前編
私立桜ヶ丘学園には美少女がいる。
陶器のように白い肌。綺麗な卵型を描いた小さなあご。化粧っ気はないものの、唇はほんのりと赤く色づき、くりくりとした瞳は長いまつ毛に縁どられている。わずかに茶色がかった髪は、胸の高さまで伸び、肩の上でひとつにくくられていた。念のため言うが、地毛だ。
だが、少女の美しさは、その見た目だけに止まらなかった。
常に学年1位を誇る優秀な頭脳、それに、名だたる運動部から助っ人を求められるほどの運動神経の良さを持ち合わせている。教師からの評判も良く、生徒たちからは好かれ、それは時に崇め奉られるほど。
まさしく、『文武両道』『品行方正』『才色兼備』――それが、彼女、万里小路桜子だった。
桜子さんと僕が出会ったのは、4月、入学式のことである。
校庭の隅、一際大きな桜の木の下で、僕らは出会った。入学早々、根っからの方向音痴ぶりを発揮して迷子になっていた僕の目の前に、サッと現れたのが彼女だった。
初めて彼女を見た瞬間、あまりの美しさに、一瞬、桜の妖精かと錯覚した。いや違う、ちゃんと人間だ。よく見ろ、羽は生えていないし、足だってちゃんと地面についているじゃないか。
「1年生?」
鈴の音のような声で、彼女が言った。
「あ、はい、桜木朔也と言います」
「桜木君ね――案内するわ。ついてきて」
新入生を表す『入学おめでとう』の文字が入ったリボン記章(入学バッジ)をつけていないことから、彼女が在校生であるのはすぐにわかった。見かねた僕を1年生の教室まで連れて行ってくれるつもりだろう、と。
だが違った。
彼女が立ち止まった部屋の前には、筆で書いた特徴的な文字で『ミステリー研究会』と書かれていたのだ。
「え?」
見間違い……ではない、確かに書いてある。自慢じゃないが、僕は目だけはいいほうだ。
「あ、あの、ここは……?」
彼女が、振り向きざまに言い放つ。
「桜木君。桜木朔也君、あなたが気に入ったわ。我がミステリー研究会に入りなさい!」
このわたしに気に入られるなんてよっぽどのことよ、光栄に思いなさい、と自信ありげに言う。この人、見た目に思うより、かなりの高飛車なのか……?
「本日より、あなたを、この万里小路桜子の助手に任命します!!」
「は……はああ!?」
いきなり、助手とかいうのに任命されてしまった。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。いきなりですか? 僕達、まだ会ったばかりですよね? ていうか、教室に案内してくれるはずでは……?」
「あら。『教室』に案内するなんて誰が言ったの?」
桜子さんは平然と答える。
「案内するとは言ったけど、それが『教室』なんて、わたしはひとことも言ってないわよ。それにね……君には、なんとしても、うちの部に入ってもらわないと困るのよ。『名探偵』に憧れて推理サークルを立ち上げたはいいけど、全然部員が集まらなくて、1人でも集まらなかったら部活としては認めないって言われちゃった。だから、ね、おねがい」
――わたしに協力して?
目を見張るくらいの美少女に、ガシッと手を握られ、潤んだ瞳で懇願されたら、もう、断らないわけにはいかなかった。
「……じゃあ決まり。これからよろしくね、助手さん?」
万里小路桜子、私立桜ヶ丘学園中学、2年生。文武両道、品行方正、才色兼備な優等生……だけど、なぜか、推理サークルの部長をしている。
どうしてこんなことになっているのか、僕にもわからない。
ただ、この、胸の奥がざわめく感じは一体なんだろう。中学生にして探偵の助手、ちょっと面白そうじゃないか。ハッとして気づいたら、桜子さんのペースにすっかり乗せられてしまっている自分がいた。
私立桜ヶ丘学園には “ちょっと変わった” 美少女がいる。
それが、万里小路桜子、その人だった。
* * * * *
それは、入学して――つまり、僕が桜子さんから強引に推理サークルに入部させられてから、1週間もしない頃の出来事だった。
「ラブレターが消えてしまったんです」
そう涙ながらに訴えるのは、うちの制服を着た少女。その小柄さや顔立ちの幼さからして、初等部の生徒か。桜ヶ丘学園には、初等部、中等部、高等部がある。僕は中学から入学した人間だが、もちろん、小学生のうちから入学する人間だっている。だから彼女もそのクチだろうと思っていたら、あっさりと期待を裏切られた。
「あの、あたし、1年です。中等部の。この顔だから、まだ小学生ですかって言われることはしょっちゅうだけど」
「ご、ごめん……」
同い年だったのか。知らなかった。
「しかたないですよ。違うクラスですもの。5組ですよね? あたしは1組です。1組の木之本つぼみ。ちなみに、この学校には初等部の頃から通っています」
「ぼ、僕は、桜木朔也。中学から入ったんだ。よろしくね」
「はい。よろしくお願いします」
だけど、桜子さんはそんなことには興味もないみたいな顔つきで、さっさと『依頼』の続きを促す。
「……それで、ラブレターが『消えた』って、どういうこと? 盗まれたわけじゃないのよね?」
