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第四話 神の住まう村2

 村の外れにある小高い丘には神の住むお社がある。丘の頂の入り口に聳え立つ血のように紅い鳥居。長い年月を経て風化した古の門は物見遊山の来訪者を歓迎しない。


 開かれた門に見えない壁があるかの如く、僕の身体は境内へ足を踏み入れるのを躊躇った。


 朝の陽ざしが境内の石畳を照らしながらも、どこか薄暗さのある神の御前。野鳥の囀りにも力がない。獣の本能がこの神社を畏れているのだ。


 境内の向こう側に座する荘厳の本殿。太陽の光を浴びて鈍く光るソレは禍々しくも神々しい。故に理解する。誰もがこの村を離れられず、遥かな過去の約束を今もなお守り続けているのかを。


 外観だけではない。本殿の中から滲み出る神気。思わず膝をついてしまいたくなる重圧。それらを受け止めながらも進むのを止めない二人。


 そして僕たちは、守る者など一人もいない本殿の中へと足を踏み入れたのだ。


 軋む床を歩き、神の鎮座する空洞の中央に立つ。儀式でなければ誰も訪れない場所。僕たちの立つこの場所こそは、年端も行かない少年少女が恐怖と悲哀と絶望を叫びながら腹を引き裂いた終着点。


 その眼前には、見上げるほどに大きな人型の像が立っている。


「これが神様か」


 太陽の光の射し込まない暗く寂れた本殿に、叢雲の声が零れ落ちた。


 真っ暗闇のなかにぽつりと立つ僕たちと、本殿最奥に立ちちっぽけな存在を見下ろし値踏みする神の像。怒りのような、憐れみのような表情に彫られた神像は、いったい誰の意匠によるものか。それを知る術は、今の僕らには持ち得ない。


 けれどこれだけは分かる。昔の人は神様を畏れていた。畏れたから、このような偶像を彫刻したのだ。その怒りを鎮めるために、村に安寧を齎す為に。


 それが成功だったのか失敗だったのか、知る由もなく。少なくとも現代に生きる僕たちは、この神様に恐れを抱いている。誰もここから出ようとしないほど、誰も外側を幻想しないほど。


 物言わぬ御神体。神の怒りにて、空想も理想も希望も愛も――悉く焼き尽くした無敵にして最強の上位存在。


 誰にも逆らえない。誰にも逆襲できない。ちっぽけな僕たちは蟻のように踏み潰されるだけ。


 眼前に聳え立つは神をあしらった像である。


 にも関わらず、僕たちは畏れ膝をつく。例えここにあるのがただの物であったとしても、神様による天罰が実際にあることを知っているからだ。


「――この村で一番強い存在」


 叢雲は噛みしめながらその言葉を放った。神像の顔を見上げながら――けれど彼女の表情に畏れはない。


 強く拳を握る。叢雲は強い者と闘うために山を歩いていた。ならば、この神々しくも苛烈な存在は待ちわびていたものであるのだろう。


 それが証拠に、彼女の瞳は暗闇に敗けない輝きを――。


「凄いよなぁ」

「え?」

「この村には、オレを震えさせてくれる奴がまだ二つもあるんだから」


 叢雲は神像から視線を離していた。彼女の眼が僕を捉えている。


 見たこともない瞳だった。優しくて、慈しみに満ちていて、まるでいつか感じたことのあるような。どこかで、その温かさに触れていたことがあるような。


 喉が痛んだ。じわりと熱いものがこみあげて来る。理由もわからない灼熱が、僕の内側からせり上がってくる。


 無意識に腕が上がった。叢雲に触れてみたくて、その熱の意味が知りたくて。


「って、なに。オレは何やってんだ」


 直後、叢雲が首を振って我に返る。そう、それは我に返ったという表現が正しい。きっと、あんな叢雲はもう二度と出てこないだろう。


 僕は少しの寂しさと満ち足りたものを感じて、今の叢雲と向き合った。


「判ったか、叢雲。これが今この村を支配している神様ってやつだ」


 秀星の言葉に、僕たちは再び気を引き締める。彼の声は真剣だった。遊びはなく、諧謔もない。なぜなら秀星は、もう決断してしまったからだ。


 きっと、あの日から。秀星が叢雲と出逢った日から。


 言っておきたかったことがある。それが今、秀星の口から語られようとしている。


 僕には逆立ちしても言えないことで、だからこそ、神峰秀星という存在が凄絶で、熾烈で、偉大だったのだ。


 今も、そしてこれからも。


「俺は村を出る。虎丸を必ず、外の世界へと送り出す」


 僕と神像との間に秀星が立ち、神様の眼から僕の存在を遮断した。まるで、神様から守ってくれているかのようだった。


 その眼は優しかった。優しくて、何よりも強かった。


 彼の瞳が僕を射抜く。瞳の色に、迷いや不安は微塵もない。


「だけどそれは、すごく危険なことなんじゃ……」

「判ってる。身に刻んだほど理解している。その上での結論だ。俺は絶対にお前を護る。俺はもう――虎丸を儀式で正しく死なせるために護っているわけじゃないんだから」

「秀星……」

「いろいろと準備があるからすぐには無理だけどな。それでも俺は、虎丸がこのまま死ぬのは納得いかない。絶対に――」


 秀星は振り返り、大いなる神像と相対する。拳を握り、腕を振り上げ、殴り飛ばすように伸ばす。


「絶対に虎丸を送り出す。もう俺は――迷わない!」


 紛れもない宣戦布告。畏れ多くも神前にて――いや、神前だからこその宣告だ。


 神峰秀星という青年の誓い。お前なんかに絶対負けないという、彼なりの決別だった。


 叢雲が目を閉じて優しく笑う。それがお前の道かと、青年の門出を祝福するように。


 己の道を切り開き、己の意志で立ち向かう。


 神峰秀星と、叢雲。


 ――僕は、どうしたいのだろう。どうして僕は、素直に頷けなかったのだろう。


 秀星が居てくれれば安心なのに。秀星が一緒ならばどこへだって行けるのに。


 泣きたくなるほど、胸が苦しい。僕にだって願いが、夢が、望みがあるのに。


 神様が、ちっぽけな僕を見下ろしている。


 高らかに笑いながら、羽虫の如き弱者を――部を弁えない夢想家を。


 お腹をかかえて笑っている。

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