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氷の華の私に、新たに灯された焔

第1話は短編のままです。短編の続編は第2話からになりますので、そちらをお読みください。

「イーゼンハルク宰相補佐官、こちらが例の案件をまとめた資料でございます」

「ご苦労」


 表情ひとつ変えずに、私から資料を受け取ると、有能と名高い我が上官は、早速パラパラと確認し始めた。


 レオニード・イーゼンハルク、26歳。

 漆黒の髪に、氷のようなサファイアの切れ長の瞳。

 整った容貌とイーゼンハルク侯爵家嫡男にして次期宰相有力候補ということで、女性の間ではなかなか結婚相手候補としては有望な彼ではあるが、2年も部下である私は知っている。

 ―――仕事上では情け容赦無い鬼であると。


 パラパラ読んでいた指が止まり、書類に落としていた切れ長の目がゆっくりとこちらに向く。


「……メルゼブルク秘書官、君が有能なのは私も認めているよ。でも、ここの説得力が欠けるなぁ。もっと数字で示すことはできないのか。これでは、宰相は納得してくれない。グレンブスの資料に数字があったはずだから、それをまとめて、この資料に添付してくれないか?」

「かしこまりました」


(はぁ。グレンブスの資料って、かなりの量があったはず。終わるのかなぁ)


「あ、明日の朝一で宰相に提出予定だから、今日中に頼むよ」

「はい。今日中に仕上げて、またお持ちしますので、ご確認お願いします」


(この鬼補佐官めっ!)


 私は内心毒づきながら、表情1つ変えずに答える。

 仕えているイーゼンハルクが氷の宰相補佐官なら、あまり感情の動きを表に出さず、黙々と仕事をこなす私も、陰で秘書官仲間や女官達に氷の華と呼ばれ、二人合わせて氷結コンビと揶揄されていることを知っている。

 銀色の髪に、アメジストのような大きな瞳で、顔はそれなりに整ってはいるが、整っているが故に、無表情の私は冷たく見えるらしい。


 私はアルヴィナ・メルゼブルク。

 伯爵家令嬢にも関わらず、貴族の子女が通う学園でずっと首席の才媛と呼ばれ、学園卒業後はまだまだ女性が少ない、高等教育が受けられる大学校へと進んで学んだ。


 そして、王宮の難関文官試験にも合格し、適齢期終盤の21歳にも関わらず、社交そっちのけで、現在、秘書官としてバリバリと働いている。ちなみに女性秘書官は、前例はあるが、現在は私、ただ一人。


(絶対完璧なものにして、仕上げてやる! )


 有能秘書官としての意地に掛けて、心に誓う。


(もうすぐお昼休憩の時間だけど、お昼ご飯をゆっくり食べる時間はなさそうね。あっ! でも、今日はエドガルと食事の約束してたっけ)


 エドガル・ヘッセンは2歳年上の同じ秘書官仲間で、つい最近、告白され付き合い始めた私の人生初の恋人。

 胸が激しくトキメクとかはないけど、私と違い、表情豊かで優しく、一緒にいると癒される。彼も私と同じ伯爵家の二男である。まだそういう話は出たことないが、結婚相手としても、適している。


 宰相補佐官の執務室を出て、エドガルを探す。

 廊下でふわふわとした茶色い髪のエドガルの後ろ姿を見つける。


「エドガル!」


 エドガルが振り返り、蜂蜜色の瞳を細め、微笑んでくれる。


「アルヴィナ、そろそろお昼休みに行けるかい? 僕もちょうど今、終わったところ」

「そ、それがごめんなさい。イーゼンハルク様がまた無理難題な仕事を言われて、お昼ご飯、食べられそうにないの」


 私は申し訳なさそうに、エドガルを上目で見遣る。


「そうか。分かったよ。でも、お昼も食べないで、大丈夫?」


 優しいエドガルは、急なドタキャンでも、私の心配をしてくれる。


「大丈夫。いつものように後でつまめる軽食を食堂にお願いしておくわ」

「全くアルヴィナは頑張り屋さんだなぁ。あんまり無理をするんじゃないよ」


 そう言って、私の頭を優しくポンポンと撫でてくれた。


「エドガル、本当にごめんね」

「僕のことは気にしないで? 仕事に一生懸命な君に惚れたんだから」


 そう言ったかと思うと、廊下の柱の影に腕を引っ張られ、私の唇にそっと口付けた。

 私がビックリして、目をパチクリしていると、エドガルは悪戯っぽく笑った。


「これで帳消し」


(えっ、えっ、えー!? エドガルってこういうこともするタイプだったのね!)


