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お屋敷校正たちの日常奇譚  作者: 五川静夢
第五章(ちょっと一息。番外編)
31/43

グリモワルスの回想

◆◆◆



 小鳥のさえずりが絶え間なく飛び交い、心地よいそよ風が草木を揺らすサァサァという音がした後に、

「我が輩からの救済は完了だ。命拾いしたよね、君たち」

 響いたのは、グリモワルツのあたかも子守唄を聞かせるかのような柔らかな声だった。

 冷たいそよ風がウォルターの頬を撫でて、彼はゆっくりと瞼を持ち上げる。青年の傍らにいたのは、やはりグリモワルツだ。そして驚いた様子で周囲を見渡す相棒リガーネの姿もすぐに見つけた。

「それにしても、ここはどこだ」

 ウォルターは、リガーネと同じく驚きながら周囲をきょろきょろと見回すが、そこに広がっていたのは確かに先ほどまでいたアルテスの神殿とはまったく違う。短い草木が茂った単なる平原である。

 遠くには、大きな湖面があり丸木の船がぷかぷかと数隻ほど浮かんでいるのがぼんやりとだが見て取れる。しかし、本当にワープしてきたのだとしか言いようがない風景だ。

 ……まさしく地獄からの生還、命拾いとはこのことであろう。

 それにしても本当にここはどこなのだろうか。いったい、アルテスの農業都市からどれくらいまで離れてしまったのだろうか。ふ、とそんな思いがウォルターの脳裏をよぎる。

 それを察したかのようにグリモワルツは彼に、柔らかな声音を添える。

「ここは田園都市ユラユタのそばにある湖畔だよ。アルテスからはそんなに遠いところではないよ。あそこに戻ろうと思えば戻れる距離の場所さ。歩けば丸まる一日を消費するけどね。なにぶん、魔法陣の転移先は我が輩に選択権がないのでこんなところに飛ばされてしまったっていうわけなの。こんな説明でオーケーでしょうか?」

「オーケーだよ。なんとなくは理解できました」

「うん」

 リガーネの返事にウォルターも追従するように首を縦に振っておく。どうやらここよりとんでもないところに行く可能性もあったというわけらしい。だが、まぁ命を失うよりはずいぶんありがたいことだ。

 命、生命、そう不死。あ、不死書。

「そ、そういえば不死書の断章がシュレッダーで粉砕されたんだった! バンクシームのやつめ……」

 あの時の悲劇を思い出してがっくりと肩を落とすウォルターに、「そうでしたね」とリガーネは同意する。

「わざわざアルテスの最深部にまで探索に行ったのに、苦労が水の泡でしたね。まぁ、おかげでグリモワルツに出会えたことに感謝しましょうよ、ウォルター。スーザさんの件や断章については本当に残念無念なのですが……」

「……そうだな」

 リガーネの発言にウォルターは悩まし気な表情を浮かべながらも頷く。

「君たちは勘違いをしているのではないかい?」

 そんな折に、グリモワルツは優しい声で2人にそう問いかけた。

 魔道書は続ける。

「我が輩を見くびってもらっては困るよ。君たちが想像するほどに我が輩はまぬけではないぞ。むしろ、我が輩は抜け目がない魔導書だ。その証拠に……ほら」

 グリモワツがチッ、チチと指を振ればその先に『錆び色の羊皮紙』が一枚ふわりと現れたではないか。

「これってさ、君たちのお探しの品ではないのですか?」

 グリモワルツのどこか眠そうだったブラウンアイズが一気にぎゅっと見開かれた。

 同時に、この魔導書の口元はにぱーっと緩む。

 羊皮紙に並ぶ儀式小説の文字列は、まさしく不死の断章である。

 それが今ついにウォルターたちの目の前に……。

「なっ! グリモワルツ。どうしておまえがそれを……。その断章はあのとき確かに額縁に仕掛けられたバンクシームのシュレッダーによって消失したはず」

「ですよ。ですよ」

 ウォルターもリガーネも、この予想だにしない展開に驚愕する。

 この反応に対してグリモワルツはふふん、と2人をせせら笑った。

「あれはレプリカな。本物はこちらなのだよ。あの神殿に立ち寄った時に我が輩は魔術を用いてレプリカと本物を入れ替えた。ちなみに今回の断章の場合、レプリカはいくら読み込んでもレプリカに他ならないのだから意味はなさない。ときに例外こそあるが、我らのヒーラ細胞はレプリカでは活性化されないようなパターンも多いのですよ」

