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お屋敷の校正研修

 ◆◇◇


 さて、静かになった大図書館の片隅でさっそくロズのための研修が始まった。

「では、ロズ。研修を始めるよ」

 まず、ワイマが微笑しつつも、ハンドブックの索引についてロズに優しく教授していった。

 目次の見方。

 正しい常用漢字の判別。

 使えない言葉や差別用語について。

 異世界の地名一覧ほか。

「なるほどね」

 少年は頷く。

 それこそ目から鱗の連続である。

 この研修室から出るためには、校正術や校閲術はもちろんのことだが、それだけでは許されずに専用端末を用いたハイライト紙面の簡易な編集技術までを身に着ける必要があった。

 一時間。

 一日。

 二日。

 三日。

 一週間。

 一か月。

 時間の感覚は消えた。ロズの周囲から嘘のようにそれらは過ぎ去っていく。

「おさらいしようか、ロズくん。まずは――」

 担当講師はある時はワイマで。

「ロズよ。ハイライト面の校閲で大事なのは時系列なのデス! それを忘れるなデス」

 またある時はグリモワルスで。

「ロズ様。コラムというものはあくまでもそのコラムの筆者に主権があります。だから私たちの校正や校閲は必要最小限に留めるのが好ましいですね」

 またある時はフランチェスカだったりした。

 それらの時間はある時は新鮮で、ある時は悔しくて、またある時は感動に満ちていたように思える。

 あっという間に時間だけがロズをその場に残して吸い取られていくような感覚が続く。

 ある日の晩。

 結局、その日も帰らせてもらえなかったロズは、ワイマたちに与えられた特殊な円卓で言われたとおりに校閲に取りかかろうとしている。

 校閲素材などは、2人の女子とグリモワルスの手によってすでに揃えられていたので、ロズとしてはそれを使って出来る限り上等な校閲をやるのみだ。

 まぁ、手抜きすることもできないわけではなかったが、それは見習い校閲者としてのプライドが許さなかった。

 さらに、ロズは近いうちから、いきなり始まるかもしれない異世界新聞制作に巻き込まれたわけだ。ここで、最大限に技術を発揮しなければ次の、次に行われる活動くらいには、ああ、たぶんやる気ないな、と疑われて、この世から姿を消している可能性もある。いま、こうして、この図書館の埃っぽい空気を存分に吸い、生きていること自体がポルトガルのファティマ大予言に次ぐ、奇跡なのかもしれないのである。

 そんなことをロズがぼーっと考えていると、いきなり扉のひとつが開いた。

 時間的に幼女なグリモワルスはないとして、フランチェスカと迷うところだが、ワイマに500円でファイナルアンサーといきますか。

 ……そこにはいたのは。

 確かにワイマだった。

 手には木製のお盆。

「お風呂からあがったので、ロズくんの様子を見に来ました。これは差し入れのクッキーと冷たいミルクだよ」

「ありがと」

 ロズは薄い笑みを浮かべて、彼女から手製のチョコチップクッキーと冷たいミルクを受け取った。こういう気配りが出来るのは素晴らしいことだ。いまが研修中でなかったらなおよかったのだが、とロズは思う。

 さて。

「進捗の具合はどう?」

 風呂上りのせいか、シャンプーのいい香りがするワイマはロズという新人校閲の参入が待ち遠しそうな表情で尋ねてきた。

「なかなかのものだよ。おそらく、きみたちの予想通り、いやそれ以上の活躍をするだろうね、研修終了後の僕は。……まぁ、冗談だけれど」

「ふふ、楽しみだね」

「ところで」

「はい?」

「フランチェスカたちと話しているのを偶然、聞いたよ。明日は何か活動の予定があるみたいだが、具体的には何をするつもりなんだい? さすがに谷崎潤一郎やフランツ・カフカの食生活から紐解く近代思想の研究についての朗読会ではないだろうに」