 恋愛に無縁な生活を送ってきた私にとって、ファーストキスも深いキスもエドガルとが初めて。

 もちろん、こんな誰に見られるか分からない場所でのキスは初めてである。あまりの突然な出来事で、呆然としてしまう。


「じゃあ、また後でね」


 そう言って、軽く手を挙げ、エドガルはそのまま食堂に行ってしまった。


 私が宰相補佐官の執務室に戻ろうと、踵を返したところ、イーゼンハルク様がこちらに向かって、歩いて来るのが見えた。


(み、見られてた!?)


 恥ずかしくて思わず顔を伏せる。私の目の前でイーゼンハルク様の足が止まる。


「メルゼブルク秘書官、顔が真っ赤だが、体調でも悪いのか」


 ばっと顔を上げると、いつものクールな瞳とぶつかる。


「い、いえ。今から先程の仕事に取り掛かろうとしていたところです」

「体調が悪いのなら、無理をするな」


(み、見られてなかった〜! まぁ、柱の影だったしね)


「だ、大丈夫です!」


 そう答えると、イーゼンハルク様が、ポケットに手を突っ込み、何やらゴソゴソ取り出す。


「これをやろう。風邪なら、喉を潤した方がいいだろう」


 そう言って、私の手を取り、何やら握らせた。

 手を開くと、綺麗な包み紙に入ったキャンディが1つ。クールな上官には似合わない可愛らしいキャンディ。


「イーゼンハルク様は、いつもキャンディを持ち歩いているんですか?」


 思わず、思ったことが口に出る。


「疲れた時にも、小腹が空いた時にも、キャンディは役に立つだろう?」


 手を口に当て、目を泳がせながら、少し照れ臭そうに答えてくれた。


(あ、珍しく鋼鉄の表情が崩れた。こんな一面もあるんだ)


「ありがとうございます」


 少し意外に思いつつ、お礼を述べる。


「では、私は仕事に戻りますので」

「ああ」


 私はこの時、まだ思いもしなかった。

 この宰相補佐官と、あんなことになるなんて―――




(はぁ。すっかり遅くなっちゃったなぁ)


 なんとか例の書類を完成させ、窓に目を向けると、外はすっかり真っ暗だった。

 秘書官専用の部屋には、もう誰も他の秘書官は残っていない。


(イーゼンハルク様にさっさと完成した書類を渡して、もう帰ろう)


 大きな窓から月明かりがさす中、イーゼンハルク様の執務室に向かう廊下を1人歩いていると、ふと外の庭園のベンチに見知った顔を見つけてしまった。


(あ、エドガル)


 遠目だったが、付き合っている男性である。月明かりに照らされて、エドガルとすぐ分かった。

 しかし、1人ではなく、隣には侍女服を着た女性が座っており、何やら親しげに話している。


 その様子をぼーっと眺めていると、2人の顔がだんだん近づいていく。


(えっ!?)


 ゆっくり近づいたかと思えば離れ、また近づいてを繰り返す。そうして、角度を変えながら2人の口付けはどんどん深くなっていく。深い口付けは終わるどころか、ますます激しくなっていくようである。

 思わず持っていた書類が、バサバサと手から滑り落ちた。慌てて拾おうと、しゃがみ込む。


「メルゼブルク秘書官?」


 頭上から声を掛けられ、顔を上げると、そこにはイーゼンハルク様が立っていた。


「例の書類は完成したのか? これから帰るのなら、私も終わったところだし、危ないから、女性寮まで送っていこう」


 私は王宮敷地内の王宮内で働く貴族のための貴族寮に住んでいる。

 イーゼンハルク様はそう言って、落ちた書類を一緒に拾ってくれた。

 書類を拾う、イーゼンハルク様の綺麗な長い指をじっと見つめ、私は動きを止めていた。ショックで頭が全く動かない。


「メルゼブルク秘書官?」


 いつもと違う様子の私に気が付いたのか、イーゼンハルク様が首を傾けて、私を見つめる。


「……っ」


 何か返事をしないとと思うが、動揺して声が上手く出ない。先程のエドガルと侍女のキスが頭から離れない。


「だっ、大丈夫です。一人で帰れますから」


 慌てて残りの落ちている書類をかき集め、イーゼンハルク様の方を見ると、イーゼンハルク様は拾った書類を手にしたまま、窓の外を見ていた。

 どうやらまだお熱いキスタイムは続いていたようである。


「……君とヘッセンは付き合っているのではないのか?」


(知っていたんだ……)


