お屋敷のお仕事
「つ、疲れた。これ以上は僕の背中が曲がる」
「うぐ、俺もさすがに休憩するニャ。目が痛い」
ロズと妖精猫は早々に悲痛の声を漏らし始めていた。
その間、校閲デスクの傍ら。丸い椅子に座って、じーっと2名の作業を見守っていたグリモワルスがやがて耐えかねたとばかりに小さな手を口に当て、「ふぁーううう」と大きくあくびをする。そして、ついでと言わんばかりに2名に説教をした。
「なんですか、おまえらのふぬけっぷりは……。アクビがでました。てゆーか、モニターや小ゲラといえど手を抜かずに二重チェックしろデス。大ゲラになる前につぶせる誤りはできるだけつぶしておくと後々が楽デスよ。おまらはモニター1枚につき、1名しかみていないではないデスか! これだとミスが見つかるのは時間の問題なのデス! だらだらと休むのはあとからなのデス、ばかもの」
とんがり帽子の幼女によれば、これらのモニターが寄せ集まって大ゲラとなり、校正および校閲を経たそれらがさらに輪転機で焼き直されて紙面に反映されていくので、事前に赤字(誤りの指摘)を出しておけば、どのみち後々の気苦労が少ないのだという。
要するに、働けとのことらしい。
「つ、つらいよ」
「す、すみませんニャ。……ううう、ニャオーン」
仕方なくロズとメギウスは校正ペンに手を伸ばす。
そのころ校閲作業用デスクの向かい側、編集作業用のデスクでは、少女の投げやりな悲鳴ばかりが続いていた。
「うーわーっ! なにこれめっちゃ忙しいんですけど!」
ハイライト面編集の担当に回されたスタニの悲鳴である。
「わー。どうしよう。全異世界放送局の番組はどこなんですかー。あと異世界経済テレビの局ゲラが足りません。あああー。ボクちゃん氏どーしたらいいんですかーっ!」
エルフは別の転送マシーンから送信されたハイライト用のゲラをまとめて、時系列と局ごとに仕分けする作業に追われて頭をかかえているようだ。
さて、そんなエルフにも、仕方なしにグリモワルスが助け舟を出す。
「おい、そこのバカエルフよ。ゲラはクリップなりで留めて、テレビ局や時系列ごとにまとめておけなのデス。これ鉄則デスよ! といいますか……、時間は有限なのデス。うーむ、仕方ないデスねー。今日は特別にグリが夕刊ハイライトとテレビ番組表を組んであげますから、古代エルフよ。おまえは異世界新聞の朝刊と異世界スポーツのハイライトを組むのデス。本来なら朝刊と夕刊とスポーツと番組表の4つを一発で仕上げられるようになってもらいたいところデスが、今日は手伝ってやるのデス。ただし、次は確実に仕上げられるように、いまからグリの編集作業手順をよく見ておくのデス。……いいデスね?」
いつになく殺気だったグリモワルスに気おされて、さすがのスタニも怖気づいたようである。
「わ、わかりましたぁあーっ!」
少女はその場で敬礼までする始末だ。
「……ったく」
入力に必要なハイライト用のゲラを瞬時にまとめ終えたグリモワルスは、一応は千年以上も年上にあたるエルフを「どけデス」、と押しのけて、編集作業用デスクに座ると、カチカチと端末のマウスを動かして編集画面をじーっと見つめ続けた。
グリモワルスの操作によって、ハイライト専用の画面が開く。
幼女は無造作にゲラ束を手にすると、素早くそのバーコードを専用の読み込み機で、二次元の世界へと取りこんでいく。
「…………」
とんがり帽子なグリモワルスによって、黙々と進められる操作。
一連のグリモワルスの動作には微塵も無駄がないようだ。
まだまだ素人なスタニの目からみても、その実力差は歴然だった。
たかだか一介の研修終了生とは比べものにならない。
「す、すごい」
思わずそんな声を漏らしたスタニに、グリモワルスは無感動な口調で言った。
「これのどこがすごいのデスか? それどころかこんなものは序の口で、グリからすれば作業のうちにも入りませんデスよ。目を瞑ってやれますね。それよりも大事なのはピックアップ原稿の見出しをつけることと記事を預かる作業デスね。それから、それぞれの時系列の並び順と同じテレビ局が連続で並んでしまう。いわゆる局被りをしないことだけは気を付ける必要がありますねー。全ての原稿データを順番に流して、与えられているハイライト枠に収まりきらない場合には、どんどん記事を預かりましょう。気を付けるのは、そんくらいのもんデス。ピックアップ原稿の写真に関しては素材をフランチェスカやワイマが前もって、用意してくれていますから自由に使ってほしいのデスよ」
「な、なるほど」
スタニはおどおどと相槌を打ち、グリモワルスの説明を聞いてメモを取る。
そして目を細めて、グリモワルスの背後から神妙に編集画面での作業を見つめるのだった。
――――それから慌ただしく作業は続き、ついに夕暮れが迫る時間帯になる。
ガチャリ、と異世界を連結する扉のひとつが開いて、
「ただいまー。グリモワルスごめんね、本当に」
「完全にお任せしてしまいましたね、グリモワルス」
ワイマやフランチェスカも浮島に戻ってきた。
「おかえりデス。ああ、グリも疲れましたデスよ」
ワイマたちの留守中に研修終了生たちの面倒ごとを一手に引き受けた幼女は、彼女たちからの労いの言葉に純粋に疲れ切った声で返すのだった。
さて、それから。
今日は監督役としてある意味、一番の忙しさだったに違いないグリモワルスが、
「よーし、じゃあ作業ここまでとしますデス。粗は多かったもののとりあえずは異世界新聞用の今日の作業データは全てギルド本部にフィードバックしておきました。おまえたちも初日にしては、上出来デス。まぁよく頑張ったのデスよ」
そのような言葉で〆て、研修終了生たちに終業を告げた。
しかし、幼女の紅茶な双眸がどことなく泳いでいたところをみると、『上出来』というのは単なるお世辞に過ぎないのかもしれない。
「深く考えない方がいいの、かも」
ロズは校正ペンや書籍、ハンドブックをカバンにしまう。
そしてワイマやフランチェスカ、メギウスたちと一緒にお屋敷へと戻るのだった。
だが、この時の彼は完全に忘れていた。
そう、異世界取材なるものの存在を。
そして、それがいつしか彼自身の異世界生活そのものに関わってくるようになろうとはこの時のロズは思いもしない。
カツ、カツ、カツ。
コツ、コツ、コツ。
トッ、トッ、ト。
カツ、コツ、カツ。
タッ、タッ、タッ。
トコ、トコ、トコ。
お屋敷へと続く石段を昇りゆく、不規則な6名の足音。
先導するフランチェスカの手にしたランタンの中では、相も変わらず淡い光が不安定に揺れていた。
それは、まるで……。
この先でロズを待ち受ける、予期せぬ運命を象徴するかのようである。




