【狙撃手エルフ】スタニスキー
◆◆◆
「う、ぐ。うう」
気が付けばロズは喧噪から解放されており、優しくもかぐわしい、それでいてほろ甘い環境の中にいた。
ほんわりとしたシルクのような質感が少年の頬に伝わっている。
「これは」
どうやら、それは誰かのひざの上らしかった。
「……どういうこと、だ?」
ロズがつぶやくのと同時に。
「こういうことだ……。ロズくん」
真上を向けば、ワイマの胡乱な瞳が覗き込んでいた。
「な、な、なっ」
「わたしのひざの上」
吸い込まれそうになる美少女の深紅の双眸。それがぎゅっと細められた。
少々、酔いが回っているらしいワイマの目線はまさしく魅惑のブラックホールだ。
そう、今のワイマと同じように泥酔していたロズは、彼女にひざまくらされて眠り込んでいたのだ。
「わっ! な、なんで」
少年は慌てて立ち上がろうとしたが、身体がびりびりと痺れてうまくは動かせない。
ブドウ酒のアルコールが原因か。
や、やばい。
直感でそれを認識する。だが、どうにもできない。
現在のロズは、まな板の上の鯉だった。
「頭を撫でてあげる。なでなで」
そうこうするうちにワイマの手で、少年の頭が優しく撫でられる。
ぶるぶると震えるロズの耳。
「あああああ」
いけない状況だとは分かりつつも、ワイマの柔らかい生ひざの感触とうるわしい手触りで、昇天しそうになる。
「な、なんで」
「わたしがなんできみをひざまくらをしているか、知りたそうな顔つきだね」
ワイマからのこの問いかけに、ロズはかろうじて動く首をコクコクと縦に振った。
当然、ロズはそれを知りたい。
「理由は簡単。……わたしがひざまくらをしていないときみが食べられて死ぬからだよ」
「えっ!?」
この予期せぬ答えにロズの視線がワイマから離れて、晩さん室の窓辺を見据えた時。
「わ、わ、ああああ」
少年は思わず凍りついた。
それもそのはず。
「グルルルル」
開いた窓からは、長く鋭い牙をはやした巨狼が恐ろしい大顎から涎をぽたぽたと落とし、地鳴りのような唸り声を上げながらこちらを覗き込んでいたからだ。
黄金色の目がぎらぎらと輝いている。
「北欧神話とかでは、おなじみの巨狼フェンリルくんですね。何かの手違いで裏庭から入り込んだみたいだ。あはは」
どこからともなくスタニスキーのそんなとぼけた解説が飛んだ。
卓上に食器が散乱しており、みんなフローリングや椅子の上で眠りこけているので、姿こそ見えないがエルフな彼女はどうやら無事らしい。無事で何よりだ丸眼鏡のエルフちゃん……って、それどころではない。
エルフの心配なんかしているどころではなく今のロズはピンチ、そうピンチなのだ。
晩さん会のどんちゃん騒ぎが終わって空の食器やグラスが散らばり、屋敷の酔いどれたちがイビキをかいて呑気に眠る中で、運悪くも腹を空かせた怪物が食事にありつこうと引き寄せられてしまったらしいのだ。
これほどまでに危機的な状況があっただろうか。
ロズはもう死ぬのは嫌だった。
列車事故だけですでにお腹いっぱいなのだ。
さて。
「ど、どうしたらいい」
恐怖で顔をひきつらせながら質問をするロズに対して、ワイマはさもありなんと言った。
「なーんだ。そんなことかー。単純に動かなければいいだけだよ。相手を逆上させて得はないからねー。ふぁーあ」
それどころか口に手をあててアクビをしている始末だ。
なんという余裕なのだろう。
というよりは、むしろ酔いが回っている彼女には、まったく緊張感というものが欠落しているようにしか見えない。
もっとも、そんなロズも今までは呑気にイビキをかいて、ずっと眠りこけていた立場なので人のことは言えない。
そうこうするうちに。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン」
フェンリルが一段と高い鳴き声を響かせた。
これ以上ないほどに腹をすかせているのは間違いない。
「あ、わ。わ。わ。わぁぁ」
ロズは恐怖のあまり目を閉じた。ガチガチと歯の根が震えてうまく合わない。
「アーメン!」
――ドゴォン!