 私もイーゼンハルク様の視線を追って、キスを続けている彼らを見つめる。


「……男の人って、好きでもない女性とキスしたりできるものなんですかね」


 私はエドガルの何だったんだろうか。思えば、エドガルにあんな情熱的なキスをされたことはない。

 深いキスは何度かしたことあるが、あんなに貪るようにされたことはない。あれを見た後では、私とのキスはなんて形式的なんだろうと思う。


(やっぱり私とのキスはつまらなかったのかな)


 恋愛結婚した友人や女官達の噂話から聞いていたキスと、エドガルと自分とのキスは、何かが違っていた。もっと幸せな気持ちになれるものと聞いていたのに。


 正直、自分からキスをしたいと思えない。

 特に深いキスは何か好きになれず、少し気持ち悪くなる。

 むしろただぎゅっと抱きしめられるだけの方が全然好きだった。

 そう、私は深いキスが嫌いである。


(私が深いキスを嫌がっているの、バレてたのかもしれないな)


 漠然とそう思った。


(そもそも彼は、私のどこを好きになったんだろう? 仕事ぶりが好きだと言っていたけど……)


 もしかして、彼女が本命で、私が遊びなのだろうか。


(そもそもおかしいと思ったのよ。氷の華とか呼ばれて、今まで男性なんて誰も近づいて来なかったのに、いきなり告白されるなんて)


 恋愛とは無縁そうな私が、物珍しかったのかもしれない。


「恥ずかしながら、私は二股をかけられていたようです。いや、あちらが本命で、私の方が浮気相手なのかも」


 私が自嘲気味に思わずボソッと呟くと、イーゼンハルク様が私をグイッと引き寄せ、突然抱きしめてきた。

 鼻に爽やかなムスクの香りが広がる。


(えっ!?)


「……泣くな」


 慌てて自分の顔に手をやる。


(私、泣いてるんだ。告白されて、流れで付き合ったような感じだったけど、私、エドガルのことがちゃんと好きだったんだ)


「す、すいません……お見苦しい姿をお見せして」


 私は官服のポケットに入れていたハンカチで慌てて涙を拭う。

 すると、イーゼンハルク様の手が私の顎に触れ、クッと顔を持ち上げられたと思ったら、啄ばむような優しいキスをしてきた。


(!?)


 突然なことに驚いて、私の動きが完全に止まっているのをいいことに、今度は柔らかな舌が私の口に侵入してきた。


 咄嗟に胸を押し返そうとしたが、ビクともしない。

 ゆっくりと歯列をなぞってきたと思うと、深く舌を絡めてきた。

 舌が擦れ合う感触が気持ち良くて、次第に頭がぼーっとしてくる。


「んんっ」


 無意識に甘えるような声が出てしまった。思わずイーゼンハルク様の服をぎゅっと掴む。


(キスって、こんなに気持ちがいいものだったの!?)


 エドガルとのキスは、彼の舌がただ口の中で動いているだけな感じで、こんなに頭が痺れるような気持ち良さを感じたことはなかった。


 ゆっくり顔が離れ、イーゼンハルク様を見ると、いつものクールで眉ひとつ動かさない表情がすっかり崩れ、情欲に満ち熱がこもった瞳をしている。


「俺は好きな女性にしかキスしない」

「へっ?」


(いつも「私」と言っているけど、プライベートでは「俺」と言うんだ……って、今、好きな女性と言わなかった!?)


 いつものクールなイーゼンハルク様とのギャップに頭がついていかない。

 常日頃、氷の華と言われる私もかなり崩れていることだろう。


(わ、私、イーゼンハルク様とキスしちゃった……。付き合ってもいないのに、エドガルには感じたことのない熱を感じた……)


「そんなに潤んだ瞳で見られたら、堪らないな」


 そう言って、イーゼンハルク様の指が、私の頰を優しく撫でる。


(あ、貴方様はどちら様ですか?)

 

 いつもの冷徹な雰囲気のイーゼンハルク様はどこにもいない。情熱的なその様に、私はますます混乱する。


「俺とのキスはどう感じたか? 嫌だったか? キスはいろんな相性が分かるものだ。俺はずっとお前を見てきた。俺にしておけ」


 真っ直ぐ見つめてくる、サファイアの瞳。


(ずっと……?)


 胸が高鳴り過ぎて、苦しくなる。

 イーゼンハルク様のことはものすごく尊敬している。でも、仕事の上で仕える人だし、正直、そんな風に見たことがなかった。


 でも、確かに感じる。

 私の凍っていた心が溶け、仄かに焔が灯るのを。


 ―――もっと甘いキスがしたい。


 この灯った焔が何なのか知りたくて、気がついたら、イーゼンハルク様の頭に腕を回して、私から口付けていた。


 王宮の季節は春。私は新たな恋の予感を感じていた。

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