氷の華の君へ、僕の諦めきれぬ想い
エドガル視点です。よろしくお願いします!
「ごめんなさい、エドガル。貴方とはもう付き合えない」
そう言って、僕の恋人であるアルヴィナが、深々と頭を下げた。彼女のハーフアップにされた、美しい銀糸のような髪の毛が、さらっと肩から滑り落ちるのを、僕は呆然と見つめていた。
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
昨日の昼は彼女が忙しくて、一緒にお昼を食べることは断られたけど、普通だった。今日のお昼休みに、王宮の中庭に誘われたのは、てっきりその穴埋めだと思っていた。
僕は口を横に引き締め、ぐっと手を握りしめる。とにかく理由を聞かなければ。
「理由を聞いても、いいかな」
努めて穏やかに聞こえるように、冷静に問いかける。
アルヴィナは下げていた頭は戻したが、視線は地面に伏せたまま。そして、言いにくそうに、重い口を開いた。
「……見てしまったの。昨晩……貴方が口付けしているのを。エドガルには、私以外にも恋人がいるでしょ」
「!?」
驚いて目を見開く。
(アルヴィナに、まさか昨日のアレを見られてしまったのか!?)
「あ、あれは違うんだっ! 僕の恋人は君しかいないっ」
慌てて弁明しようとするが、上手く言葉が出てこない。
―――僕が愛しているのは君だけだ!
今それを言っても、きっと陳腐に響くだけだろう。アルヴィナ以外の女性とキスしたのは、紛れもない事実なのだから。
アルヴィナ・メルゼブルク伯爵令嬢。
僕が初めて彼女と会話したのは、王宮の食堂だった。僕が同僚と食事をしていると、彼女が入ってきた。
背筋をピンと伸ばして、美人で凛とした佇まいの彼女。ただでさえ、近寄り難い感じなのに、さらにその表情のせいか、冷たいオーラが醸し出されていて、声を掛け辛い雰囲気である。
「見ろよ。メルゼブルク嬢だ。まだ秘書官になって1年半くらいだけど、あの美貌でかなり優秀らしい。あの仕事に厳しくて有名なイーゼンハルク宰相補佐官にも認められ、今ではすっかり片腕らしいぞ。俺らには高嶺の華だな〜。しっかし、あの氷のイーゼンハルク宰相補佐官の秘書官だけあって、噂通り氷の華だな」
隣の同僚が面白がって、囁いてきた。
(ああ、イーゼンハルク宰相補佐官と氷結コンビとか言われている彼女か)
「ふーん」
僕は興味なさそうに返事した。
「おっと、もう上官の出掛ける時間だ! エドガル、先に行くなっ」
そう言って、同僚は食べ終わった食器をトレイに乗せ、慌ただしく立ち去った。
1人で食事の続きをしようとしたが、ふと顔を上げると、まだ彼女がトレイを持って、キョロキョロしているのに気が付いた。どうやら、食べる席がなくて、困っているようである。
どうしようか迷ったが、営業用の人好きしそうな爽やかスマイルを浮かべて、声を掛けてみた。
「メルゼブルク嬢、宜しかったら、相席しませんか? こちらの席へどうぞ」
同僚が座っていた、僕の正面の席を勧める。
「ありがとうございます」
彼女は軽く頭を下げて、席に着いた。その姿も優雅である。
彼女と目が合う。綺麗な藤色の瞳。僕は彼女の瞳にすっかり囚われてしまった。
僕も容姿はそこそこ整っているし、伯爵子息というそれなりの身分に、人好きされる柔らかい雰囲気も持っている。自分で言うのもなんだが、普通にモテるし、正直、今まで女性に不自由したことはない。
アルヴィナは、そんな僕が平伏してしまいそうなオーラを持つ女性だった。
簡単に自己紹介をして、彼女と軽い会話をしながら、食事を取る。
自分の笑える失敗談など、頑張って面白い話を振ってみるが、相槌は打ってくれるけど、彼女の表情はほとんど変わらない。
(うーん、僕との会話、面白くないのかな?)
それなりに女性を楽しませるトークには自信があったが、流石に氷の華と呼ばれているだけはある。
(ん? でも、よく見ると、口角が少し上がってる?)
僕の不躾な視線に気がついたのか、彼女が慌てて口を開く。
「ごめんなさいね。私と話しても、全然楽しくないでしょ? どうも私の表情筋は固くって。仕事の上では、顔から感情を読まれないし、便利なんだけど」
そんなことを真顔で言うもんだから、思わず僕は吹き出した。
「いや、十分面白いよ」
僕が顔を傾けて、彼女を覗き込むと、無表情の彼女の頰が僅かにピンクに染まる。
(おっ?)
