6話 歪な鬼
(俺は、何をしている………)
混濁した意識の中、一人自問する。
(ここはどこだ。何をしていた。これは何だ?)
瓦礫が散乱した部屋の中は暗く窓は煤けているのか光が差し込む気配はない。
暗闇の中にも関わらず何故か嫌にはっきりと見える視界に移りこんだのは床一面に描かれた魔法陣。
魔法陣は所々擦れ、中心に座していただろう祭壇が崩されている。
ペンキでもぶちまけたかのように床に広がる朱と原型を留めていない肉片。
そして、手に掴んでいたものは同僚であり友人だったモノ。口内に広がる錆臭い鉄の味。
理解したくない、これは悪い夢だ。
全力で理解を拒否する脳に自分以外の声が響く。
(……逃げるなよ、お前がやったんだろ?受け入れろよ。喰ったんだろ?お前が!)
全力の否定を嘲笑うかのように非情な現実が告げられる。
(違う、違うんだ、俺は……)
(……やっと楽しくなってきた見世物なんだ。もっとだ、もっと楽しませろよ。ほら、ここの臭ぇ匂いに釣られて次の獲物がやってきたぜ。正直になれよ、飢えているのだろう?渇いているのだろう?さっきので足りないのならもっと喰えばいい。喰えば満たされるかもしれないぜ。クハ。クハハハハハハ)
その声を最後に気配が消える。
代わりに感じるのは気が狂う程の飢餓感と近付いてくる何者かの気配。
既に限界を迎えていた精神では耐えきれるはずも無く僅かな理性を残しあっさりと本能にその身を明け渡した。
その男だったモノは汚泥をかき分けるような緩慢な動きで扉に向き直り手に持ったままの遺体をあっさりと投げ捨てた。
「喰ワ・・セ、ロ。何・・・でモ、イイ」
気配が近づき、扉がゆっくりと開かれる。待ち望んでいた獲物が見える。若い女が二人。
その姿を目に収めた瞬間、最後に残った理性も吹き飛び、本能のままに地を蹴っていた。
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「いきなり?」
咄嗟に飛び退り、牽制で風刃を放つ。
飛び出した真空の刃は狙い違わず命中するも分厚く覆われた妖気の鎧に弾かれあっさりと霧散する。
様子がおかしいとはいえ鬼である以上妖気の総量は相当なものだろう、下級の術程度では威力を高めた所で荷が重い。
精神体であっても面倒な相手なのに、今回の相手は受肉し物理的に顕現している。
ちょっとやそっとの攻撃では焼け石に水だろう。
考えている間も相手が待ってくれるわけも無く、飛び込んできた勢いのままに腕を薙ぎ払う。
歪に強化されたその腕は、人間ではありえない長さに伸び暴威を振るう。
「フィリア!」
軽いバックステップで避ける事の出来たこっちと違いエルフィリアの立ち位置は鬼との距離が近い。
咄嗟に警告の声を上げるが間に合わない。
当たる、と思った瞬間その剛腕は獲物を捕らえる事無く空を切った。
「……っと、危なかったですね」
腕が触れるその瞬間、一瞬でその姿は掻き消え鬼の後方に現れ声を洩らす。
転移魔術、本来は瞬時に展開できる様な簡単な魔術ではないのだが、それを可能とする練度まで習熟しているのだろう、その様子に能力の高さを改めて感じる。
「では、私も……【雷光の槍】…」
青白い光は妖気に干渉し中和させながら吸い込まれるように胸部に直撃し白煙を上げる。
「まだ、威力が足りないみたいですね」
妖気の鎧は貫いたもののダメージは余り見られない、しかし多少とはいえダメージを受けた事により異形の鬼はその眼に怒りの他に警戒の色を浮かべでいた。
完全に標的と定めたのか、再びその剛腕が振り下ろされるがエルフィリアは冷静に動きを注視しながら器用に杖で腕の動きを翻弄して受け流している。
ふと、エルフィリアの視線が榛香に向き二人の眼が合った。
(気を引くので、お願いします)
その眼に確かな信頼を寄せて伝えてくれているのがわかる。
なら、私はその期待に全力で答えるだけ。
手持ちで行える最高の攻撃手段、あの守りを抜けて確実に仕留められる手段は……
霊力を練り両手を使い複雑な印を組む。
力を収束させ、その力を右手にのみ集め解放する。
右手に伸びるのは蒼い焔の刀、ゆらりと刀の周囲に陽炎が揺らめきその圧倒的な力を誇示している。
「近接戦闘はそんなに得意じゃないけど、これで!」
背を向けていた鬼が空気を振るわせる程の力の奔流を感知し慌てた様子で振り向くが、もう遅い。
最後の一歩を踏み込みその手を振り下ろす。
本能で身を守ろうとし掲げられた腕を何の抵抗も無く切り落とし、肩口からわき腹にかけて一刀に切り落とす。
歪な鬼はその顔に驚愕の表情を浮かべ声なき悲鳴を上げ崩れ落ちた。
「はぁ、はぁ……終わった、かな?」
「そうですね。先程の術がこの部屋にも干渉を始めているようですし、数分もすれば浄化は終わるかと」
「ふぅ~、お疲れ様。フィリア」
「はい、お疲れ様です。榛香」
「ここは、後は専門の人に任せる。連絡するからちょっと待ってね」
スマホを取り出し心霊課へ連絡を入れる。
詳しく調べるのは彼らの仕事だ。
ただ、あの鬼の正体が何かはわからないが、少なくともB級上位からA級の妖力を保持していた。偶然に発生するようなものではない。
で、あるならばこの件は終わりではなく、始まりなのかもしれない。
そして、その予感は外れる事無く世界中に見鬼の異能が発現した時のように、世界中で異変が増加し始めるのだった。