 ロズは、その活動を翌日に控えるワイマを刺激しないように、慎重に言葉を選んで訊いた。

 ちなみにパラレルワールド的な要素もあって特定の人々や偉人は異世界にも存在しているらしいから問題なく通じるブラックジョークだろう。

 それに対するワイマの回答は、

「ふふ。実は期末テストを行うんだ。これでロズくんが合格か不合格かを選別するんだよ。それは魔王の直々に認可する試験でもあるんだから頑張って突破してね」

「なに」

 それは少年の予想を超えるものだった。

 まず、魔王といえば異世界の権力の象徴だ。すなわち、異世界政府が手塩にかけて製作したそのテストで赤点を取るということは、正常な異世界スローライフとの決別を意味する。

 加えてロズは独特な主張をするワイマたちとの生活があながち楽しみじゃないというわけではなかった。

 むしろ、3人との異世界スローライフを満喫してみたかった。

 が、背に腹は代えられまい。

 テストを受けなくては。

「図書館を何度も利用しているから気付いているかもしれないんだが、図書館のオルゴールの音色は特定の時間にだけ流れている。これは重要な試験が近いことを知らせる合図でもあるんだ。だから、あれこれ考えずにそれを頑張るだけだよ。ロズくん」

「へぇ、いいんじゃない。耳にするところの、期末テストに合格すれば一定の力量を認めてもらえる。それは僕としても大歓迎以外の何物でもないだろう?」

 もはや、この頃になるとロズはワイマたちの前では、思っても無いことを言って、やりすごす戦法を身に付けていた。

 ここであーだの、こーだの言って魔王の怒りを買い、吊るされるのだけは勘弁なのである。 

 とりあえず明日の朝日くらいは拝みたいと少年は願う。

「それ、本気で言っているのか?」

 気がつけば、ロズの目と鼻の先にワイマの顔があった。近いって、おい。

「もちろんだとも、疑うのかい? この僕を」

 ここで、先の心理戦を想定したロズはあえて強気の選択に出た。

 するとワイマの反応は意外にも。

「……いや」

「そうか」

「ただ、嬉しくてね」

「む?」

「ロズがわたしたちの意思に賛同してくれて、なおかつわたしたちよりもこの状況を愉しんでいるようにすら感じられることが」

「そいつはどうも」

「一体、どこから生まれるんだい? その余裕」

「……まぁ、それについて話せば千夜一夜物語のロック鳥の話より長くなるんだが、大丈夫?」

「夜が明けちゃいますね」

「まぁ、一言で収めることもできるよ」

「どうぞ」

「そこに校閲に関するロマンがあるからだよ」

「か、かっこい。もっと聞きたいくらい、だ」

「もちろん、聞かせてもいいよ。ただ、ワイマ。その前に」

「なんだ?」

「パジャマくらいは着てきなよ。さすがに、下着姿の女の子の前で、熱弁をふるうほど、僕は腐っていないぞ」

「わーーーーーっ」

 意外とおっちょこちょいなワイマール・ワイマ。彼女はようやく気付いた。

 そう、風呂上りの少女は縞模様の下着一式しか身に着けていなかったのだ。新手のセールス勧誘かと思ってロズが身構えるのも無理はない。

 あわてんぼうのワイマの顔はみるみるうちに赤くそまっていく。

「はてさて。で、話を続けるとだね」

 ロズはいたって、冷静に振舞おうと努めたがその必要すらなかった。

 何故ならば、次の刹那には、もはや図書館から彼女の姿が消えていたからだ。

「あらら、早い。早い」

 ロズは苦笑いした後に、異世界産の冷えたミルクを取ってゆっくりとすすった。

 何はともあれ見習いとしてのロズの業務は今夜中には終わりそうだ。ちなみに、この国中探しても、ロズより腕の立つ見習いは存在しないと思い込みたかった。仮に存在したとしても品質ではロズの上をいくことはできないと。実際に異世界中を探して回ったわけではなのだが……。気持ちだけは強く持つべきだろう。

 そんなことをかすかに脳の片隅に置いて、ロズは校正ペンを走らせた。

 インクの先の特殊金属と、羊皮紙のこすれる音がシャープに響きわたる中で、夜は更けていく。


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