異形の怪物
俺、エレナちゃん、村長の三人はティムさんについていくような形で集会所を飛び出した。
首領オークが手下のオークを食べている。
ティムさんが冗談を言ったのかと思った。俄かには信じられねぇ。目覚めて暴れだすとかならまだ分かる…何で仲間を食い始めるんだよ!
だが広場に着いた瞬間、ティムさんの言葉に何の偽りもなかったことが証明された。
「ほら!あそこだ!広場の真ん中!」
バリ、バリ…グチャグチャ…
「マジかよ…本当に食ってやがる…」
首領オークはその巨体を地面にうつ伏せの状態で寝転ばせたまま、両手で部下オークを握ってその身体を不快な咀嚼音と共に貪っている。
異常事態だ。見ただけで分かる。でもその光景を見ている誰しもがどうすればいいのか分からず、ただ呆然と立ち尽くしていた。ただ1人、村長を除いて。
「いかん…みんな!早く村の外に逃げるんだ!男衆は集会所に急げ!怪我人たちを運び出すぞ!」
村長がいきなり唾を飛ばしながら叫んだ。その目は恐怖と動揺に塗りつぶされている。
しかし住人たちは呆然と立ち尽くしている。当たり前だ。人は頭が混乱してるとまともに行動できねぇんだ。
「お父さん急にどうしたの?!」
「エレナ!お前も早く逃げなさい!このままじゃ危ないんだ!さぁリュージ殿も!」
「逃げんのか?そんなにやべえのかよ?」
「説明してる暇はありません!今は…あぁクソ、始まった!」
始まった?なんだ…首領オークになにか…
『ブ、ゴォア、ギギ…グ…ガァァァァア!』
共喰いをやめた首領オークはその場で立ち上がり、天に向けて咆哮した。俺がバットを叩き込んで出来た頭の傷から声を張り上げるたびに大量に出血しているがそんなのは御構い無しに叫び続けている。
おぞましい。聞いているもの全ての背筋を凍らせるような咆哮だった。
「なにあれ…身体が大きく…それに形も変わっていってる!?」
エレナちゃんの言葉はかなり曖昧に聞こえるかもしれない。だがその通りなんだ。
首領オークの腹がどんどんと膨れていっている。その膨張のせいで頭と足が完全に腹に飲まれてしまった。
それとは逆に腕も腹と同様に膨張を始め、まるで大木のように太く長くなっている。
そして丸々と膨らんだ腹の真ん中が勢いよく裂けたかと思ったが、違った。口だ。巨大の腹の真ん中に同様に巨大な口が出現した。
変化はそこで止まった。もう首領オークの原型はない。それどころか生物としての形すら留めていない奇妙な怪物に成り果てていた。
村長の警告からどれくらいの時間が経っただろうか?住人達は全く避難をしていなかった。何故なら…
『………』
(なんだ?止まりやがったぞ?)
怪物はその場でジッと静止しているんだ。大木のような手を地面につけ、口は半開きの状態になっている。まるで動く気配がない。
村が静寂に包まれた。怪物同様、誰も動くことなく喋る事もなくただその様子を見つめている。
しかしその静寂に耐えられなくなったのか、俺の横にいたティムさんが喋り始めた。
「う、動かないぜあの化け物…どうする村長?今のうちに殺しちまうか?」
「馬鹿者!無謀なことをしようとするな!今は避難が最優先だ!」
「わ、わかったよ!じゃあ俺、家畜小屋に行ってくるよ。家畜達も連れていきたいんだ。」
そう言ってティムさんは立ち上がり、一歩踏み出した。
ドン!ベチャッ!
「え?」
何かがティムさんの上に降ってきた。大質量のそれは一瞬でティムさんを押しつぶし、赤黒い血だまりに変えてしまった。
拳だ…怪物がその肥大化した拳をいきなりティムさんに振り下ろしてきやがったんだ!
『ゴロズ…ゴロズゥ…ゴロジデヤルゾォ!!!』
「いやぁぁぁぁぁあ!!!!!」
怪物の腹の口から地面を揺らすように低い声が発せられ、それを皮切りに村は静寂から一転、悲鳴で塗りつぶされていった。住人達は動揺するあまり纏まることなくめちゃくちゃな方向に逃げ始めた。
怪物もまるでそれを待っていたかのようにその巨腕を住人達に向かって振り回し始めた!
