第二幕:ノアルスイユ侯爵家専用席④
それから2年近く。
カタリナは今も王太子妃候補生活を満喫している。
あの時、アルフォンスは母に相談するべきだったのだ。
「命がけの恋」ではないにせよ、カタリナは「自分の顔が好きなだけ」でもないのだと。
そのことにアルフォンスが気がついたのは、16歳の春、王宮文化祭に出品する絵を描いていた時である。
王宮文化祭というのは、王族と王宮に仕える者達が、年に一度、絵画や彫刻、刺繍などの手芸品や趣味の研究などを出品・展示するもので、王太子妃候補となって以来、ジュスティーヌとカタリナも参加している。
他のことはなんでも巧くこなすのに、人物画だけは不得手で、いわゆる「画伯絵」になってしまうジュスティーヌは、テーブルの上に小物を並べて静物画を描くことにした。
アルフォンスも、同じテーブルを別の角度から描くことにする。
カタリナは、良い画題が思いつかないと言いながら、少し離れたところにイーゼルを立て、とりあえず軍神アレトーの石膏像に向かっていた。
指導係である宮廷画家も、そろそろ出品作を考えないといけないと言いながら、自分のスケッチブックを見直している。
ある程度、こちらの作業が進んでから、助言するつもりらしい。
しばし、4人はおのおの作業に集中していた。
アルフォンスはテーブルの上を見る振りをして、斜め向かいで一生懸命描いているジュスティーヌをほわほわと眺めていたりもしたが。
「……まあ! カタリナ、とっても素敵だわ!」
「あびゃあ!?」
しばらく静かに流れていた時間は、唐突なジュスティーヌの歓声と、カタリナの悲鳴?によって打ち破られた。
構図を遠目からチェックしようと後ろに下がったジュスティーヌが、カタリナが描いていたものに眼を留めたようだ。
なんだなんだと画家もアルフォンスも見に行く。
カタリナはあわあわと隠そうとしたが、ジュスティーヌが華麗に阻止した。
「おお、素晴らしいスケッチですね!」
画家も嘆声を上げた。
カタリナが描いていたのは、アルフォンスの横顔。
表情は柔らかく、口元にほのかに刻まれた笑みは優しげだ。
宮廷画家達に肖像画を描いてもらったことは何度かあるが、こんなに自然な表情を写し取られたのは初めて。
アルフォンスは生まれて初めて、自分は「顔がいい」のだと納得した。
「ほんとうに素敵!
殿下のお優しさがよく出ていて……
貴女の絵はいつもセンスが良くて羨ましいけれど、殊の外素晴らしいわ!」
「え? え?
いえ、違うの!
これはただの落書きで!!」
いつもは穏やかなジュスティーヌのテンションがめちゃくちゃ高い。
紫の瞳をキラキラさせ、頬を上気させて、カタリナにぐいぐいと迫るようにして褒め称えている。
そして、こんなに挙動不審なカタリナを見るのも初めてだ。
「こんな風にわたくしも絵が描ければいいのに!
そうしたら、殿下のお姿を枕元にかけて、朝起きたらまず殿下にご挨拶して、夜休む前にはおやすみなさいって申し上げてから眠れるでしょう?
きっと、夢の中でも殿下にお目にかかれるわ……」
うっとりと絵に見入りながら、ジュスティーヌは言う。
「ふぁ!?」
アルフォンスはぶったまげた。
慎ましやかなジュスティーヌが、こんな風に乙女丸出しなことを言うとは。
カタリナも画家もあっけにとられている。
あ!と声を漏らして、ジュスティーヌは他の者を見回すと、赤く染まった頬を両手で抑えた。
レアすぎるあざと愛らしい仕草の破壊力に、アルフォンスの魂は爆散しそうになった。
「も、もちろん、不埒なことはいたしませんわよ?
わたくし、これでも公爵家の娘なのですから」
「「「はいい??」」」
なんのことだとぱちくりして、アルフォンスは思い当たった。
不埒なこととは──
自分の絵姿に、おはようのちゅーとかおやすみのちゅーとかをキメる、もしかしてそういうことなのか?
清楚なネグリジェ姿で自分の絵姿にキスをするジュスティーヌを想像して、アルフォンスもぼむっと真っ赤になった。
「そそそそうですわ!
公爵家の娘ですもの、そんな不埒なことをするわけがありませんことですわ!!!」
なにを言っているんだ??と見やると、カタリナも真っ赤になっている。
もしかして。
もしかしたら。
カタリナは、ひそかにアルフォンスの絵を描いて、おはようのちゅーとかおやすみのちゅーとかをキメているのだろうか。
アルフォンスとジュスティーヌと画家は、期せずして同じ角度で首を傾げながらカタリナの表情をガン見した。
真っ赤になっていたカタリナが、瞬時に真っ青になりながら、違う違うとばかりに両手を突き出して振りながら後ずさりする。
「そそそそ、そんなに気に入ったのなら、その絵は差し上げますわ!
わたくし、今日は失礼いたしますうううううッ!!」
「え!?
よろしいの!?」
ジュスティーヌが前のめりに喜ぶ。
「よろしくてよ!
よろしくてよ!
ぜんっぜんよろしくてよ!!」
妙にガクガクした動きで、カタリナは自分の物をざっとまとめると、ものすごい勢いで逃げていった。
ぽかんと見送ったアルフォンスとジュスティーヌは顔を見合わせる。
「もしかして、カタリナは私のことが好きなんだろうか。
なんというか……わりと本気で」
「そのようですわね……
わたくし、カタリナを見損なっておりましたわ。
よかった。
ちゃんと殿下をお慕いされているのですね」
むしろ嬉しそうな顔でジュスティーヌが頷く。
どういう心理かわかりかねたが、ジュスティーヌがよかったと言うならよかったのだろうか。
画家が「色々とこじれてますね」と呟いたのを、アルフォンスは聞かなかったことにした。
というわけで、父のつけた「カタリナをみずから退かせよ」という条件に、アルフォンスは懊悩した。
残酷なことではあるが、自分が事情を打ち明けて全力で頼み込めば、カタリナは退いてくれるのではないかと思う。
だが、それでは父の条件を満たせない。
要はジュスティーヌに当確を打てばいいのか?と、舞踏会でジュスティーヌと2曲続けて踊ろうとしたのだが、1曲目が終わるとジュスティーヌは、アルフォンスをカタリナにあっさり渡してしまう。
この際、2人きりでバルコニーで愛を語り合いたいと思っても、やはりジュスティーヌは逃げる。
360度、どこから見ても立派な公爵令嬢であるジュスティーヌは、抜け駆けのようなことは好まないのだ。
となると、「カタリナにふさわしい男性と出会って恋に落ちてもらう」くらいしか思いつかないが、これも難しい。
わざわざアルフォンスが取り持つまでもなく、カタリナは常に美形貴公子達に囲まれ、ちやほやされまくっている。
女顔を気にしているアルフォンスから見れば、絶対にあっちの方がいいだろうと思うような美丈夫だっている。
だが、カタリナは社交好きの令嬢達にも人気だ。
なので自然、カタリナを中心に美形貴公子達と令嬢達が絡むようになり、気が合った者同士、どんどん婚約・結婚していってしまう。
一人くらい真剣にカタリナを口説いて、攫っていってくれればよいのに、とアルフォンスは内心歯噛みした。
カタリナ「今回のわたくしは、いわゆるツンデレなのですわ……」(白眼)