「なるほどな。さすがだよ、グリモワルツ……。ところでヒーラ細胞っていうのはなんだ? まずそこから俺的には理解が追い付いていない」

 ウォルターのこの発言に対して、「そっか。まだ細かい説明をしていませんでしたね」とリガーネは目を伏せてゆっくりと解説を開始した。

「ヒーラ細胞はわたしたちの身体にそれぞれ存在している不死を司る細胞です。この細胞はいまだに未知の部分が多くて、解明されていない点も多々ありますが、どうやら世界人類たちはほとんどがこの細胞を有しているようです。けれどもこの細胞は普段は眠っている状態で、それを自らの意思で個々人が解放することはできません。どうやら、これは一定のドーパミンが中枢神経系から分泌されることにより、活性化されるもののようで、これこそがヒーラ細胞の性能を唯一、解放できる条件なのです。不死の断章は読書した者の脳に特殊なドーパミン成分の発生を促すような文字列が寸分の狂いなく配列されています。そして、これによって生じた特殊な神経伝達物質はヒーラ細胞に直接的に作用して、死を和らげて緩和してくれるのです。ちなみに死を和らげるとはいっても、完全なる不死ではないので一定の枚数の断章を、一応の死者であるわたしは読み込んでいく必要があります。と、こんな感じかな」

「リガーネ。解説すごく分かりやすいよ。ありがとう。要するに断章を一定期間のうちに読み込んでいかないとならない理由は、そのヒーラ細胞とやらを活性化し続けなければならないからってことでいいんだよな」

「その通りです。ウォルターよ」

 リガーネの解説をちゃんと理解してくれたらしいウォルターからの賛辞。これを受けて、不死の少女はにっこりと微笑んだ。

「でも、さっきのグリモワルツの話を聞く限りでは不死書の複製ではダメなんだよな……? 不死書は原書の断章をきちんと収集しなければならないというルールがあると……。なら、どうしてリガーネは最初に俺と出会ったとき、棺桶に職人が彫り込んだ文字列だけで蘇生できたんだ?」

 ウォルターからの問いに対して不死の少女は「ああ、あれですね」と口を開く。

「あれはそういう形式の断章だったんですよ。不死書には条件付きで複製可能なタイプのものも存在するのです。あれの場合は不死書の断章が手元に存在していて、月明かりが文章を照らす際には死者蘇生の効力を発揮するのです。複製か原書かは問わずにね。ちなみに死者蘇生の効力があるものは、ヒーラ細胞活性化能力も同時に有していますから大変お得です。入手難易度はかなり高いのが難点ですが。フフフ」

「そういうものもあるのか。興味深いな。ともあれコレクションするぶんには面白そうだ」

 青年は、「ちょっと、見てみたいもんだぜ」と苦笑した。

 すると、

「よきですよ」

 との返事。

「え……、いいの!?」

 どうせ無理だろうと高をくくっていた青年の意に反して、リガーネはあっさりと今まで収集してきた断章コレクションを見せてくれた。

「よいしょっと」

 担いでいたリュックから彼女が黄金色の分厚いファイルを取り出してバサっと開く。

 と、そこには錆色の羊皮紙が7枚ほど重なっていた。

「……すごいね」

 これら一枚一枚が壮大な冒険の成果だと考えると、ウォルターは息をのむほかにない。というよりもびっしりと羊皮紙上に記された不死の文字列に独特の存在感を感じたせいでもあろう。

「まだまだです。枚数が全然たりない……」

 そんなウォルターを尻目に、リガーネはどこか不満げな声を漏らすのだった。

 すると、様子を見ていたグリモワルツがついに動いた。

「リガーネ。安心するといい。……我が輩の断章は1枚、君に差し上げるよ」

 その言葉を最後に魔導書幼女は二人の冒険者に微笑する。


 ◆◆◆


「いま、あいつらはどうしているのでしょう。不死書の原典は果たしてみつかったのかしらデス」

 お屋敷の窓辺で頬杖をついてかつての『グリモワルツ』だった娘は過去を懐かしむようにつぶやいた。

「グリモワルス。ここ、教えてほしいところがあるんだけれどさ」

 そして慌ただしくするお屋敷の中からの彼女を呼ぶ声にさっと、振り向くのだった。そこに立つのは小林ロズだ。

 グリモワルツはかつての旅のパートナーだった青年の姿をロズに重ねて嘆息した。

「やれやれ」

 と……。

 そしてまた慌ただしい日常に身を投じる。

「こんな日常に幸あれデス」

 魔導書娘は小さくつぶやいた。


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