村のあちこちから肉が爆ぜ骨が砕ける音が響き、辺りが赤く染め上げられて行く。
「クソ!なんということだ!みんな、どこからでもいい!村の外へ!とにかく怪物から離れるんだ!エレナ、お前はリュージ殿と逃げなさい!」
「そんな!お父さんは?!」
「私は残って住人達を誘導する!このまま放っておけば被害が広がってしまう!」
「無茶ですよ!一緒に逃げましょう!リュージさんも何か言って…リュージさん?」
「なんでだ?なんでティムさんだったんだ?あいつを仕留めたのは俺で、真っ先に攻撃するなら、俺のはずだ。なのに奴は近くにいたにも関わらずティムさんを狙った…」
「独り言を言っている場合ではありませんぞリュージ殿!さぁ早く!エレナを連れて逃げてください!」
奴はなんで両手で攻撃しないんだ?あんなリーチがあるんだから両手を振り回すだけで相当な破壊力になるはずなのに。片手はずっと地面につけたままだ。
もしかして…
「リュージ殿!」
「いや、その必要はねぇ…村長、エレナちゃん。ちょっと耳塞いでな。」
「リュージさん?一体何を…」
俺は目一杯口から空気を吸い込んだ。吸って吸って吸いまくり、肺が完全に満たされたのを感じた瞬間、それを一気に放出した!
『全員一歩も動くなぁぁぁ!!!!』
俺は自分が出せる最大音量の声で住人達に静止を呼びかけた。これでいい。これでみんなが逃げるのをやめてその場に留まってくれれば…
「す、すごい…みんなあんなに慌ててたのにたった一声で止めちゃうなんて…」
「よし!成功だ!やっぱ腹から声出しゃぁどんな奴でもピタッと止まるもんだな。」
「普通出来ることじゃないと思いますけど…」
「で、ですかリュージ殿。何故止めたのです?早くしなければ怪物が…」
「まぁ村長。あれ見てみな。」
俺は怪物を指差した。怪物はさっきまで暴れていたのが嘘かのようにその動きを止めている。
「なんと…どうなっているんだ…」
「考えてみりゃ簡単な話だったのさ。耳もねぇ、目もねぇ、そんな奴がどうやって狙って攻撃してんのかってな。」
「どうやって、ですか?」
「あぁ、見てみな。あいつ、手の平をピタッと地面につけてんだろ?あれだよ。」
俺の言葉を聞いて村長はまだわかっていないようだったが、エレナちゃんは合点がいったようだ。
「振動…ですか?手の平で地面の振動を感じ取ってそれを頼りに攻撃を?」
「ご名答、賢いねぇエレナちゃん。一歩も動いてなかった俺たちが襲われなかったのがその証拠さ。気持ち悪い見た目してる癖に芸達者なやつだよ。」
「そんな方法で…ですがどうすれば…このままでは我々はここから逃げられませんよ?」
「簡単な話さ。俺が囮になる!俺がバイクに乗ってあいつを引きつけて村の外におびき出す。」
「大丈夫…なんですか?その、リュージさんがお強いことは分かってます。でも、あの怪物は余りにも…」
「心配すんなって、いざって時の秘策があるからよ。」
そう言って俺はジャケットの右ポケットの中にある球体を触った。『黒龍の雷珠』こんなよく分からねぇ、しかも下手したら死ぬかもしれないもんに出来るもんなら頼りたくねぇ。
でも、腹くくるしかねぇみたいだな…
「私も行きます!リュージさん、私もバイク?に乗せてください!」
「は?いやいややめとけエレナちゃん。絶対危ないって。俺だけで十分だよ。」
「いえ、元々はこの村の問題なんです。それなのにリュージさんだけが囮になるなんて…そんなのおかしいです!お役に立てるかはわかりません。ですが私はこの村の住人として責任を持ちたいんです!」
「…なぁエレナちゃん。俺は君がどうしても一緒に行きたいってんなら連れてってやる。だがな、あんな化け物が相手だ。死ぬかもしれねぇんだぞ?覚悟は出来てんのか?」
「出来てます!でなければこんな事言いません!」
「…だってよ村長?」
村長は険しい顔をしてる。当然だ。娘を危険に晒すんだからな。親なら誰でも止めたいに決まってる。でもすぐに言わないってことは村長も同じ考えなんだろうな。
「リュージ殿…エレナは、私の一人娘です。昔からやると言ったら…絶対にやり遂げようとする娘で…」
「分かってるよ村長、どんなことがあってもエレナちゃんは守ってやる。俺の命をかけてでもな。」
「リュージ殿…あなたは一体どうしてそこまで…」
「ん?さぁな。俺に出来ることがあるからやるんだ。理由なんざ後から考えればいい。俺たちヤンキーはそうやって動いてんだよ。」
=====
怪物は静止したまま、住人達も動かずその場に留まっている。
俺とエレナちゃんは互いに目配せしてから住人達の位置を確認し、そして一気にバイクに駆け寄った!
