氷の華の君に、俺の伝えられなかった想いを
沢山の方に読んでもらえて、嬉しいです!
イーゼンハルク様視点のお話です。よろしくお願いします。
宰相と明日から出発予定の隣国視察のための打ち合わせを済ませ、午後、ようやく自分の執務室に戻ってきた。椅子に腰掛け一息ついていると、アルヴィナがすっと温かいお茶を出してくれた。
いつもならお茶を出したら、下がって自分の仕事に戻る彼女が、俺に何か言いたげに、執務机の前で佇んでいる。
俺が顔を上げ、彼女を見ると、彼女は息を吸い込み、意を決した様子で、口を開いた。
「い、イーゼンハルク様、申し訳ございません! 私はやはりイーゼンハルク宰相補佐官の秘書官として、仕事を全うしたいのです。なので、先日のことは……」
(だよな。きっちり仕事の線引きをしてくる、真面目なお前なら、きっとそういう選択をすると思っていたよ)
俺は自嘲気味な笑みを浮かべる。
だから、浮気されて傷ついた心の弱みにつけ込み、強引にキスをした。
ただ、アルヴィナにそういう対象に見て欲しくて。
―――2年前。
「レオニード、お前のところの秘書官がまた異動願いを出してきたぞ」
自慢の顎髭を触りながら、困ったような表情で言ってきたのは、この国でやり手と言われる宰相のヘンリー・ロマネスク公爵。
「お前が優秀なのはよく分かっているが、宰相を目指すのなら、もう少し人がついてくるようにならんとなぁ。皆がお前と同じレベルの頭脳を持っていないのだから、その辺り加味して指示を出さないと。それに、もう少し愛想がないと、皆怖がっているぞ」
「はぁ」
とりあえず、曖昧な返事を返して置く。
俺の名前は、レオニード・イーゼンハルク。イーゼンハルク侯爵家の嫡男。
自分で言うのも何だが、人よりかなり優秀で、大学校も飛び級で卒業した。
わずか23歳で最年少宰相補佐官に抜擢されたものの、年上の秘書官はプライドからなかなか若僧の自分にはついてくれないし、同年代の秘書官は俺の求めるレベルが高すぎるのか、なかなか長続きしない。
そんな困り果てた状況の中、やって来たのが彼女だった。
「次の秘書官は女性だが、大学校も優秀な成績で卒業した才媛だ。これまでの文官としての仕事ぶりもズバ抜けて優秀だし、お前とも気が合うだろう」
その時、ノックがされ扉が開き、1人の女性が入ってきた。
絹の銀糸のような美しい髪をハーフアップにして後ろに垂らし、その大きな瞳は綺麗な藤色。
思わず目が奪われる。
服装は他の文官と同じ濃紺の官服の上着に、下は直線を基調としたシルエットの白のロングスカートである。
「ああ、メルゼブルク嬢。彼が君に仕えてもらう宰相補佐官のレオニード・イーゼンハルクだ。レオニード、こちらのレディが秘書官のアルヴィナ・メルゼブルク嬢だ」
宰相に導かれ、彼の隣に立ったその女性が口を開いた。
「本日より、イーゼンハルク様にお仕えすることになりました、アルヴィナ・メルゼブルクと申します。他の男性の秘書官と同様、私のことは呼び捨てで結構です。女性だからといって、特別扱いはしないでください。宜しくお願いいたします」
そう言って、男性式のお辞儀をしてきた。そんな彼女を、俺は冷めた目で見ていた。
(きっと仕事の厳しさに長続きしないか、俺に媚を売って色恋を求めてくか、どちらかだな)
失礼ながら、そんなことを思っていた。
俺も26歳。侯爵家の身分や宰相補佐官の身分に釣られた女に、この歳になるまで、社交場や職場でどんだけ罠を張られ、嫌な思いをしてきたことか。
もちろん、俺だって聖人君子ではないので、それなりに浮名は流してきた。しかし、本気になれる女性に出会えたことは一度もないし、正直、女性にはうんざりだった。
それから1年。俺の予想に反して、彼女は本当に優秀で、こちらの要望を聞くだけでなく、俺に足りない、気が付かないような、細やかな仕事上フォローも完璧にこなしてくれていた。
そして何より、彼女は本当に微塵も、俺に対して異性として意識していないようだった。
気が付けば、彼女は俺にはなくてはならない、仕事の片腕となっていた。
「レオニード、そろそろ結婚したらどうだ? お父上も気を揉んでいらしたぞ。最近、社交も積極的に参加していないとか」
ある時、ロマネスク宰相がそんな話を持ち出してきた。
「お前ももう25歳だろう。嫡男だから、早く跡継ぎをもうけた方がいい。うちの息子なんて、22歳で結婚したぞ。今度、初孫も生まれる」
嬉しそうに顎髭を触っている。
ちなみに、宰相の息子は頭脳派ではなく筋肉派で、現在、騎士団で活躍している。
