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フランチェスカの依頼

  

《第三章》



 ――――ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴ。

 一定の速さで規則的に水が流れ続けている。

 その昼下がり。

 異世界における西の地峡『ラグラ』と東の地峡である『ネウス』をバイパスする広大なる『リーザ・ウォーターズ運河』はいつもと変わらぬ穏やかな流れを保っていた。

 この運河は『ネウス』地峡の大石油王として名高い『メド・ウォーターズ公』の一人娘である『リーザ』が巨額私財を投じて、その開発、建設を援助したことでも知られており、そんな彼女の名を冠したものとなっている。

 さて、ゆっくりとした速度でその巨大運河を進んでいくのは一隻の舟である。

 心地よい風ながらも、強い日差しが差し込む中で、

「ねえ、もっとスピードはでないのかしら。遅すぎるってば。これじゃあ、フランチェスカたちのチームにうまいこと合流できないよ?」

「わ、わかったよ。ただ、これでも僕なりに充分、力は入れているんだって」

 少女に言われるままに、少年は必死に力をいれて木製のオールをこいでいた。

「やれやれ。水の流れに逆らってないのがまだ不幸中の幸いといったところ、かな」

 麦わら帽子を深く被って、いまひとつ嘆息した少女はワイマール・ワイマ、その人だ。

 そしてオールをこいでいるのは、言わずもがな小林ロズである。

「まだまだ非力だねー。ロズくんは」

 ワイマは愛らしく微笑みながら口元に指を当てる。

 そして、持参していた難解な書籍に再び目を落として読み始める。

 涼風が、麦わら帽子から伸びる彼女の黒髪をさらさらと揺らした。

 ロズはがっくりと肩を落とし、事の発端を思い返す。

「どうして、こんなことに……」

 そう、ロズとワイマが異世界巨大運河の真っただ中を舟で移動しているのにはちゃんとした理由があるのだった。

 それは。


 ◆◇◆


 日を逆のぼることたった一日、昨日の朝。

 いつもどおりロズはお屋敷の二階に貸し与えられた自室のベッドで寝転びながら読書を楽しんでいた。

 ここまでは、何の変哲もない一日であった。

 コン、コン、コン、という扉をたたく音。

 だが、このノックを受けたことにより少年の運命は大きく変わることになった。

「なんだろう」

 ロズは読書をやめて立ち上がると、すぐさま扉に向かう。


 ――ガチャリ。


 扉を開けるとそこにいたのは。

 頭にカチューシャを付け、細身にぴったりとフィットした淡い色合いのエプロンドレスをまとった、屋敷のメイド娘……そう、フランチェスカだった。

 いったい、何の用なのだろうか。

 しかし、ロズが考える間もなく、フランチェスカは口を開いた。

「ロズ様。早朝から失礼いたします。実はロズ様に込み入ったお願いがあるのです。ここでお話するのもなんですので、よろしければ一階の客間まで下りてこられてください。なにとぞよろしくお願いいたします」

「あ、うん」

「では。また後ほど」

 フランチェスカは微笑して、そう言い残すと階下へと姿を消した。

「いったいどうしたんだろうな」

 ロズは不思議そうな顔で首を傾げながらも途中まで読んでいた本を棚に戻した。

「…………」

 そしてベッドに腰掛けたまま、無言でフランチェスカからの『お願い』とやらについて、思い当たる節を考えてみようとした。

 当然ながら答えはまるで出てこない。

「とりあえず行ってみるか。それが早い」

 少年は手早く部屋の掃除を済ませると、フランチェスカのいる客間に向かった。


 ◆◇◆


「――ええと、ロズ様。突然の報告になり申し訳ないのですが、私たちお屋敷住人6名全員でこれから異世界取材旅行に赴くことになりました。つまり、お屋敷は当分の間ですが空けることになります。留守中のお屋敷には防犯用の魔法陣を張る予定ですので、それを解除するまで入館はできません。くれぐれもお忘れ物のないように、ロズ様には旅支度をお願いしたいのです」

「えええ……」

 客間に着くなり、フランチェスカから告げられた予想だにしない言葉にロズは驚愕した。

 それだけではない。

「すでに他の皆さんには私から報告を済ませていて、それぞれ準備はできておられるようなのでロズ様のほうでも協力をよろしくお願いします」

「えーっ! そうなのか。うーむ……」

 二重の驚きだった。

 フランチェスカからの報告を受けて、まだパジャマ姿のロズは未だに直っていない寝癖を揺らすことしかできない。

「でも、返事はしかねるな。僕にだって心の準備ってもんが――」

 少年が渋い表情でそう言いかけたところで、フランチェスカはすかさず遮る。

「ロズ様、もう他の皆さんは支度を終えられているのです。いまさら何をおっしゃるつもりですか! それに、今回の取材に関しては新聞制作ギルド本部から直々に通達されたものなので、断ることなどできそうにありません。あ、強く言いすぎましたね。ごめんなさい……。では、もう一度お願いしますね……。行っていただけますね、ロズ様?」