『ウゥゥゥゥゥ…ゴロズ…ゴロズゥゥウ!!』
怪物は俺たちの足音に反応し、その身体を腕で引きずるようにして俺たちの元に這いずりよってくる。
「そうだこっちに来やがれデブ野郎!!」
俺はエレナちゃんがシートに乗るのを手伝ってからバイクに飛び乗って、キーを回しエンジンをふかした。だが予想外なことが一つ、このデブ思いのほか早く動きやがる!もう俺たちに向かってその拳を振り下ろしてきている。
「リュージさん!」
「当たるもんかよぉ!」
ブォォォオーーーン!
俺はバイクを急発進されてなんとか拳を回避した。攻撃を外した怪物はバイクの音を辿ってさらに這い寄ってくる。俺はそのまま丘の斜面に向かってバイクを直進させた!下り坂だが関係ねぇ、フルスロットルだ!
『マデェ…ゴロズゥ…ウゥ…ガァァァァ!!』
「リュ、リュージさん!怪物が!丘の頂上から飛びました!」
「はぁ?!おい待て待て!その巨体で飛ぶのかよ!」
あんなバランスの悪い体型だ。てっきり斜面を転がるか、あの太い腕で這ってくると思ってたが、地面の振動を読み取ったり飛んだりとなんでそんなに器用なんだよこいつ!
ドスン!ドスン!ドスン!
そろそろ斜面を下り終わると思っていたら怪物は丘の頂上からジャンプして何回かバウンドした後、俺の頭上を通り越して先に下の野原に着地し、長い両腕を目一杯に横に広げそのデカイ口を開いて俺のことを待ち構えてやがる!俺の進路を断つ気だ!
「塞がれた!このままじゃ激突しちゃいますよ!曲がりましょう!」
「今曲がったところでたかが知れてる!あの腕に捕まっちまうだけだ!」
「じゃあどうすれば…」
ブレーキもダメだ!今この勢いを殺したら奴に叩き潰される。曲がるにはスピードがつきすぎてる。…!
「エレナちゃん。このまま奴に向かって直進するぞ!」
「…はい!」
「お?なんでですかって聞かねえのか?」
「リュージさんを信じます!今は理由なんてどうでもいいんです!」
「その通りだ!行くぜ、しっかり掴まってな!」
俺はさらにバイクを加速させた。怪物は俺たちが曲がる気がないことに気づいたのか、片方の手を後ろに振りかぶり横薙ぎをふってきた。
「遅えんだよ!ジャンプ出来んのがてめぇだけだと思うなよ!ウォォオォオ!!」
ブォォォォォオ!!バンッ!
「キャァァァァ!!と、飛んだ!馬がとびましたよリュージさん!」
「おう、狙い通りだ!衝撃に備えろ!」
俺は斜面の先に岩があるのを見つけた。まるでジャンプ台みたいになってたんだ。ぶっちゃけ賭けだったがなんとかうまくいったぜ!
バイクは怪物の頭上に着地した。ブヨブヨした気色の悪い感触だったが気にしてる暇はねぇ。そのままバイクを走らせ、地面に着地した。
「やった!やりました!これでもう少し離れたところまで怪物を…」
「……! エレナちゃんすまねえ、受け身は取ってくれよ!」
ドンッ!
「え?リュージさん!!なんで!」
バゴォォン!
俺は地面に着地した後、エレナちゃんをバイクの後ろ側に突き落とした。着地した後だからあんましスピードはついてねぇから大丈夫だとは思うが…そんな心配をしていた俺に左側から凄まじいスピードで振られた怪物の拳が直撃し、俺の身体とバイクはそのまま横に吹き飛んだ。