『うつ』について、私が言える全ての事 〜 新たな自分で新年を 〜
皆様今晩は! シサマという者です。
まず最初におことわりさせて下さい。
この作品は2年3ヶ月前、私がこの『小説家になろう』サイトにやって来て、その後2ヶ月程で退職の危機を乗り越え、創作活動が安定してきた頃には既に原案が出来ていました。
あれから2年余り、現在の私はマイペースで創作活動を続けており、急ピッチな投稿も長い沈黙期間もなく、ほぼ遠慮なく書きたいものを書いて、それでいてマイナージャンルの日間ランキングくらいには載る様になっています。
また、60人程の相互ユーザー様をはじめとした交流も出来ており、総合ランキング進出や書籍化に執着していない身として、ある意味理想的で幸せな「なろうライフ」が送れていると言っても過言ではありません。
そんな毎日の中、この作品の原案はホームページの「執筆中小説一覧」の最下層に追いやられているにもかかわらず、今日まで削除される事はありませんでした。
いつの日か、この作品を投稿したい。
しかし、決して楽しい作品ではありませんし、私も色々成長したり迷ったりと、日々の心情も変化しながら時折改稿しており、投稿のタイミングを失っていたのです。
そして私としても、この作品をいつまでも「執筆中小説一覧」に残しておく訳にもいかず、誰かの役に立つ可能性があるなら、自分の気持ちをリフレッシュする意味でも年の暮れにと、投稿を決意しました。
内容的には、個人的な不幸自慢みたいなものではありません。
私と『うつ』に関する記述は、過去のエッセイにも軽く触れているので、この作品では『うつ』との付き合い方、最悪の状況からの脱却について、100%個人の経験から述べています。
まずは結論から。
①『うつ』は一度発症すると、完治する事は一生ありません。
仕事や日常生活の中で、上手く付き合い、出来るだけ出さない様にする事が最高のゴールです。
②とある思考や行動から、『うつ』の予兆は半ば自覚症状となって現れます。
『うつ』の原因となるストレスから自分を遠ざけて、心療内科など、自分の話を聞いてくれる場所で心情を吐露して下さい。
③仕事を辞める、関係の悪い人間から距離を置くなどして、心の自由が確保されたら、薬は出来るだけ早く断ち切る事。
抗うつ剤は、その人が本来持っている繊細な感覚を鈍らせて、心の平穏を保つだけの薬です。
①について
私が初めて『うつ』を発症させてから、約9年の年月が経過しています。
それまでの私は家族や周囲の方々を笑わせたりするのが大好きな、サービス精神の旺盛な人間だったので(笑)、心境や態度の変化はすぐに気付かれ、家族もサポートしてくれました。
当時の私は、大学時代から住んでいた京都市から地元の釧路市に帰省して、新しい仕事を始めたばかりだったので、まだ実家に住んでいた事が早期発見につながった様ですね。
表向き普通に生活出来ている現在でも、仕事で理不尽な扱いを受けたり、事情も知らない人から文句をつけられると、突如として殺意にも似た激しい怒りが沸き上がる事がたまにあります。
しかし、そんな時は家族や周囲の方々のサポートを思い出し、自力で平穏を取り戻せる様になりました。
ただその一方で、見知らぬ他人と同居する不安や恐怖は拭えず、この年齢まで殆ど結婚には興味がありません。
『うつ』と上手く付き合うには、時期を問わずお世話になった人や友達への恩、そして自分の好きな人や物事へのリスペクトを忘れず、普段親しんでいるもの(例:サッカー、ハードロック、カップ焼きそば、エナジードリンクなど)をとことん愛して探求する事が大事です。
要するに、張りつめた気持ちを逸らす対象がいつでもあるという事ですね!
②について
私の『うつ』症状が初めて現れたのは、苦情の電話のストレスに耐えかねて、左耳が聞こえなくなった時でした。
その時の症状は『突発性難聴』と診断され、10日程の入院と点滴治療で完治したのですが、その頃から、ストレス解消の為に買い込んだはずの本やCD、DVDなどに、全く手をつけなくなります。
それから毎日仕事を辞めたいと思う様になり、何か用事を頼まれた時、失敗してもいないのに周囲から責められる妄想が沸き起こり、怒りのあまり職場の人間を殴り倒して警察に捕まり、賠償金を請求されるという、「起こり得るはずもない最悪の状況」を想定してひとり激昂する時間が増えました。
この「起こり得るはずもない最悪の状況を想定する」という行動が出た時、その人は90%『うつ』になっています。
もしこの行動を認知した場合、すぐに周囲に相談したり、心療内科の受診を検討して下さい。
受診経験のある方は知っていると思いますが、日本の心療内科は殆どが3ヶ月先まで予約が埋まっているのです。
まだ冷静な判断力が残っている間に受診を申し込まないと、家族や友達の手に負えない症状になってしまう可能性があります。
症状が進むと、激昂するだけの気力すら失い、お笑いのテレビを見ているのに無意識に号泣していたり、感情と行動のコントロールが出来なくなります。
ここまで来ると、その人が『うつ』になっている可能性は100%ですね。
『うつ』の要因は、様々なストレスが絡み合っている事が殆どですが、やはり一番の要因は「職場や学校、家庭の人間関係」です。
本人には明確な憎悪の対象がいる場合が大半なのですが、自分自身や、特に恨みのない人に対する「後ろめたさ」もある為に、単純に仕事を辞める、学校を休む、家出するなどの「楽な方法」を選び辛くなってしまうのです。
