーの香りがふわりと漂うお客の居ない店内を見渡し、私はそう聞いた。
「もちろん。お好きなお席へどうぞ。」マスターは手をさしのべて、私を店内に招き入れる。
私はお店の真ん中付近の、スポットライトの落ちる場所に向かう。
そこには、一台の車が鎮座している。
ホンダS800。
古い古い車だけれど、ピッカピカの白いボディに真っ赤のホンダのエンブレムが素敵だった。
マスターはこの車を所有して、もう40年近くにもなると言う。私と同い年位、アラフォーな訳ね。ふふふ。
マスターと共に、この車は時代を走ってきたのね。40年の時代の流れを。
私はこの車から何か感じる様な気がして、S800のすぐ隣の席に腰を降ろした。
「何にします?お茶?それともお食事?」マスターがそっとテーブルにメニューを広げてくれる。
「お腹空いちゃって。何か、しっかりしたのが食べたいな。」私はメニューのポークジンジャーを、これ!と指す。
マスターは口髭の端をきゅっと持ち上げ、目尻と頬にしわを作って「かしこまりました。少々お待ちを!」と満面の笑みでキッチンに戻った。
ゆったりとしたジャズとコーヒーの香りにまどろみながら、私はS800をぼんやり眺める。
するとタイヤの表面がうっすら溶けているのに気付いた。
「マスター、走って来られたんですか?」キッチンで調理するマスターに私は声をかける。
美味しそうな肉の焼ける音越しに「この間の休みに、ちょっとサーキットにね。月末にイベントがあるから、その練習ですよ。」と跳ねる油に耐えながら、マスターがそう答えた。
サーキットか。
私もちょっと前にはよく行ってたな。もちろん私が走るんじゃなく、お付き合いでだったけれど。
そう、そのサーキットでマスターとも知り合いになったのよね。
デビッド・サンボーンのアップテンポのサックスと共に、キッチンからはタレの焦げる音が響き、ショウガと醤油のいい香りが私の席に流れて来る。
そんなちょっとミスマッチなコラボレーションに食欲がかきたてられる。あ〜、お腹空いたっ!
程無くしてお待ちかねのポークジンジャーが私の前に運ばれてきた。
「今日はね、お肉一枚サービスですからね。」とマスターは言う。
サービスが無くても十分ボリューム満点なのに、食べきれるかなぁ?!思わず幸せの笑みが溢れる。
厚切りのお肉は柔らかく、とてもジューシーで、少し甘めのタレは五穀米にベストマッチだった。
気付けば、お肉はおろか、ご飯もサラダも味噌汁も、全てぺろりと食べきってしまっていた。杞憂だったわね。
私が食事を終えると、マスターは食後のコーヒーを持って来てくれる。
普段のディナーセットで使うコーヒーカップではなく、二回りも大きいカフェオレボウルで。
それはマスターの無言のサイン。ゆっくりしていきなさいって言うね。
私はそのコーヒーを一口飲む。
ほっとため息がもれる。そして、肩の力がふっと抜ける。
マスターのコーヒーには、不思議な力が宿っていると思う。
「少しご一緒しても、よろしいですか?」使い込まれたマグカップを片手に、マスターが私の隣にやってきた。もちろん!
マスターはS800の横に腰かけ、ハイライトに火をつけてコーヒーをすすった。
「こんな時間にお食事だなんてね。大分、お仕事大変そうですね。」ハイライトを芳して、マスターはそう切り出してきた。
「そうですね。季節はもう秋だって言うのに、今やってる仕事は来年の夏物の企画ですからね。来年はどんなものが流行りそうか、またはどんなものを流行らせるか、なんて時代を先読みして行かなくちゃいけないから、感覚がどんどんおかしくなっちゃいます。」
私はちょっとだけ、弱音を吐いた。
「いやいや、貴方はすごいですよ。私はこの店やって、もう30年近いですがね、昔っからメニューも変わらない、レシピも変わらない。乗ってる車も40年前から一緒。ず〜っと同じ事の繰り返しですよ。だから日々新しいモノに挑戦している人のエネルギーったらね、尊敬しますよ!」
マスターは優しい表情で私にそう言った。
そんなことはない。
マスターはコーヒーにしても料理にしても、本当に美味しいものにこだわってこだわって、現在に至っている。
S800だってそう。
本当に大好きで大好きで、壊れてもまた直して直して、そして現在も調子良く走っている。
決してそれを口には出さないけれども、マスターはポリシーを持ってそうしているのを、私はよく知ってる。
だから私を元気付けようとしてそう言ってくれているのも分かる。そんなマスターの気遣いは、私の心に暖かくじんわりと染み込む様だった。
「こういうオモチャ、ご存知です?」と言い、マスターは棚からミニカーを取り出してきた。
それはゼンマイで走る、プルバックカーと言うミニカー。
「こうして後ろに引いてゼンマイを巻いてやると、勢い良く走るんですよ。」マスターの手から離れたミニカーは、カウンターの上をチョロチョロと走った。
「ゼンマイが切れたら止まっちゃうから、またゼンマイを巻いてやらなきゃならないんです。こうやって。」マスターはまたゼンマイを巻いて、ミニカーをカウンターの上で走らせた。
