【お屋敷メイド】フランチェスカ
続けてページをめくる。文化面はコラムと小説がメインのようだ。
それは平和なコラムだった。筆者の異世界旅についての記録といったところか。
なお、今回のそれは異世界のイモ農家に一週間ほど密着取材して書かれたもののようだ。
筆者の名前は、ワイマール・ワイマ。
なるほど。
「……って、え! ワイマール・ワイマ!?」
思わずロズは大声を上げてしまった。
「そう、わたしだよ」
ワイマは否定しなかった。
それどころか彼女の双眸からは悠然とした輝きが見てとれた。
「イモ農家に一週間密着してきたよ。農作業のお手伝いもさせてもらった。農家の裏山で土龍が出現して命からがら逃げ出したんだっけ」
ワイマがそう言い終えると、今度はフランチェスカが静かな口調でコラムの執筆というものについて補足した。
「ワイマお嬢様や私やグリモワルスは異世界旅の短いコラムを執筆することがあります。依頼がくれば時には皆で、時には単独で異世界各地に取材に赴く必要があるのです。当然、コラムといっても内容が薄いものは新聞に採用されません。委託された役割のひとつとはいえ取材は不可欠なのです」
「なるほどね。コラム執筆……、取材……。なかなかに骨が折れそうな仕事だ」
ロズはかりかりと指で顎をひっかく。
「まぁ、こればかりはいつ何時依頼がくるかはわかりません。なにぶん、不定期の連載ですし場合によっては私やお嬢様やグリモワルス以外の者が担当することもありますが故」
「ほうほう」
あいまいにロズは相槌を投げた。
相変わらず扇風機は冷んやりとした風を送り続けており、書架の本たちは難解な視線を投げかけ合っている。
少年は夕刊をさらにめくる。
ラテ欄。ハイライト面。
その日に配信されるテレビ番組をピックアップして、その概要が掲載されている。
これは直接、グリモワルスたちが編集や校閲をしていくのだという。
いや、こんなに難しそうなハイライトの編集をどうやってやるんだよとロズは困惑したがとりあえず、残りページをめくって後に聞くことにした。
最後は四コマ漫画と社会面の事件記事など。
殺人事件はないが、殺龍事件と鋼の剣の窃盗事件について。
それぞれ異世界らしい事件の顛末となっていた。
ワイマによると、このあたりの事件記事については専門の部署で作られるので単純な校閲として目を通せばよいということだった。
ハイライトと違って、わざわざ端末で編集作業をする必要はないとのこと。
「なるほどね。記事校閲か……」
ロズはひとつ溜息をつく。
もちろん、言葉は聞いたことがある。しかし、記事校正や校閲をしたことはおろか。
それぞれの違いさえ彼にはまだよく分からないのであった。
「ロズくん。きみには研修を受けさせる必要がある」
ワイマはとても静かに言った。
「そーデスね。頑張れデス、ロズ」
こくこくとグリモワルスが頷く。
ロズはやれやれと額に手をやった。冷たい汗がにじんでいる。
◆◇◇
カツ、カツ、カツ。
コツ、コツ、コツ。
トッ、トッ、ト。
カツ、コツ、カツ。
不規則な足音が4人分。お屋敷の地下へと続く薄暗い階段を下りていく。確実に。
4人の先頭を行くのは、淡い光を灯すランタンを手にした熟練のメイド娘だ。
メイドの名はフランチェスカ。それは今も変わらずこの先も変わらない。
「…………」
それは無機質かつ無言な彼女の性質と相まって、不変的なものだろう。
ただし、これから地下へと続く石段は不規則にその形を変えていくようにも思える。
「……ロズ、校正と校閲の違いとは何デスか?」
石段を下りていく途中、擬人化ハンドブックのグリモワルスはロズのほうを振り返り、静かな口調で問いかけた。
少なくとも、無知でなおかつ混乱の途上にある少年にとっては難しい質問だ。
だが、あえて答えてみる。
「シンプルに、事実確認が含まれるかどうかの差じゃないのかい?」
ロズは苦笑しつつも、先を行くグリモワルスの解答を待った。
しかし、幼女の戻した言葉は。
「……うむ。すごーく大まかにはおまえの言う通りデス。校正は制作上のミスを拾う作業なのデス。校閲は意味と文字を読む作業なのデス。ただし、校閲はさらに分解できますデス。言ってみてください。目的地に着く前に正解したら研修は短縮、あるいは免除しますデス」
「面白い」
ロズは一瞬、考えて相応の答えを出そうと試みる。
しかし、それは無駄な足掻きだった。