しかし、『うつ』の症状が自覚出来る様になった段階で、その人は他人の目から、既に「あいつおかしい」と見られています。敢えて言葉にしていないだけです。
学校や家庭内の問題であれば、まだ友達や家族の中にひとりは理解者がいる場合もありますが、職場では理解者がいたとして、相談する時間は取れず、職務遂行の上で周囲からやむ無く邪魔者扱いされる事は間違いありません。
例えどんな事を言われても、最低休職、出来れば退職して、ストレスを遠ざけるべきですね。
③について
心療内科で『うつ』と診断された場合、本人が強く拒否しない限りは、抗うつ剤が処方されます。
最初は軽めの薬で、量も少ないのですが、初めて抗うつ剤を服用した時は、その効き目に驚くでしょうね。
しかし、抗うつ剤は現実として、その人が本来持っている繊細な感覚を鈍らせて、心の平穏を保つだけの薬です。
『うつ』症状になすすべもなく、薬に頼り続けていると、やがて薬の量は増えていき、日常生活は眠気が増して感動は薄れ、その反動で薬が切れた時の無力感、絶望感は圧倒的に高まるのです。
食欲がなくなり眠気も失せて、ひとり寝室で暴れる事もあった私は、家族に頼み込んで仕事を辞める事を許して貰い、心療内科で心情を吐露出来た安心感と抗うつ剤の効き目により、暫し穏やかな日々を過ごしました。
しかし、そんな日々が1ヶ月も続いた頃、働いていた頃に買い込んでいた本やCDを思い出して鑑賞してみたものの、感動がありません。
『うつ』になる前は大好きだったジャンルのものだったので、対外的な不安が治まっていた私は、思い切って抗うつ剤の服用をやめてみたのです。
抗うつ剤を断ってはじめのうちは、何となくソワソワして落ち着きませんでしたが、その心境が逆に娯楽を求める要因となり、大好きな本やCDを楽しむ私が戻って来ました。
『うつ』症状をも乗り越える、何よりも満喫したい趣味があるという鮮やかな記憶の勝利としか言いようがありません!
その日から私は、抗うつ剤を完全に断ち、2回目の心療内科の受診で出された抗うつ剤も、念の為に貰っては来たものの、結局捨てる事に。
結果として、心療内科の受診は2回で終わり、半年分処方された抗うつ剤も、1ヶ月分だけ服用した事になりますね。
さて、外見上は『うつ』症状以前に戻った私は、何となく家族からの「回復したらまた仕事探して欲しいニャ〜」という本音を感じ取っていた為、自分の年齢でイチからでも正社員になれる職種として、介護の初級資格を目指す事に。
また、学校に通う間、不安を解消する為のリハビリとして、簡単な短期アルバイトにも挑みました。
私の選んだアルバイトは、早朝の海沿い倉庫の積み荷作業。
言われた荷物をただ積めばいいだけで、特殊な荷物はフォークリフト資格者が運んでくれます。
約3ヶ月の家庭療養期間で、だらしなく弛んだ私の身体は引き締めの必要性が明らかで、同僚の短期アルバイト仲間も元ホームレスや元引きこもりなど、気の合いそうな日陰者感がある人達でした。
当然、肉体労働ですから教育係の社員さんは厳しかったですが、前の職場とは異なり、アルバイト仲間全員その社員さんが大嫌いなので、不気味な一体感がありました。
今思うと、『うつ』症状予防の為には、職場の同僚と早く打ち解ける必要がありそうですね。
私を含めた『小説家になろう』サイトのユーザー様には、建前で表面を取り繕ったり、自分が笑われる事を我慢して笑顔を返さないといけない様な人間関係は、かなり難しいと思いますけど……。
以上が、私の『うつ』症状脱却のプロセスです。
家族のサポートがあった点で、私は恵まれていたと実感していますが、最終的に症状を長期に渡って引きずらずに済んだのは、感性が鈍ってしまう前に抗うつ剤を断った事であると自負しています。
抗うつ剤に深く依存してしまうと、薬が効いている間は激昂する事もありませんが、集中力や行動力が減退して居眠り時間が増えてしまい、一見無気力に見えて、実は心の中で毎日見えない敵と戦い続ける人生になっている事に、気が付く人は少ないですね。
『うつ』経験者である私には、その当事者の辛さは痛い程分かるのですが、未経験者にその心境を理解しろというのは無理な話で、それらを全て理解する世の中を作る事も難しいと言わざるを得ません。
この様な症状に、「甘え」や「努力」という言葉を押し付ける人は私も好きではありませんが、彼等がそう言っている間は、まだこちらの回復を期待している証拠なのです。
私が『うつ』になってしまい、祝い事に参加出来なくなってしまったかつての友達から、「もうすぐ娘が生まれるからもう近付かないで欲しい」と言われたショックに比べれば、古い大人達はまだ情があると感じましたね。
最後に、私個人が気になる事をひとつだけ。
現在の『小説家になろう』サイトに於ける、ランキング(売れ線)の主流にしっかりと根を下ろしている、「(追放、婚約破棄らを含めた)ざまぁ」路線は、その加害者側のキャラクター造型を含めて、まさに「起こり得るはずもない最悪の状況を想定」して、そのままずんずん突き進んでいるジャンルだと感じています。
『うつ』症状の前兆と重なる様に見えてしまうエンターテインメントを、曲がりなりにも辛い過去を克服したつもりの私は書けませんし、書く気もありません。
私と同じ心境にある方は、心のバランスを保つ為に、敢えてそのエンターテインメントに挑戦するべきかどうか考えていただき、挑戦を決めた時は冷静な覚悟を持って欲しいと思いますね。