「無器用ですよねぇ。前に進むのに、わざわざ後ろに下がらなきゃならないんです。でもね、何だかこれって、人生に似てる様な気がするんですよ。」
まさか・・・。
マスターには、お見通しのなのかしら。
私はマスターの顔を見る。マスターは、優しく微笑んだまま。
「貴方のゼンマイも、切れちゃってるんじゃありませんか?」
図星。その通りです、マスター。
最近本当に潰れてしまいそうで。前に進む力が全然湧かない、そんな事を薄々感じていた。
私は言葉が出せず、苦笑いして視線をミニカーに戻した。
そんな私を見て、マスターはミニカーを撫でて、また口を開いた。
「この車は、なんて車かご存知ですよね?」
ええ、もちろん。嫌って言う程。
私は、自分がどんどん涙目になってきているのが分かった。
「あなたが本当にお辛いと感じているのは、お仕事の事じゃ、ないんですよね。」
そのマスターの言葉に、私は声を上げて泣いた。やっぱり。マスターは全てお見通しだったのね。
このミニカーは、私の彼が乗っているのと同じ車。カローラレビンって、車好きな人は、TE27と呼ぶ、これまた古い古い車。
彼は私の七つも年下で、私の部署に彼が異動してきた事が、付き合い始めるきっかけだった。
最初はガキっぽくて小僧と感じていたけれど、一生懸命に課題に取り組む姿と、時折見せる信じられない程の包容力に、次第に私は彼に惹かれて行った。
彼は仕事も遊びも真剣にやるタイプ。
レビンをいじるのが彼の唯一の楽しみで、部屋にまで部品を持って上がって、夜中まで磨くなんてしょっちゅうだった。
そのレビンをクラシックカーのイベントで走らせる時の彼が、一番輝いていたわ。
若いのにクラシックカーに真剣に向き合ってる、だとか、こんなにレビンを速く走らせるやつに会ったことが無い!と、彼は評判だった。
マスターと知り合ったのも、彼と一緒に行ったイベントでだった。
そんな彼が私に、結婚しようか、と言ってくれた。正直嬉しかった。
けれども、私は今やっているプロジェクトが本格化してきた事を理由に、彼への返事をうやむやにしてしまった。
・・・ううん、それは立て前ね。
本当は、七つも歳が離れている事に負い目を感じていたからよ。
彼よりも確実に私の方が先に歳をとっていく。
歳が離れているのだから当たり前の事なんだけれど、カップルから夫婦になると考えた時に、私にはこの歳の差がとても深い溝の様に感じていたのよ。
それを仕事にかこつけて、私は彼に返事する事から逃げたのよ。本当は焦らなきゃいけない筈なのに。
そんなだから、彼とも段々疎遠になってきてしまって、もう二ヶ月以上も彼とは連絡を取り合っていない。
私にとって本当に辛いのは、仕事が思う様に進まない事じゃなく、私を支えてくれていた、彼と言う存在が消えてしまいそうな事。
それを食い止めるのは簡単なのに、変なプライドにこだわって、素直になれないジレンマを感じているの。
解決の仕方がわかっているけど、それが上手く出来ない。だから一層、辛いと感じているのよね。
私は、マスターに胸の内を明かした。
彼も思い悩んでいる様だと、マスターは言う。
先日走りに行った際、偶然彼も走りに来ていて、この話になったらしい。
「話してくれてありがとうございます。私はね、何かをするのに歳なんか関係ないと思っていますよ。私なんかもうすぐ還暦だってのに、若いやつら相手に、峠やサーキットなんか走っているんですからね!」
そう言ってマスターは、顔をしわくちゃにして、少年の様に笑った。
私も、涙でマスカラがぐちゃぐちゃになったパンダの様な顔で、入社当時のあの頃みたいに笑った。本当に久しぶりに、心の底から笑った気がする。
私の帰り際、マスターはチケットを一枚差し出して来た。
「月末のイベントの入場券です。鈴鹿で、模擬レーススタイルでやるんですよ。是非遊びに来てください。」
それには彼のレビンも走ると言う。
サーキットで彼のレビンを相手するのは、いささか骨が折れる事らしい。でもマスターは、それが楽しくて仕方がないそうだ。
「どっちの応援してくれますか?S800?それとも・・・?」
マスターはそう言うと、チラリとカウンターに視線を送った。
その視線の先には、レビンのプルバックカー。
私はそれを後ろに引いて手を離した。
するとレビンは勢い良く、カウンターの上をチョロチョロと走って行った。
「もちろん・・・!」と私はカウンターのレビンの後ろ姿を眺め、マスターに答えた。
「レビンのゼンマイ、きっちり巻いて置いて下さいね!」マスターはまた顔をしわくちゃにして、少年の様に笑った。
お店を出た頃は、もう日が変わって少し経った位だった。
夜風と静けさが、泣きはらした頬を撫でる。その涼しさが、清々しかった。
私は自宅ではなく、彼のアパートに向かって歩いていた。
私は彼に電話をかける。少し驚いた声で、彼は直ぐに電話に出た。
しばらくすると、聞き慣れた古めかしいエンジン音を立て、彼のレビンが私を迎えに来た。
久しぶりのレビンと、彼の顔を見て、私のゼンマイが巻き上がって行くのが分かった。