もはや何かを考えるには、彼はあまりにも疲れていた。
疲れ果てていた。
「残念ながら、分からないな」
ロズはさじを投げた。
「オーケーなのデス」
すると、グリモワルスは口端を少し緩ませた。
「校閲は素読みと事実確認に分解できます。素読みは記事、原稿を読み誤字や内容の矛盾など、さまざまな間違いを炙り出す作業デス。一方で事実確認は素読みをさらに掘り下げたものデス。これは素読みをさらに掘り下げて実際に記事に書かれていること(異世界の地名や固有名詞、モンスター等のデータ類)が正しいかを調べて確認する作業デス。このようにして客観的な事実確認を行ったうえで本部にデータをフィードバックするのが我々の本来の役割と言えますデスよ。ロズもまずは研修でしっかりと基礎を学ぶのデスよ」
闇とランタンの光だけが交差する中で、幼女から差し出されたのはそんな言葉だった。
ロズはぼんやりとした光に照らし出される研修室の入口を確認して、目を細めた。
「到着いたしました」
フランチェスカは短く言うと、ガシャリという音をたてて鍵穴にキーを差し込んだ。
ギ、ギ、ギ、ギ、ギ。
開かれる鉄扉。
あふれ出すまばゆい光。
「なんだっ。ここは」
ロズは研修室の光景に思わず目を見開いた。
そこは研修室と呼ぶにはあまりにも広すぎた。
そして、中世の巨大な図書館を連想させるような場所だった。
ついでに、4人が入室した場所が正規の入り口なのかどうかさえ定かではない。
巨大図書館……、ではなく研修室にはいくつもの出入口が存在していた。
ぎっしりと並んだ書架の向こう側には、いくつもの抽象画やツボなどの調度品が一定の感覚で並んでいる。
おまけに驚いたのはそこにたくさんの種族の者たちがいたことだった。
ロールプレイングゲームの世界で見かけるような中世ヨーロッパ風の服装をした中流階級とみられる男や女たち、甲冑を着た騎士たち、エルフのように長い耳を持つ受付の女、コーヒーを手にして談笑するリザードマンとドワーフ、猫のような着ぐるみを着込んだ者やカボチャの頭をしたジャック・オ・ランタンのような者までが一同に会している光景。
「ここは研修室デス。とはいいつつも異世界の扉で連結させた巨大図書館を、グリたちが間借りする形なのデスけれど、うるさい場所でごめんなさい」
そう言った、グリモワルスのとんがりぼうしが申し訳なさそうに萎れた。
「な、なるほどね。ここは異世界の図書館だ……。確かに」
最初、ロズは入室をためらっていたが、やがてワイマたちの手引きによってその空間に足を踏み入れる。
「小林ロズです。少し失礼しますね」
さて、軽く頭を下げて少年が研修室に入るや。
「ヒヒヒヒ、この世界の新参者か!」
ロズの姿を目にしたカボチャ頭のジャック・オ・ランタンがカラカラと頭を揺らして叫んだ。
「なんじゃ、もしかして食糧用の人間か」
「やせぎすの人間なんか腹のたしにもならねえなー」
「どうせなら、女を連れてこいなのニャ。それこそ、第二のワイマちゃんのような人間を」
その声に触発されるように、ドワーフやリザードマン、ケット・シー(妖精猫)などのからかいのヤジが続いた。
するとワイマは呆れたような瞳で、それらの異種族連中を睨みつけ、
「……静かにしろよ。三流の異種族ども」
短くそう言い放った。
「……く」
「…………仕方あるまい」
「…………さーて、勉強。勉強」
すると途端に図書館からぎらぎらとした緊張感は消え去り、ざわめきも収まった。
まるでそれまでが嘘だったかのような静けさが舞い戻る。
皆は何やらイソイソと書物を広げたり、まったりした談笑の輪に戻っていった。
「ど、どうして」
ロズはこれにきょとんとして佇んでいたが、すぐに傍らのフランチェスカが補足する。
「……ロズ様。実は、ワイマお嬢様はこう見えて、異世界で絶大な権力を持つ魔王様の庇護のもとにあられるお方なのです。ですから、異世界の住人は迂闊にお嬢様に手出しすることはできませんし。万が一、そういう者が現れた場合にはすぐに私が始末することになっております。なので、ご安心くださいませ」
「なるほどね。どうりで」
「はい。そういうことになります。説明が遅くなってしまいまして申し訳ありません」
「いやいや。気にしないよ」
「はい」
この一言の後に、ふんわりとした印象の栗髪が揺れて、お屋敷専属メイドの表情なき瞳は静かに伏せられたのだった。