「政略でも何でも、さっさと選べ。うちの娘が残っていたら、お前の嫁にしたのになぁ」
「年上は結構です」
宰相の娘は俺より年上で、俺が宰相補佐官になった時には、すでに隣国の王族に嫁いでいた。
「なら、メルゼブルク秘書官なんてどうだ? お前の無理難題にもきちんと応えてくれるし、何よりお前がどんなに厳しくても怖がらない。なんでも、お前とメルゼブルク嬢2人合わせて、氷結コンビなんて呼ばれているらしいぞ。お似合いじゃないか」
ガッハッハっと宰相は可笑しそうに笑っている。俺はその様子を冷めた目で見ていた。
でも、宰相の言うことも一理ある。
―――どうせ結婚するなら、彼女でいいではないか。
彼女なら、伯爵令嬢で身分的にも釣り合っている。割り切った良いパートナーになれそうだし、侯爵家を上手に盛り立ててくれる。何より、面倒な女性陣の相手をもうしなくていいではないか。
最初はそんな打算だった。
それから、俺は彼女を観察するようになった。
一応、こちらの勝手とはいえ、自分の中では婚約者候補だ。政略的なものとはいえ、俺は緻密な策略に定評のある宰相補佐官だ。彼女の性格趣味嗜好を把握しておかないと。
表情にあまり変化のない彼女だが、じっくり観察すれば、ふとした瞬間に目や表情に変化があることに気が付く。
誰かの隣国の視察のお土産で甘いものを貰った時、彼女の目は輝いたのを、俺は見逃さない。
(ふむ。甘いものが好き)
しかも、クールな外見とは裏腹に、彼女の万年筆や手帳、髪飾りなどを見ると、細やかな花の模様がついていたり、歳頃の女の子らしいものがよく使われている。
(可愛らしいものが好き)
王都の視察に行く際、馬車の手配が面倒なので、馬で行こうとすると、断られた。乗馬は得意ではないらしい。
(馬は苦手)
外交官との接待の席で、東の国の料理で生魚が出た時、一瞬、手が止まった。もちろん、顔に出していなかったが。
(生魚は嫌い)
彼女の情報が次々にインプットされていく。
元来の観察好きが高じて、気が付けば、常に彼女を目で追ってしまう。
(少し負けず嫌いなのか、難しい仕事をお願いすると、本人は平静を装っているつもりでも、闘争心オーラが出てる。どんなに難題をふっかけても、完璧に仕事を仕上げてくるんだから、凄い奴だよなぁ)
最近では、俺の考えを先読みして仕事をこなしてくれ、本当に優秀な秘書官だと思う。
(褒めてやると、少し口角が上がるんだよな。少しの笑みだけど、本当に嬉しそうで、可愛いと思ってしまうのは俺の秘密。)
誰にお願いされた訳でなくても、俺より朝早くに来て、部屋に花を生けてくれたり、机の上の書類を整理してくれている。俺が休憩したいタイミングで、美味しいお茶をすっと出してくれる。
(彼女は女性ならではの気遣いというか、黙ってさりげなく俺の仕事のフォローをしてくれるんだよなぁ)
なかなか改まって礼を言う機会はないが、彼女には本当に感謝している。
最初は一般的な趣味嗜好の観察だったのに、次第に彼女の内面にまで及ぶようになってきた。
でも、彼女を観察すればするほど思うのだ。
こんな仕事に一生懸命な彼女を、俺の妻にしてしまい、家という枠に押し込め、秘書官としての仕事を取り上げていいのか。
表情こそ乏しくても、なかなか可愛いらしく、素晴らしい内面の彼女に、俺の打算で結婚を提案していいのか。
―――そう。今思えばこの頃からすでに彼女に惹かれていたのかもしれない。
惹かれているからこそ、彼女から何も奪いたくなかった。
(彼女との関係を大切にしたい)
やはり、彼女とはこのままの関係で、仕事上のいいパートナーでいた方がいいのかもしれない。
自分の中でそんな風に結論付け、そのままの状況でしばらく経った頃、ふと気が付いた。
普段、あまり同僚と親しくしていない様子のアルヴィナが、最近、よく話をする親しい男性が現れたことを。
今も廊下の隅で、2人立ち話をしている。
(あれは、ダントン宰相補佐官の秘書官のエドガル・ヘッセンか……)
適度な距離を保ち、恋人の雰囲気はまだないが……
(あれは狙ってるな)
男を見て、すぐ分かった。
でも、俺は彼女を仕事上のパートナーにすると決めたから、どうすることもできない。
彼らの姿を目の隅に追いやり、何事もないような顔で彼らを通り過ぎようとする。
(胸がモヤモヤする)
この気持ちは何なんだろう。
「イーゼンハルク宰相補佐官」
彼女が俺に気が付き、声を掛けてきた。彼も会釈してきた。
「休憩は終わったのか? こんな所で油を売る暇があるなら、さっさと例の資料を仕上げてくれよ」
(俺は何を言ってるんだ?)