真っ白なキャンバスを自分色に染める。そんな感覚。
最初はもっと色をつけたら、どんな感じになるだろうか? そんな軽い気持ちだったのかもしれない。
食堂で一緒に食事をして以来、仕事の情報交換が主だったが、僕達は顔を合わせれば、それなりに話すような間柄になった。そして、次第に食堂でも、元々あまり親しい人のいないアルヴィナと、僕は2人でよく一緒に食べるようになった。
彼女は相変わらず氷の華だったけど、元々人の感情を読み取るのが得意な僕は、少しずつ彼女の感情を読み解くことができるようになっていった。
そんな仲の良い同僚関係がしばらく続いたある日、休憩時間に廊下を歩いていると、前方に立ち尽くす彼女が見えた。秘書官の仕事部屋の扉の前で、書類を胸の辺りでギュッと抱きしめ、少し俯いている。
(泣いてる?)
別に顔が見えた訳ではないけど、雰囲気からなぜか泣いているように思えた。
「メルゼブルク嬢?」
声を掛けると、パッと彼女が顔を上げた。
「ヘッセン様」
その顔はいつも通り、アルヴィナの表情からは何の感情も読み取れない。でも、僕には分かった。彼女の心は泣いている。
「今、時間大丈夫?」
「えっ? 今からお昼休憩ですが……」
アルヴィナの返事を聞くや否や、僕は彼女の腕を引いて、中庭のベンチに連れて行き、座らせた。
「へ、ヘッセン様?」
アルヴィナは訳が分からないという目で、僕を見上げた。僕はそんな彼女の横に腰を下ろす。
「何か悲しいことがあったんじゃないの? 無理しなくていいんだよ。吐き出した方が楽になることもある。僕で良ければ、話を聞くよ」
僕は真剣な目で、彼女を見つめる。
アルヴィナは、少し目を見開いて僕を見返すと、俯いて膝の上の一点を見つめていた。しばしの沈黙の後、彼女が重い口を開いた。
「……別にわざと感情を隠している訳ではないのです。表情に……、出ないだけで。私だって、傷つく時には傷つくんです」
彼女はスカートをギュッと握りしめて、ポツリ、ポツリと語り出した。
「実は、先輩のハウゼン秘書官の仕事のミスを見つけてしまったので、ハウゼン秘書官に指摘したのです。私の言い方が悪かったのか、人の仕事に口出しをするなとハウゼン秘書官を怒らせてしまって……。その……、仕事面というより、人間としての私の至らない点を……、色々と言われたのです」
(ハウゼン秘書官は、プライドが高くて、口が悪いからなぁ)
「私、人間らしくなくて冷たいから、皆から距離を置かれているみたいで。今まで薄々気が付いてたんですけどね。こんな可愛げのない女だから、恋人もできないし、一生結婚もできないそうです。この道で生きると決めた時から、別に結婚するつもりなんて、最初からありませんけどね」
彼女は淡々と話す。でも、僕には分かった。彼女の心が泣いていることを。
僕はポンポンと彼女の頭を撫でた。
「僕は君が一生懸命努力して頑張ってるのを知ってるよ。皆が君に近づけないのは、高嶺の花だからだ。君が恋人を作ろうと思えば、きっと行列ができるよ。僕が先頭に並びたいくらい」
ねっ?と彼女の目を見つめると、彼女の陶器のようなほっぺが紅潮する。
(この氷の華が溶けたら、どうなるんだろう)
もしかしたら、好奇心だったのかもしれない。でも、言わずにはいられなかった。
「僕と付き合ってみる? 僕はメルゼブルク嬢のこと、いや、アルヴィナのこと、最初に出会った時から、ずっと気になっていたんだ。もっと君のことを知りたい」
「えっ!?」
彼女が飛び上がって驚く様が面白くて、思わずクスッと笑ってしまった。
「君は1人で頑張りすぎるから、僕に甘えてもいいんだよ」
優しく微笑むと、彼女の顔がますます赤くなる。
(かわいいな)
彼女をもっと自分の色に染めてみたいと思った。
「仕事の息抜きだと思ってくれていいから、大事にするよ」
僕は彼女の両手をそっと手に取り、握りしめた。
「僕のこと、嫌い?」
「き、嫌いじゃないけど、私、好きとか、恋愛とかって、本当によく分からなくて。でも、ヘッセン様とお話ししていると、とても楽しいです」
「なら、契約成立。とりあえず、恋愛がどんなものか、僕で勉強しようか。勉強、得意でしょう?」
「もうっ!」
