第二幕:ノアルスイユ侯爵家専用席①
第一幕が終わったところで、ノアルスイユ侯爵家の席にアルフォンス宛ての封筒が届いた。
第一幕と第二幕の間は短く、数分ほどで第二幕が始まってしまう。
アルフォンスは急いで封筒を開いた。
「……伯母上からだ。
次の幕が終わったら、王室席のホールに皆で来なさいと」
まいったな、とアルフォンスはため息をついた。
ノアルスイユとサン・フォンが顔を見合わせ、ジュリエットがおろっと視線を泳がせる。
「アデライード様って、すっごく怖い方なんですっけ」
「『怖い方』というよりは、『ご自身に厳しく、他人にも厳しい方』というか……」
サン・フォンがフォローしようとするが、あまりフォローになっていない。
「最悪、伯母上に詰められて洗いざらい吐くことになるのも覚悟しておくしかないか……」
アルフォンスは胃のあたりを抑えながら呟いた。
「えっと、それは『ピンク髪の男爵令嬢が気に入った振りをして、カタリナ様にがっかりしてもらって王太子妃候補を降りていただこう!大作戦』をってことですか??」
ジュリエットに確認されて、男子三人はげんなりと頷く。
「そういうことだ。
それにしても、どうしてよりによって伯母上がいらしてるんだ。
おまけに、ジュスティーヌも来ているとかとかとか……!」
そもそも今日は、別に「大作戦」を本気で展開する予定ではなかった。
ジュリエットが歌劇というものが観てみたいと前々から言っていたので来ただけだ。
せっかくなので、幕間の社交には顔を出すつもりではあったが。
なのに、真向かいの席にはカタリナが陣取って堂々とこちらをガン見している。
おまけにジュスティーヌまで来ている。
どうしてこうなった、とアルフォンスはノアルスイユをジト目で見た。
「そこはわかりかねますが……
いずれにしても、王姉殿下から直接ご下問がある時以外は、レディ・ジュリエットは喋らないようにして、なるべく距離をとるようにするしか……」
今日の観劇を手配したノアルスイユが申し訳なさそうな顔をする。
わざわざ「皆で」とアデライードが指定しているのだから、それでは済まない予感しかしないが。
ジュリエットが王都に出てきてはや半月。
ノアルスイユの母の懇切丁寧な指導もあって、だいぶ令嬢らしくなってはいるが、王室で一番厳しいアデライードに接して無事で済むレベルでは全然ない。
「そうしときます……」
不安げにジュリエットが頷いたところで、幕が上がる。
ジュスティーヌもカタリナもアデライードから招かれているとは知らず、慌てて4人は、それぞれの席についた。
アルフォンスとジュリエットが知り合ったのは、先月のことである。
その少し前から、アルフォンスは首から下に蕁麻疹がちょいちょい出るようになってしまった。
服の下だから人にはわからないとはいえ、いったん出るとかゆみで眠りづらいのがなかなかしんどい。
侍医の診断は「ストレス」。
思い当たる節は思いっきりあり、とりあえず2週間ほど王都を離れて静養しようということになった。
湖水地方にある「湖の離宮」なら存分に引き込もれるだろうということになり、大学が休みに入ったばかりのノアルスイユ、既に騎士団入りしているが出張という扱いにしてもらったサン・フォンと3人、最低限の側仕えと騎士を連れて旅立った途端、蕁麻疹が出なくなったのには笑うしかなかった。
言うまでもなく、アルフォンスのストレスとは王太子妃どうするよ問題である。
もともと、アルフォンスはジュスティーヌと結婚したいと思っていた。
というか、8歳の時に、生涯ジュスティーヌを守ると女神フローラに誓ったのだ。
当人はあまり覚えていないようなのだが、母親を亡くした後、ジュスティーヌは言葉が出なくなってしまった。
泣きもせず、ただ眼をみはってぼうっと座っているだけ。
なにか話しかけられたらわずかに頷くこともあるが、頷きもしないことが多い。
どう見ても尋常ではなかった。
公爵も憂慮し、側仕えの者も手を尽くしているのだが、お忍びで見舞いに行く度にどんどん痩せていく。
ある時、このままではジュスティーヌも儚くなってしまうのではないかと恐怖に駆られたアルフォンスは、「こんなのは嫌だ、元の君に戻ってくれ」とジュスティーヌを揺さぶりながら、大泣きしてしまった。
しばらく、ジュスティーヌは揺さぶられるままになっていたが、その頬にぽろっと涙がこぼれた。
一度溢れた涙は止まらず、気がつけばジュスティーヌも声を上げて泣きじゃくり始めた。
母様母様と亡くなった母を恋うて泣くジュスティーヌがいたましく、だが反応してくれたことが嬉しくて2人で抱き合っておんおん泣いてしまい──その時に、「女神フローラに誓って、僕が君を一生守る」的なことを口走ったのだ。
言われた当人も、周囲の者もなにを言っているのか全然わからなかっただろうが、なにはともあれアルフォンスはそう誓ったのだ。
その後はお互い照れてしまうようになって、以前のように無邪気には遊べなくなりはしたが、いくらか開いた距離は、将来埋めるためにあえて空けている距離だといえなくもなかった。
ジュスティーヌは、美しくはかなげな少女に育った。
ずっとそばにいたい。
愛し、愛されたい。
次第に思いは募り、いつか父に誰を妃に望むかと問われる日が来たら、ジュスティーヌと答えようと待ち構えていたのだが──
12歳の誕生会。
カタリナ、襲来。
これですべてがひっくり返った。
数日後、カタリナの父であるサン・ラザール公爵は、会議の後の雑談の時に、カタリナが王太子妃になりたいと言っていると国王に話した。
国王は、では他の大貴族の令嬢にもその意志があるかどうかを確認し、意志を表明した令嬢を王太子妃候補として選定の対象としようと即答したのだ。
後で経緯を聞いたアルフォンスはぶったまげた。
こういうことは王家が密かに候補者となりうる令嬢の情報を調べ上げ、結婚する当人の意向と国王や王妃の意見をすり合わせて候補者リストを作成し、上から順に内密に打診していくものだ。
王太子妃になりたいと、嫁入りする側から申し出るなど聞いたことがない。
というか、サン・ラザール公爵も普通にぶったまげたらしい。
公爵は、アルフォンスが令嬢達に人気ですぞと持ち上げるために、娘の言葉を引き合いに出しただけだったのだ。
幸い、ジュスティーヌは自分もなりたいと手を挙げてくれ、他の令嬢からは申し出がなかったことから、ジュスティーヌとカタリナが候補ということになった。
そして、母の発案で、王太子妃候補も自分と同じ教育を受けることになり、ジュスティーヌはビシバシ進め、自分はそれなりに、カタリナはのらりくらりと、という流れになった。