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第二幕:ノアルスイユ侯爵家専用席③

「それはどういう……

 王家の『影』を使ったのですか?」


「いや、当時の彼女はまだ王太子妃だ。

 王太子妃が、勝手に『影』を動かすことはありえない。

 王太后の実家も動いた形跡はなかった。

 犯罪組織か暗殺者を個人で雇ったのか……」


 父は言葉を濁した。

 祖母の実家、ド・ナール大公家は、祖先が薬師だったという伝承がある家で、今も当主自ら薬草栽培や創薬研究に力を入れている。

 薬を作ることができるのなら、毒も作ることができるはずだ。

 まさか、祖母自身が毒を盛ったわけではあるまいが。


 いつも喪服を着て、高価な香木の香りを重く漂わせていた祖母。

 アルフォンス達が挨拶をすると権高に頷いてみせるが、気に入らなさげな表情を一瞬挟むのは忘れない。

 母は姑をできる限り手厚く遇しようと努力してはいたが、祖母と一緒にいる間、誰も笑顔を見せることはなかった。


 世の中の祖母というものは、普通、孫を可愛がるものらしい。

 子供の頃、ジュスティーヌに、母方の祖母から譲り受けたという指輪を見せられたことがある。

 高名な聖女が使っていた歴史あるものだが、指輪の価値よりも祖母が自分を想ってくれていることがなによりも嬉しそうで、アルフォンスは不思議に思ったことを覚えている。

 ノアルスイユは自他共認めるおばあちゃんっ子で、夜会に祖母が出席していると、なにくれとなく世話を焼こうとして、「年寄りにかまけている暇があったら、令嬢の一人も口説いてきなさい」と怒られたりしている。


 自分たちは王族だから、特殊な立場だから祖母との間に距離があるのかとずっと思っていた。

 そうではなかったのだ。

 祖母が、夫の愛人と子供達を一家ごと、雇い人まで毒殺するような女性だから、父はできる限り自分たちから遠ざけていたのだ。


 昼から飲むものではないがと言いながら、父は立ち、自分で蒸留酒とグラスを持ってきた。

 君たちも飲むか?と、アルフォンスと母に訊ねてきたが、二人共首を横に振ったので、父だけ一口、二口飲んで、少し姿勢を緩める。


「お祖父様はなんというか……誘蛾灯のようなところがあったらしい。

 深い仲になったら危険なことはわかっているのに、女性の方から寄ってきて、ついふらふらっとそういうことになっていたそうだ。

 最初の2人が殺された後は、子が出来たら生まれる前にその女性を逃がす、そういう風にされていた。

 王太后が亡くなった今、その子どもたちが出てくることがあれば、今から庶子と認めることはできなくとも、応分の援助を考えなければならんのだが……」


 父が、いつになく言い訳がましい。

 女神フローラを信仰している以上、結婚している相手以外と関係を持つのは本来はNGだ。

 愛人を持つ貴族は珍しくないが、祖父の場合、相手の数が尋常ではない。

 

 一方、母は無の表情だ。

 普通に祖父にも責任があると考えているのだろう。

 いくら女性から言い寄られようが、仮にも国王の立場で避けられないはずがない。


 というか、嫁いでみたら舅+夫と姑がここまで対立しているとか、母も相当苦労したのではないだろうか。

 父ほど祖父に愛着がないアルフォンスは、むしろ母に同情した。


「コンスタンティンの母だけは、お祖父様の方から寵愛されるようになって、念入りに守りをつけて囲われた。

 だが彼女も、30代なかばの若さで、急な病で亡くなってしまった。

 お祖父様は王太后の仕業ではないかと疑い、コンスタンティンも殺されてしまうのではないかと恐れた。

 だから、コンスタンティンを留学というかたちで他国へ出し、王太后が亡くなるまでは決して戻るなと厳命されたんだ。

 ご自身も、ずっと毒を警戒されていた。

 ここまでこじれていたのに、なぜお祖父様と王太后が最後まで夫婦であったのか、私にはよくわからないが」


「……こじれすぎたから、離れられなくなってしまったのでしょう。

 そういうことも、男女の間には稀にあります」


 無の表情のまま、母がそっと言う。

 そういうことなんだろうな、と父は頷いた。


「で、ジュスティーヌの件だ。

 彼女の試論は両方とも、君主の視点から書いたものだ。

 本当は、彼女は王妃ではなく、王太后のような僭主になりたいのではないのか?」


「はいい??」


 思ってもみなかった疑惑をぶつけられた、アルフォンスはのけぞった。


「アルフォンス、君には甘いところがある。

 彼女には特にだ。

 私が女神フローラのもとに旅立った後、ジュスティーヌは君を操り、この国をほしいままにするつもりなのでは……どうしてもそう思ってしまう。

 ことに、王太后の業績をまとめたこの草稿を読んだ後では」


 父はジュスティーヌの草稿を指した。


「そんな!