彼女が少し笑ってくれた。その笑顔が眩しくて、僕の胸が高鳴るのを感じた。
「とりあえず、まずは抱きしめるところから始めていい?」
コクンと頷く彼女。僕がぎゅっと抱きしめると、恐る恐る抱きしめ返してきた。花のような優しい香りがする。
僕は幸せだった。
見ると、彼女の顔は真っ赤である。
「……か、家族以外と抱き合うなんて、初めてです」
彼女が恥ずかしそうに囁いた。
こうして、僕達の交際は始まった。別に交際は隠していなかったので、周りには驚かれたし、随分と冷やかされもした。
彼女が少しずつ、僕に気を許してくれるのが分かったし、僕に対する表情も次第に柔らかくなってきた。
2人きりの時は、彼女から抱きついて甘えてくれることもあったし、話し方もすっかり砕けてきた。穏やかな2人の時間。
交際は順調で2ヶ月目で触れるだけのキスをした。
そして、3ヶ月目には深いキスを。
でも、その頃だろうか、僕達の歯車が微妙にズレてきたのは。彼女には、少しペースが早すぎたのかもしれない。
それまで順調に距離を縮めてきたのに、深いキスをすると、どうも拒絶を感じる。キスをしようと顔を近づけると、本人は無意識かもしれないが、わずかに体を強張らせるのだ。
僕もいろいろな女性と、それなりに経験があるつもりだったけど、こんな反応は初めてで、最初だけかと思ったけど、一向に慣れる様子もなく、少し困惑していた。
―――彼女は深層心理で、まだ僕のことを拒絶しているのかもしれない。
最近、僕に恋人としての特別な好意を寄せてくれているように思えていたので、期待した分、余計に自信をなくしてしまった。
だから、ほんの出来心だったんだ。別の女性で試してみたのは。
多分、好きな人に拒絶された感じがして、大人のフリをして余裕ぶっていても、僕も寂しかったのかもしれない。
その日の夜は、同僚と食堂でお酒を飲んでいた。少し酔い覚ましにと中庭に出たところで、前から僕を誘っていた侍女のフィーラ・ブルノンに出会った。
フィーラのボディータッチに、あからさまな猫撫で声の誘惑。いつもの僕ならきっと誘いに乗らなかっただろう。
あの時の僕に問いたい。そこまで酔っていた訳でもないのに、なぜ誘いに乗ってしまったんだと。
もちろん、アルヴィナに対するような感情は、フィーラには一切なかった。
フィーラも僕にアルヴィナという彼女がいることを知っていたし、承知の上で体の関係を誘ってきた。
僕は自信を取り戻したかっただけかもしれない。
久々に自分の欲望をぶつけるキスをした。性欲を満たすためだけのキス。でも、結局、キスはしたけど、最後まではしなかった。途中で急に虚しくなったのだ。やはりアルヴィナと結ばれたいと強く思った。
その愚かな行為で初めて、僕は自分が思っている以上に、アルヴィナを愛し始めていると気が付いた。
「アルヴィナ、侍女の誘いに乗ってしまった僕が悪かった! 気の迷いだったんだ。でも、僕は本当に君だけを愛している。別れるだなんて、言わないでくれっ」
僕は彼女の肩を掴み、思いの丈をぶつけるが、アルヴィナはゆっくり悲しそうに首を横に振った。
「ごめんなさい、エドガル。きっと私にも原因があるの。私はあなたに甘えていたけど、きっと返せてなかった」
「僕はアルヴィナに何か返してもらおうだなんて、思ってないよ」
「ううん、違うの。私……、私の気持ちの問題でもあるの。私、あなたのことが好きだったけど、私は知ってしまったの。あなたとは、もうキスはできない」
(意味が分からない!)
「それは、僕の裏切りが許せないということ?」
「……許せない。分からないけど、それ以上にもう無理なの」
(何が無理なんだ!?)
彼女がうっすら涙を浮かべて、僕に告げた。
初めて見る、彼女の本当の涙。僕のために流してくれる涙。
「今までありがとう。さようなら」
そう言って、彼女が真っ直ぐ僕を見て、微笑んだ。普段笑わない彼女が、精一杯作った微笑み。なんて綺麗なんだろう。
―――アルヴィナ、ごめん。僕は諦められないよ。
僕は去って行く彼女の背中を、いつまでもじっと見つめた。
読んでくださり、ありがとうございます!
エドガルはそう簡単には諦めそうにありませんね(汗)明日はイーゼンハルク様視点を投稿予定です。