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お屋敷の新聞制作現場

 ◆◆◆


 さて、色々と事件を挟んだ晩さん会から一夜明けて。

 異世界の小鳥たちの楽しげなさえずりが庭一面に響きわたり、明るい陽光が窓辺をさっそうと照らす頃。

「では、研修終了生3名よ。今日からきみたちには異世界新聞制作室に行って実戦を積んでもらいます。そこは言うならばわたしたちの仕事場ともいえる場所だ。そして、なによりも校閲は異世界新聞で誤字脱字を防ぐ最後の砦だ。完璧を求められなくてはならない。くれぐれも校閲ミスや見逃しをしないように頼みますね」

 大広間には昨晩とは打って変わって、真摯に指揮を執るワイマの姿があった。

 心配するまでもなく、この15歳から昨晩のブドウ酒の酔いは完全に抜けている。

「では、皆さん。手早く準備をしてくださいませ」

 ワイマの説明に続いて、彼女の傍らにひかえるフランチェスカはそんな指示を素早く出した。

 耳にする限り、温和な口調ではあるが、そこには絶対に逆らえないようなある種の威圧感も含まれている。

 なお昨晩、晩さん室で繰り広げられたロズたちのフェンリル退治に関しては、もはやフランチェスカやグリモワルスの知り及ぶところにあるのだろう。

 しかしながら、彼女たちがあえて何も口にしないのは、屋敷を取り仕切るワイマからある種の禁口令がひかれているためだと思われた。

 一方、期待と不安の入り混じる心持ちの研修終了者3名は異世界新聞制作の現場に行くための準備をフランチェスカの指揮下で淡々と整えるのみだ。

 ロズは校閲ハンドブック、校正ペンを中心とした筆記具、辞書、資料などの書籍類、護身具をそれぞれカバンに詰め込んでぱんぱんと手をはたくと、やがて。

「準備完了っと」

 そんな声を出した。

「同じくです」

「俺も大丈夫ニャ」

 スタニやメギウスも支度を終えたようだ。

「皆さん、準備完了したようですね。では参りましょう。足もとに気を付けて着いてきてください」

 フランチェスカは「こほん」と小さく咳をすると、どこからともなく古風なランタンを取り出した。

 栗毛な彼女の掲げるランタンの内部がボォっと独りでに燃え上がる。

 メイド娘はにんまりと満足げな微笑みを浮かべた。


 ◆◇◇


 カツ、カツ、カツ。

 コツ、コツ、コツ。

 トッ、トッ、ト。

 カツ、コツ、カツ。

 タッ、タッ、タッ。

 トコ、トコ、トコ。

 不規則な6名の足音がお屋敷の地下へと続く薄暗い階段を下りていく。確実に。

 6名の先頭を行くのは、やはりフランチェスカ。淡い光を灯すランタンを手にした熟練のメイド娘だ。

 薄明かりの中でフサフサと揺れる栗毛の様子は常に変わらない。

 おそらくこの先も変わらないだろう。

「…………」

 ランタンの淡い光。

 それはどことなく静かな彼女の性質と相まって、不変的なものだ。

 ただし、これから地下へと続く石段は不規則にその形を変えていくようにも思える。

 当然だが、これまで使用していた研修室に続く石段とはまた違うルートを使用しているようである。

「……ロズ、校正と校閲の違いとは何デスか?」

 石段を下りていく途中、擬人化ハンドブックのグリモワルスはロズのほうを振り返り、静かな口調で問いかけた。

 以前、聞いた質問。

 デジャブだ。

 少なくとも、基礎知識があり混乱の途上にない少年にとっては易しい質問だ。

 だが、あえて答えてみる。

「校正は制作上のミスを拾う作業だ。校閲は意味と文字を読む作業。ただし、校閲はさらに素読みと事実確認に分解できる。素読みは記事、原稿を読み誤字や内容の矛盾など、さまざまな間違いを炙り出す作業だ。一方で事実確認は素読みをさらに掘り下げたものだといえる。これは素読みをさらに掘り下げて実際に記事に書かれていること(異世界の地名や固有名詞、モンスター等のデータ類)が正しいかを調べて確認する作業を表している。このようにして客観的な事実確認を行ったうえで本部にデータをフィードバックするのが好ましい。以上」