イライラする感情が抑えられなくて、すぐにでもこの2人が一緒にいる姿を見たくなくて、思わずそんな言葉が口に出た。
「午前中にほぼ完成していますので、後ほどすぐお持ちします」
彼女は俺に会釈し、ヘッセンに「また」と声を掛け、歩き去った。そんな彼女の後ろ姿を見送りながら、俺は自分の感情に茫然としていた。
(……これは、もしやヤキモチというやつか!?)
25年間生きてきて、初めての感情だ。
(俺はアルヴィナ・メルゼブルクに本気で惚れてしまったのか!?)
これまで、打算と策略で生きてきた俺にとって、晴天の霹靂のことだった。
初めて知った自分の気持ちに戸惑い、葛藤する毎日を送っていたが、アルヴィナの前では何とか平静を保ち、普通の毎日を過ごしていた。しかし、ついに恐れていた瞬間が来た。
お昼休憩、気晴らしに王宮の庭園を歩いていると、少し人目を避けた庭の片隅のガゼボにいるアルヴィナとヘッセンが見えた。
2人が身を寄せ、見つめ合い、親しげに話している。
何やらヘッセンが両腕を広げると、アルヴィナが自ら胸に飛び込み、ヘッセンが抱き締め、頭を優しく撫でていた。
アルヴィナは頭を撫でられながら、そんなヘッセンを上目遣いで甘えたように見つめ、2人でクスクス笑い合って何やら話している。
(あんな彼女を、見たことがない)
俺は足元から何かが崩れ去るような感覚に陥った。
(俺は何て馬鹿なんだ)
ようやく俺は自分の誤ちに気が付いた。
俺は恋愛というものに臆病だっただけだ。今の関係が崩れることを恐れ、仕事上のパートナーとして割り切ろうとしたが、この感情は割り切れるものではない。
本当は彼女を誰にもやりたくなかったのに。
こうして、人の物になって、ようやく彼女の大切さに気が付くなんて―――
後悔しても、もう遅い。あんな幸せそうな彼女を見たら、俺には何もできない。これまで通り見守るしかない。
それは俺にとっての生まれて初めての失恋。そして、優秀な宰相補佐官としての人生初の策略ミスだった。
―――だから、ヘッセンの浮気は、俺にとって、彼女を手に入れる最後のチャンスだと思った。
そして、冒頭に戻る。
「い、イーゼンハルク様、申し訳ございません! 私はやはりイーゼンハルク宰相補佐官の秘書官として、仕事を全うしたいのです。なので、先日のことは……」
(アルヴィナ、悪いが俺はもう2度と自分に後悔したくないんだ。この仕事上のいい関係が崩れようとも)
「無理だ。俺はお前を絶対に落とす」
彼女の顔が、真っ赤に染まる。
俺は椅子から立ち上がり、彼女の前に立ち、彼女の瞳をじっと見つめる。
その瞳は、いつもの仕事をしている時の彼女とは異なり、少し熱を孕んでいる。
「アルヴィナ、お前を愛しているんだ」
そっと囁き、彼女の頰に指で撫でると、彼女の肩がビクッと震えた。不安と期待が入り混じった瞳。
そんな彼女の額に軽くキスをして、彼女の瞳をじっと見つめる。
彼女も覚悟を決めたのか、ゆっくり瞼を閉じた。
まずは彼女の唇の形を確かめるように、優しく自分の唇を沿わし、柔らかい唇の感触を堪能する。
彼女の呼吸が荒くなってきたところで、俺は今まで伝えることのできなかった想いを込めて、熱い熱いキスをした。
途中、顔を離して彼女を見ると、もっとと潤んだ瞳が訴えている。
―――早く俺に落ちてこい、アルヴィナ。
誤字脱字報告、ありがとうございました!
またあれば、是非お知らせいただければ幸いです。
明日はアルヴィナ視点のお話を投稿予定です。よろしければ、また読んでください( ^ω^ )