「ああ……そのことですか……」
つぼみは、溜息をついて話し始めた。
自分には、初等部の頃から片思いしている相手がいること。それが、3年の西御門司先輩だということ。中学に上がったら絶対に告白しようと決意し、手紙を書いたはいいが、書き上げたところで、その手紙が『消えて』しまったこと。
「消えたのは、自宅の、自分の部屋で、手紙を書いた直後のことです。部屋には鍵をかけていましたから、そのあいだ、誰かが入ってきた形跡はありません。本当に、直前までは、そこにあったのです。それが、魔法みたいに、忽然と消えたんですよ。おかしいと思いませんか」
「なるほど。確かに妙ね」
さっきまでは確かにあったのに、いつのまにか、消えてなくなる? そんなことが本当にあるだろうか。
「自分で知らずのうちに移動させてたとか、間違って捨てたとか、そういうわけじゃないんだよね?」
「それはありません。信じてください。あたし、嘘なんて言いません」
そう言うつぼみの顔は、今にも泣きそうで、見ていられなかった。なんとかして彼女を助けたい。どうすればいいのかはまだわからないけれど。
「……わかったわ。この謎、ミステリー研究会が引き受けましょう」
「本当ですか!?」
「当然よ。困っている人を助けるのが、わたしたちの役目ですもの」
わたしたち――ということは、僕もその中に入っているということだろうか。まあいいけれど。
「ここは、わたしと桜木君に任せて、あなたはドロ船に乗ったつもりで待っていなさい!」
「……それを言うなら、『大船』ですよ」
ドロ船だったら沈んじゃうでしょ。
「とにかく、わたしと桜木君がいれば、こんな事件、ササッと解決できるわよ」
早くも先行きが不安になってきた。こんなことで、ミステリー研究会なんて、やっていけるんだろうか。
* * * * *
依頼を受けて僕たちがまずやったことは、木之本つぼみからの『経過報告を待つ』ことだった。
事件は彼女の部屋だけで起こったこと。ほかにラブレターのことを知る人間もいないし、なら、聞き込みをしたところで意味がない。探し回るとしても、彼女が自分の部屋にいたときに『消えた』ものなら、学校や通学路を探したって無意味だ。
「しかし、これで本当に見つかりますかねえ。彼女の家の中で『消えた』のでしょう? 『なくした』のではなく『消えた』と。なんだか、狐につままれたような気分ですね」
「あら、信じてないの?」
「そういうわけじゃないですが……」
そりゃあ、僕だって信じたい。信じてあげたい。けど、どうも現実味がないのだ。
「ご安心なさい。なくしたものは必ず、もとの場所に還ると言うでしょう。きっと今回も大丈夫よ」
そういうものだろうか。
「木之本つぼみは、またここに来るわ。近いうちに、必ず、ね」
それは、桜子さんの勘?
だが、数日後、彼女の予言通り、木之本つぼみはまた現れた。今度はさくら色の封筒を持って。
「見てください。これ、あたしがなくしたはずのラブレターです」
それは、失せ物が見つかったということ? だとしたら、もっと喜べばいいものを。まだ浮かない顔をしているのには何か理由があるんだろうか。
「どこで見つかったと思います? 先輩の――西御門先輩のカバンの中から見つかったんですよ」
西御門先輩。彼女が片思いしている相手の男の名前だ。
「それは……手紙を渡せた、ということ?」
つぼみは首を横に振る。
「違うんです。あたしは渡してません。渡せたらよかったけど……とにかく自分では渡してないんです」
どういうことだ?
「なんらかの理由で、彼女のもとから手紙が『消え』、なんらかの理由で、それが相手の先輩のもとへと『送られた』――そういうことでしょう。簡単な話よ」
桜子さんはそう言うけれど、それがわからないのである。そんな魔法か手品みたいなこと、現実にあるわけないじゃないか。
「あら。その封筒、可愛いわね。雑貨屋さんで買ったの?」
突然、桜子さんが言う。封筒?
「え? ええ……学校の帰りに、たまたま見つけた雑貨屋さんで買ったんです。あたし、数ある花の中でも、桜が一番好きで。さくら色も好きだから。この便箋もお揃いなんですよ」
嬉しいそうに話す様は、さすがは女の子、といった感じである。そういうことに目ざとく気づく桜子さんも、やはり女の子、といったところか。
「へえ。わたしも行ってみたいわ」
「いいですよ。ぜひ行きましょう。案内しますよ」
女の子同士のお買い物。これは男の僕の出る幕ではないな、と思っていると、桜子さんに呼び止められた。
「何言ってるの。桜木君も来るのよ」
「え。いや、だって……」
僕は男だし、可愛い雑貨なんて、これっぽっちも興味ないよ?
「君は、わたしの『助手』でしょう。そして、彼女はわたしたちの『依頼人』よ。ついて行かなくてどうするの」
つまり、これも『依頼』だと。雑貨屋なんて興味はないけど、部活動の一環と言われたら、断るわけにはいかない。
「行きますよ。行けばいいんでしょう」
仕方ない。行くしかない。これが、本当に事件解決の糸口に繋がるかはわからないけれど。