「……っ」

 刹那の沈黙の末、ひそかに息を呑んだ幼女。

「……ロズ、おまえってやつは教育しがいがあるのデス……。驚きました」

 闇とランタンの光だけが交差する中で、グリモワルスから差し出されたのはそんな意外な言葉だった。

「ありがとう。きみのおかげだ」

 ロズは幼女に礼を言うと、ぼんやりとした光に照らし出される研修室の入口を確認して、目を細めた。

「ふふ、でも本番はここからデスよ」

 グリモワルスがそう小さく述べた時。

「到着いたしました」

 先導役のフランチェスカは短く言うと、ガシャリという音をたてて鍵穴にマスターキーを差し込んだ。

 ギ、ギ、ギ、ギ、ギ。

 開かれる鉄扉。

 あふれ出すまばゆい光。

 ここもまた、異世界から異世界を繋いでいるようである。

「なんだっ。ここは」

 ロズは大いなる異世界新聞制作現場の光景に思わず目を見開いた。

 そこは、まさに文化や世界観を共有する伝説の空中都市、あのラピュータの一部を思わせる場所だった。

 そう、本当に地盤ごと天空高くに浮いているようなのだ。

 部屋の窓辺からは、さっそうとしたスカイブルーが臨めるようになっており、ファンタジックな異世界をより深みのあるものにしている。

 巨大な白雲。青々とした空をさっそうと駆ける中型プロペラ機。

 それとは対照的に、遠くを優雅に漂うのは飛空艇だろうか。

 ああいったものに乗船できる、一部の特権階級になればさぞかし満足感に浸れるに違いない。

 まぁ、どちらにしても、これは見飽きそうにない。素晴らしい眺めだといえる。

「無人の浮島をまるごと買収。新聞制作用の神殿を建造して、その一室を利用させてもらっているのです。ありがたいことに異世界の中でも超一等地ですね、一応ここは。ただ、こういう場所でなければ私たちも良質な新聞をつくれませんから。はははっ」 

 フランチェスカがどこか申し訳なさそうに苦笑する。

「さて」

 そんな彼女がぱちん、と指を鳴らせば、それまで手にしていたランタンは一瞬にして消滅したのだった。

「では、研修終了生の皆様。さっそく仕事を始めましょうか。ロズ様とメギウスさんは特集面のモニターや大刷りをメインに校閲を進めてくださいませ。スタニさんはハイライトの編集作業をお願いします。なお、私とお嬢様はいきなりで申し訳ないのですが、これからしばし、執筆中のコラムの打ち合わせで留守にします。もし分からないことがあったら、グリモワルスにすぐに訊くようにしてください」

「分かりました」

「は~い」

 ほどなく。

「それじゃあ、みんな頑張って。つかの間の辛抱さ」

「失礼いたします。では、お嬢様。参りましょうか」

「はいよ、フランチェスカ。ではでは」

 その言葉通り、ワイマとフランチェスカは扉を抜けると、この隔絶された浮島からどこかに旅立ってしまった。

 というわけでロズやメギウスは見晴らしの良い窓際の作業用デスクに座ると、転送マシーンを通して異世界新聞制作ギルド本部(異世界新聞の大部分を実際に制作している大型の商業ギルドである。ワイマたちはそこから一部の重要な仕事を委託されて報酬を受け取っているらしい)から次々に送られてくるモニターや大ゲラに目を通していく。

「…………」

 沈黙。

 15分が過ぎる。

 沈黙。

「…………」

 30分。

 ロズは無言で辞典のページをめくり、メギウスはせわしなく尻尾を揺らしてハンドブックを引いては唸っている。

 窓辺のすぐそばで2機の小型飛行機が横切って、すぐに雲の陰へと消えた。

 それでもモニターの連続転送は止まない。校閲屋たちの作業は真摯に続き。

 一時間が過ぎる頃。

 あたかも巨大な雲に切れ目が出現するかのように、ようやく本部からのモニターが止まった。

 これでひと段落だ。


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