ロズがワイマのひざ上で生存の奇跡を祈る中、怪物の鋭い爪の一撃により、壁が窓枠ごと破壊された。
ガラガラとおもちゃのようにガレキ破片が散らばって、土埃が舞い上がる。
「オオオオオオオオオオン」
フェンリルの勝ち誇ったような、それでいて威圧的な咆哮。
やばかった。
ロズの脳裏では死へのカウントダウンが始まろうとしている。
「5」
「4」
「3」
「2」
「1」
そうこうしないうちに、とうとうフェンリルが悠々としたその巨体を揺らして、宴の場へと進入してきたではないか。
「0だ。あああああああああ!」
スローライフもここで終わり、か。
「……いちいち、やかましいよ」
ワイマが面倒くさそうにロズの頭を叩いた。
だが、これを合図にしたかのように、巨狼はロズたちの方向へと一目散に駆け出す。それはロズの二度目の死を意味した。
「く、来るなーっ!」
少年の泣き声まじりの絶叫がこだまする。
しかし、少年の訴えもむなしく怪物は突進をやめない。
「グワアアアアアアアアアアン」
獲物であるワイマとロズに、巨狼フェンリルが牙をむき出しにして、今まさに飛びかかろうとする刹那。
そんな最期に。
そんな瞬間に。
ロズはエルフ娘の動きを悟った。
散乱した食器の影からの援軍。
すぐそばからマスケット銃が一丁出現したのを、ロズは見逃していない。
スナイパーだ。
ヌッと突き出したその細長い銃身。
「ボクちゃん氏の眠りを邪魔しやがって」
いつの間にかヘルメット代わりに、空のお鍋を被ったエルフな狙撃手、スタニスキーはじっくりとそれを構えた。
どうやら、万が一に備えて持ち込んでいたらしい。
彼女と違って、もはや成すすべのないロズは目を丸くしている。
さて、エルフの銃口はすでに獲物の急所をとらえようとしていた。
一瞬のうちに撃鉄が起こされて。
「……汝の無謀な食欲。地獄でぞんぶんに悔いたまえ」
ついに狙いを定めたスタニスキーは最後の祈りを込めて、マスケット銃のトリガーを引いた。
一瞬のうちに銃口が火を噴いた。
ハンマーによって叩き出された弾丸が火薬の爆発的火力によって加速。それにワンテンポだけ遅れて銃身を大きく震わせていく。
しびれるような発射の衝撃がスタニスキーの肩にびりびりと伝わってくる。
回転して空を裂く弾丸。
ロズの目には、あたかもそれはスローモーションのように映っていた。
一瞬。
いや、永遠か。
けれど、やはり刹那のうちに。
お屋敷でのそれぞれの運命は決した。
繰り出されていた弾丸がフェンリルの脳天にクリーンヒットする。
「グオンっ!」
エルフ自家製の弾丸に込められていた爆薬が着弾と同時に炸裂した。
――――ドドドドドドド、ドンッ!
爆裂連鎖でフェンリルの全身はこなごなに砕け散った。
「「…………うっ」」
ロズやワイマは咄嗟に身を伏せたおかげで、なんとか被害は免れていた。
それにどうやら、エルフの火薬はターゲットを除けば飛び火を最小限にするように最初から工夫、調合されたものだったようである。
幸いながら、お屋敷の調度品や備品などの被害も殆どなかった。
さて、騒動の後。
晩さん室には嘘のような静けさだけが残されていた。
夜霧も晴れて、優しい月明かりが再び照らす頃。
「はぁ……。やった。……へべろけ」
ガシャン、と鍋の落ちる音がして。
酔いどれなエルフは床に崩れ落ちて、「クカー、クカー」と再び寝息をかきだした。
これから救世主は二度寝に入るらしい。
「よ、よかった。助かった……」
いまさらながらロズは安堵する。
危機一髪。……異世界はやはり恐ろしいところなのだ。
いつ何時も気が抜けたものではない、とロズは改めて思った。
そんな中で、
「そういえば、さっきのひざまくら……、す、すまない」
痺れが抜けて、ようやく身体が動くようになってきたロズはむくりと身を起こすとワイマに先ほどまでの無礼を謝罪した。
「……ん、いいさ」
しかし、ワイマから戻ってきたのはそんな気のない返事だった。それどころか。
「……あう」
上体だけを起こして、ふらふらしていたワイマの身体も、ふっと力が抜けたようにその場に崩れた。
「……もう少し頑張りたいけれど。ごめん、ロズくん。お先に落ちます」
それだけ言い終えると。
どうやら疲れと眠気は限界に達したようで、校閲屋の少女はスー、スーとその場に丸くなって小さく寝息を立て始める。
その寝顔はいつになくあどけなく、どこにでもいる純粋無垢な15歳の可憐なそれだった。
「ワイマ……」
ロズは彼女の寝顔を覗き込みながら、自分のために必死でフェンリルから守ろうとしてくれたことを感謝した。
それが例え、ひざまくらという少し不器用な形であれどロズには嬉しかったのだ。
彼女やスタニスキーのおかげでいまロズは異世界での命を繋ぐことができている。
「ありがとう。そして今夜はおつかれ、2人とも」
そんなつぶやきだけを残して、ロズは窓から月をじっと眺めた。
長い、長い夜は更けていく。