 お屋敷メイドの言葉遣いは丁寧ながらも、そこには、もはやロズに四の五の言わせない程の強制力しか感じとれなかった。

「わ、分かったよ」

 仕方なしにロズは首を縦に振る。

「ありがとうございますーっ」

 それを聞いた途端にフランチェスカの表情は、ぱっと花が咲いたかのような明るいものへと変化した。

 先ほどまでとはうって変わって、なんと嬉しそうな笑顔なのだろうか。

 違う意味で恐ろしい。

 だが、一つ大事な部分を聞き忘れていたことにロズは気が付く。

 そう、異世界取材旅の目的である。

「フランチェスカ。それで、いったい。その異世界取材旅の目的はなんなんだ? それをまず教えてくれよ」

「あ、それもそうですねっ! 私としたことが……。完全に失念しておりました。これは申し訳ありません。えーと、ですね」

 ロズのこの発言を受けてフランチェスカはハッ、とした顔つきになり、すかさず補足をし始めた。

「今回の異世界旅の目的。それはいま私たちのいるお屋敷がある西の地峡。通称、『ラグラ』とこれまた東にある地峡『ネウス』をバイパスしている巨大運河『リーザ・ウォーターズ運河』の建設、開発の立役者である『リーザ氏』への取材です。取材した原稿を元にして、異世界新聞の夕刊、文化面コラムを創って、それをページのメインに持ってきます。これは売上アップに大きく貢献するのではないかと新聞制作ギルドの担当者たちは目論んでいます。そうすれば当然ながら、お屋敷の私たちにもたらされる報酬も大きいものになります。つまり互いにイーブンを作るための取材。それが今回の大きな目的となります」

「ふむふむ。なるほどね。案外、普通の取材になりそうだな。安心したよ。リーザっていう人がどんな人物か、僕はよく知らないけれど。新聞の取材ってことなら快く許可を出してくれそうだな。よかった……」

 ロズが胸をなで下ろしかけた時。

「それが、そうも簡単にはいかないんですよ。ロズ様……」

「え……。そうなの?」

 嘘だろ、とばかりに目を大きくしたロズに対して、フランチェスカは静かに頷く。

「はい。そうなんですよ」

 お屋敷メイドの蒼い瞳には、いつしか冷たい光が宿っていた。

「リーザ氏の別名は、『ウォータードラゴンの魔女』。父親から巨万の財を譲り受けた大資産家ながらも、彼女の素顔はベールに包まれています。彼女が行う活動などはすべて現地の『ウォーターズ財団』によって、何かしらの媒体を介した指示の下で遂行されている様なのです。つまり、表舞台に本人が出てくることはまずないのです。そして、『魔女』の異名が示す通り、取材が一筋縄でいかないことは確かです。彼女に接触を試みてから無事に帰還できたライターや記者などはいません。それにリーザ氏に会えた者自体、殆どいないとの噂です。彼女の場合は、常に居場所が定かではないといいますか……」

 これを聞いて、少年は当然ともいえる質問を投げる。

「なるほど。誰しもが『魔女』に取材すらできてないってことか。じゃあ、当然ながら僕たちも無理だろう? 誰がやったって、居場所が特定できないのであれば意味はない。見込みが薄い取材なんてやる意味がないに決まってる」

 すると、フランチェスカは待っていましたとばかりにエプロンドレスのポケットから一枚のモノクロ写真を取り出した。

「ただし、今回に限っては唯一の手がかりを新聞制作ギルド本部のほうで入手できたようです。それがこの一枚です」

 ロズはフランチェスカの手にしているモノクロ写真をしげしげと見つめた。

 そこに映っているは、どこか岬のような場所、木製の椅子に座って一人で空を見据える娘の姿である。

「…………」

 少年は写真の人物を見て、あまりの存在感に思わず息を呑んだ。

 まず目を引くのは写真の彼女が被っている帽子だ。魔法使いを思わせるようなツバが丸く広がっており、帽子には巨大な目を思わせるような奇妙な装飾が施されている。帽子からは娘の長い銀髪がしなやかに伸びていた。これはグリモワルスのとんがり帽子にも少し似ているところはあったが、やはり微妙に違っている。

 グリモワルスのソレがどこか幼さを感じさせるとんがり帽子とするならば、こちらの被る帽子はあくまでも知性的な印象に特化したものだといえる。

 だが、帽子より何よりも印象的だったのが、その恐ろしいまでに怜悧さを感じる美貌と美しい体躯だ。切れ長の琥珀を思わせる瞳に、淡い桃色の頬や唇、白い雪肌。すらりとした身体はぴったりとしたシャツとデニムスカートに一ミリの誤差もないかのようにフィットしていた。

「これがリーザ氏かい?」

 写真を見終わったロズがフランチェスカに聞くと彼女は「そうです」と即座に肯定する。

「カメラの関係でモノクロ写真なのですが、比較的最近に撮影されたものだそうです。それに加えて、現在の彼女の所在地もうまい具合に特定することに成功しました。多少の犠牲者と多大なお金は必要だったようですが。あはは、その代償といったところでしょうかね」

「え、そうなんだ?」

「はい。これから私たちが向かうことになる場所。そこは『リーザ・ウォーターズ運河』にある『水龍岬』というところです。水龍岬は運河の中でもやや特殊なトライアングル(三角水域部分)にある岬でたどり着くまでには少しばかり骨が折れるようなところですが、何も行くのが不可能という場所ではありません。頑張って到達を目指しましょう」

「なるほどね」

 ロズはフランチェスカのそれらの発言を受けて、今回の異世界取材旅行の意義についつい納得してしまっていた。

 フランチェスカの巧みな言葉選びや熟練したレトリックのせいもあるのかもしれないが、リーザ氏の話を聞き、写真を目にするうちに知らず知らずにロズの心も惹き込まれていたのだ。

 それはあたかも魔女の持つ魔力に魅入られるかのように。

「…………」

 ほんの僅かな沈黙を挟んだ後。

 結局、ロズは言ったのだった。

「く、仕方ないな。じゃあ支度するよ」

「さすがです」

 それと同時に、お屋敷メイドは嬉しそうに声を弾ませて、ぱちぱちと小さな拍手を飛ばした。



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