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序曲:王室専用席

 母である王太后を看取った後も、王都郊外にある離宮に住み続けているアデライードは、近年では珍しいローブ・ア・ランシエンヌをまとい、王家の紋章をつけた黒塗りの馬車に乗って、歌劇場の貴賓用玄関に予定通り到着した。

 車寄せに、腹違いの弟のコンスタンティンが、下の息子のルイを連れているのを見て、ぱっと眼を輝かせる。


「アデライード殿下、ようこそお越しくださいました」


 コンスタンティンに助けられて馬車から降りたアデライードに、ルイが小さな花束をすかさず差し出す。

 ルイは、まだたどたどしさの残る口調で、「ようこそお越しくださいました!」と繰り返した。


「あら、ありがとう。

 素敵なお花。

 ルイはもう立派な紳士ね」


 アデライードは目を細めて花束を受け取り、足を止めて見守っていた周囲に軽く会釈すると、コンスタンティンのエスコートで王室席へと向かった。

 侍女が2人、そして護衛が続く。


 王室専用階段に入ったところで、アデライードはルイに手を差し出した。

 ルイは、にぱあっと笑って嬉しそうに手をつないだ。


 弟たちとは年が離れているアデライードは既に60歳手前。

 王族に多い、やや濃い目の金髪にはだいぶ白髪が混ざっているが、姿勢が良く、肌に艶があるので40代なかばあたりにしか見えない。

 峻厳な「王室のご意見番」として、国王夫妻とその子どもたちには煙たがられがちではあるが、妾腹の弟であるコンスタンティンには昔っから甘かった。


 国王フェルナンドが生まれた時には、アデライードは思春期真っ盛り。

 既に国を継ぐ覚悟を固めていたこともあり、王太女の地位を弟に奪われたという思いがなかなか抜けず、年の離れた同腹の姉弟の間の溝はどうしても埋まらなかった。


 一方、妾腹の弟であるが、コンスタンティンは父によく似ており、フェルナンドにはない愛嬌もある。

 父である先代国王に引き合わされて初めて会った時、おずおずと「姉上とお呼びしてもよいですか」と訊ねてきたコンスタンティンがあまりに愛らしく、アデライードは一発でやられてしまったのだ。

 王太后はコンスタンティンの存在を完全に無視していたが、アデライードは母の眼を盗んでコンスタンティンにあれやこれやと援助し続けた。

 王太后の没後、コンスタンティンが帰国してからは全開だ。

 特に今回の舞台は、演目が気に入ったのか足繁くやって来る。


 アデライードは、コンスタンティンの子供たちにも甘い。

 特に、まだ5歳だが既に複数の属性魔力が発現しているルイには目をかけている。

 貴族の子が通う私塾に通わせたり、折々コンスタンティンと共に離宮に招いたりと、アルフォンスや王女達よりも手厚く遇しているくらいだ。

 ルイも、アデライードによく懐いていた。


「姉上、今日のドレスは殊の外素晴らしいですね。

 舞台が霞んでしまいそうだ」


「ふふ。

 衣装部屋の整理をしていたら、昔作ったまま袖を通していなかったドレスが出てきたの。

 一度くらいは着てみようと思って」


 コンスタンティンは、アデライードが着ている深い緑のローブ・ア・ランシエンヌを、しげしげと眺めた。

 若い頃は普通に正装として着なれていただけあって、着付けにしても挙措にしても「本物」の風格が漂う。

 よほど注意して保管されていたのか、意匠を凝らして織り上げられた絹地も、その上にびっしりと施された刺繍も、今も艶と鮮やかな色合を保っていて、数十年前のドレスとは思われない。


「終演後に、マリア・リーリアにご挨拶させてもよろしいですか?

 きっと間近で拝見したがると思います」


 マリア・リーリアも衣装の着こなしや挙措についてはよく研究していて、高齢の貴族には「昔の貴婦人そのものだ」と称賛されている。

 だが、本物の王女が着こなす「ローブ・ア・ランシエンヌ」を見る機会はそうそうない。


「もちろん、そのつもりよ。

 彼女がこのドレスの価値を一番良くわかってくれるでしょうから」


 ドレスは王家主催の格式ある舞踏会用に作られたものだ。

 観劇には豪奢すぎるが、名女優として名高いとはいえ平民のマリア・リーリアに見せるには、今日着てくるのが手っ取り早いと判断したのだろう。

 大人同士の話が今ひとつ掴めず、きょとっと見上げてくるルイに、アデライードは笑いかけて、「ルイのお母様は素晴らしい方だってお話よ」と説明した。


 階段を上りきると、王家が賓客を接待するための専用饗応室となっている。

 そこから扉をくぐって控えの間、さらにその奥が王室席だ。

 アデライードの護衛3人が中を改め、不審物がないことを確かめる。


 すぐに確認は終わり、アデライードは王室席に向かった。

 ルイはまだ観劇を許される年齢ではないし、人前でアデライードと親しくしているところを見せるわけにはいかないので、侍女の一人と共に控えの間に留まる。


 王姉殿下のご臨席と気づいた平土間席や他の貴賓席から拍手が起きる。

 片手を挙げて拍手に答えると、アデライードは威風堂々と着席した。

 平土間の席では、こんなに大きく広がるドレスで座るのは無理だが、王室席には横幅を広くとった椅子が用意されているので問題ない。


「ところで姉上。

 今日はどうも……アルフォンスと例の男爵令嬢、それに王太子妃候補2人も来るようなのですが」


 コンスタンティンはアデライードの耳元にそっと告げた。

 アデライードは、羽毛の飾りのついた大きな扇を優雅に開いて、口元を隠す。


「あらあらあら……

 アルフォンスはどこに?」


「ノアルスイユ家の席です」


「そう。

 幕間を心配しているの?」


「はい」


 芝居の幕間は、階ごとに設けられた社交用のホール「貴賓饗応室」で、軽く酒を飲んだり、会話を愉しむのが習わしだ。

 今日の演目だと、第二幕と第三幕の間に、一時間ほどの幕間が設けられている。


 慎重なジュスティーヌは公爵家の席から出てこないかもしれないが、社交モンスターのカタリナは絶対に出てくるだろう。

 そこでアルフォンスやジュリエットと鉢合わせたら、一騒動起きるかもしれない。


 ふむ、とアデライードは首を傾げた。


「アルフォンスもジュスティーヌもカタリナも、ここの饗応室ホールに招くのは?

 それなら、カタリナがなにかしでかすとしても内々で済むでしょう。

 他に挨拶に来ようとする者がいたら、今日は遠慮するよう給仕から申し伝えればよい。

 3人には、わたくしの侍女から伝えましょう」


「なるほど」


 確かに、アデライードの前であれば、いくらカタリナでもそうそう無茶はするまいと、コンスタンティンは頷いた。


 給仕を一人、貴賓席から王室専用用饗応室に入る扉に張り付けて、挨拶に来ようとする者がいたら今日は遠慮してほしいと伝えれば済む。

 アルフォンスも来ていることに気づいている者ならば、空気を読むだろう。


「姉上、ご配慮ありがとうございます」


 うやうやしくアデライードに一礼すると、コンスタンティンはルイを連れて下がった。


 やがて灯が落ち、浮き立つようなワルツの調べから、序曲が始まった。


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