 そんなはずはありません!」


 思わずアルフォンスは大きな声を上げてしまった。


「試論の件は、王太子教育を受けたのですから、それにふさわしいものを書いただけではありませんか。

 それに、ジュスティーヌがお祖母様に心酔しているとかそういうことはありません。

 お祖母様、伯母上のお話だけで片手落ちになるといけないと、当時を知る人に話を聴いて裏を取った上で、ご覧になった草稿をまとめたはずです。

 誰に訊くのがよいか、ジュスティーヌは母上にも相談していましたよね?」


 すがるように母に振ると、母は頷いてくれた。


「そうです、わたくしも当時を知る確かな者を何人か紹介しました。

 ジュスティーヌはあの方のおっしゃることに疑念を持ったからこそ、わたくしに頼んできたんです。

 あの方に取り込まれたりはしていません」


 父は深々と吐息をついて、眉間を揉んだ。


「……私の、この不安が合理的なものではないことはわかっている。

 私が王太后との関係をまだ整理できていないから、勝手に彼女の影に怯えてしまうのだろう。

 いい年をして、情けない話ではあるが……」


「では、ジュスティーヌで!」


 食い気味に言ったのがまずかったらしい。

 父はぎろりとアルフォンスを睨んだ。


「私がジュスティーヌを歓迎していないと知って、君はそう言うのか?

 家長が自分を歓迎していない家に嫁ぐのは、王家でなくともなかなか大変なことだと思うが。

 彼女の幸せを思うなら、今一度考え直すべきところではないか?」


「いや、あの、その……」


「私は、今でもカタリナの方が王太子妃として望ましいと思っている。

 彼女も彼女で、不羈奔放というかなんというか問題は多いし、よりによってなぜカタリナという名なのかと思ってしまうが。

 王太子教育は終えていないが、王太子妃に必要な教養はもう十分積んでいるしな」


 苦り切った顔で父は言う。

 もしカタリナが別の名前で、大人しいタイプの公爵令嬢だったら、王命としてカタリナとの結婚が決定していたかもしれないとアルフォンスは首を竦めた。


 ちなみに王太后の名前も、カタリナだ。

 この国の初代聖女の名で、王侯貴族にも庶民にも、カタリナという女性は多い。

 アルフォンスは、カタリナが祖母と同名だと意識したこともなかった。


「王太子妃がジュスティーヌとなった場合、カタリナはサン・ラザール公爵夫人と続けて二代、候補となりつつもやぶれたということになってしまう。

 せめて、カタリナ・サン・ラザールには、みずからの意志として王太子妃候補を辞退させよ。

 それをジュスティーヌとの婚約を許す条件とする」


「えっ……」


 アルフォンスは固まった。


「私からは以上だ。

 少し休む」


 言うだけ言って、父は腰を上げると、さっさとどこかへ行ってしまった。


「え、あの?

 父上??」


 後を追おうと腰を浮かしかけたアルフォンスを、母が引き留める。


「良かったじゃない。

 お父様としては、最大限の譲歩だと思うわ」


「母上……

 ありがとうございます」


 母が根気よく父を説得してくれたからこそ、こういう着地点になったのだと気づいたアルフォンスは慌てて頭を下げた。


「さっそく、カタリナに王太子候補から降りるよう頼んできます。

 呼びつけるのもおかしいですが、サン・ラザール家に訪問するとなると、あちらは逆の話を期待しますよね……」


 は?と母は柳眉を逆立てた。


「なにを言っているのあなた。

 カタリナに頼んで退いてもらったら、サン・ラザールに借りができてしまうじゃないの。

 みずから辞退させるように、父上はおっしゃったでしょう?」


「え。

 じゃ、じゃあどうやって……」


「カタリナも、あなたがジュスティーヌを娶りたがっていることはわかっているはず。

 あの子はあなたの顔が好きなだけなんでしょう?

 命がけの恋ってわけじゃないんだから、言い訳を与えれば退いてくれるわよ。

 あまり長引かせて、婚期を逃してしまったら、あちらだって困るもの」


「あ、はい」


 アルフォンスは、母の勢いに呑まれて思わず頷いてしまった。


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