氷の華の前で、壊れる僕
「おい、エドガル、聞いたか?」
廊下を歩いていると、後ろから同僚に呼び止められた。
「メルゼブルク嬢がイーゼンハルク宰相補佐官と婚約したらしいじゃないか!」
「!? アルヴィナが!?」
僕は驚き、思わず聞き返す。
「お前、メルゼブルク嬢と付き合っていたんじゃなかったのか? 二股かけられてたのか!?」
「アルヴィナとは……数週間前に別れてる。……悪い、もう行くわ」
僕は同僚を置いて、アルヴィナを探す。
(アルヴィナ……、どうして!? 君は僕のモノなのに)
秘書官の部屋で彼女の姿を探すが、今日は彼女はお休みだった。
「メルゼブルク嬢なら、今日の舞踏会準備のため、お休みじゃないかな? イーゼンハルク様と婚約発表するらしい」
「今日の舞踏会……」
僕は表情なく、呟いた。
僕の中で、何かが壊れてしまった。
今日の舞踏会は僕も伯爵家子息として、招かれていた。
煌びやかなホールで、ひたすらアルヴィナの姿を探すが、見つけることはできなかった。
(アルヴィナ、どこにいるんだ)
しばらくすると、ホールに歓声が上がる。
歓声がする方を見ると、隣国の皇女とエスコートするミハイロ王子の姿が見えた。
2人はゆっくり螺旋階段を降りてくる。
皇女とミハイロ王子のダンスが始まり、周りも次々踊り出す。そんな中、僕はようやくアルヴィナとイーゼンハルク様の踊る姿を見つけた。
(アルヴィナ……)
僕は壁際で、2人の踊る姿をじっと見つめる。
2人は熱く見つめ合いながら、アルヴィナは少し口元を綻ばせ、誰が見ても仲睦まじく踊っている。
僕の胸に嫉妬の念が渦巻き、何も考えられなくなる。
僕は伯爵の息子であるということも。
僕はダンカン宰相補佐官の秘書官であるということも。
ここは舞踏会場であるということも。
隣国の皇女の歓迎の式典であるということも。
僕の中の理性というものが、焼き切れてしまった。
2人は踊り終えると、見つめ合い、何やら顔を近づけて親しげに会話しながら、テラスの方へ向かっていく。
そんな2人を僕は足早に人を掻き分け、追いかける。そして、2人の目の前に立った。
「僕のアルヴィナ、探したよ……」
僕の狂気に満ちた雰囲気に、彼女の瞳が驚愕で開き、固まる。
「エドガル?」
「どうして急にイーゼンハルク様と婚約なんて……。君は僕のことを想ってくれていたんじゃないの?」
僕が近づくと、彼女が僕を亡霊を見るかごとく、瞳に恐怖の色がみなぎる。そんな彼女を守るかのごとく、イーゼンハルク様が彼女を隠すように前に出た。
そんな彼の後ろから、アルヴィナが声を絞り出す。
「貴方とはすでに終わっているわ。何を言って……」
彼女が怯えながら何か言おうとすると、かばうようにイーゼンハルク様がはっきりとした口調で言った。
「私が彼女を愛しているからだ」
周辺にいた人が騒ぎに気がつき、こちらを注視しているのを感じたが、僕はどうでも良かった。
僕は歪んだ笑みを浮かべる。
「貴方はアルヴィナに相応しくない。彼女は僕といる方が幸せなんだ」
「お前は彼女を裏切ったではないか」
「違うっ! 間違えただけだ。僕がアルヴィナを幸せにするんです。この僕がっ! 貴方では彼女が望む夢を叶えることはできない。そうだろう? アルヴィナ」
僕がアルヴィナを見ると、彼女はビクッと肩を揺らした。僕は言葉を続ける。
「愛しているのに、彼女の夢を壊すんですか? 彼女は秘書官の仕事を何より大事にしています。貴方と結婚すれば、アルヴィナは秘書官の仕事を捨てなくてはならなくなる。アルヴィナがそんな結婚を望むとは思えません。貴方が地位にものを言わせて、アルヴィナに無理強いしたのではないですか?」
僕がイーゼンハルク様に詰め寄ると、例の皇女とミハイロ王子が近づいてきた。
「レオニード、どういうこと!?」
訳が分からないという顔をした皇女が、イーゼンハルク様に問いかけるが、イーゼンハルク様はそれに対しては無言で、僕を絶対零度の瞳で睨みつける。いつもの僕なら怯んだかもしれないが、何かが壊れた僕には、何も響かなかった。
「アルヴィナ、僕は君を愛している。君が不幸になるのは見てられないよ。友達として見守ろうと思ったけど、やっぱり無理だよ。君を今度こそ幸せにするから、僕とやり直そう」
そんな僕に、彼女は悲しそうな表情を浮かべ、大きく横に首を振る。
「レオニード、貴方の婚約者とこの男は恋人同士なの? 貴方達が相思相愛だと思ったから、私は引いたのよ。これなら貴方は私でいいじゃないの! 同じ政略結婚なら、私と結婚した方が得でしょう」
皇女が嬉しそうにイーゼンハルク様の腕に絡み付こうとしたが、それをすっと避ける。そして、イーゼンハルク様が彼女の前に跪き、アルヴィナの左手を取ってキスをした。
「アルヴィナ・メルゼブルク伯爵令嬢。君は永遠に僕の妻であり、愛する人であり、仕事の上でも秘書官でいてくれますか?」
イーゼンハルク様が、彼女に溶けた氷の瞳で見つめながら、プロポーズを始めた。
「……私、仕事を続けてもいいの?」
彼女の瞳が少し涙で滲む。
「もちろんだ。君と結婚できるなら、僕は法律でも制度でも、何でも変えてしまおう。君は我が王国の働く貴族女性の先駆者になればいい。……返事は?」
「はいっ!」
そう返事をしたアルヴィナは、見たことのない緩んだ笑顔でイーゼンハルク様の胸に抱きつき、2人は公衆の面前で、熱いキスをする。
周りからわぁっと歓声が上がる。
(僕は彼女とこんな熱いキスを交わしたことはないな)
どこか冷静な部分の僕はそう思った。
「もういいわ」
その様子を見ていた皇女が呆れた様子で、ミハイロ王子を引っ張って、その場を去った。
僕はその場に立ち尽くす。周りがヒソヒソ会話するのが聞こえるが、どうでも良かった。
(僕の負けか)
彼女を条件で釣ろうとしている段階で、僕はイーゼンハルク様には敵わない。
溶けた氷の2人を見れば、誰も2人の間に入る隙はないと一目瞭然だった。
読んでくださり、ありがとうございます!
エドガル、壊れました(^^;