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beautiful world  作者: 宝積 佐知
beautiful world.
4/7

4,化物

 初めて見たとき、それは大地を焼き尽くす紅蓮の炎のようだと思ったのだ。全てを呑み込み灰と化す死の炎。瞬く間に広まり、奪い尽くしていく戦火にそれはよく似ている。

 だから、リオンは初めてロックに会ったとき、この人こそがこの戦乱そのものなのだと、漠然と感じた。

 この男を鬼や悪魔と蔑む者は、残念ながら多い。また、この男が戦争を起こしているのだと現実味を帯びない空想を頑なに信じる者も多い。それほどに、この男は強かったのだ。ものの喩なんかでなく、一騎当千を地で行くその戦いぶりは、百戦錬磨の戦士でさえも名を聞くだけで震え上がるものだ。

 湿気を帯びた大地に立つロックとリオンの前に、武器を構えた兵士が犇めいている。軍隊が国を守ろうと覚悟を決め、目の前の男を殺そうとする気迫に、リオンは大津波に呑まれる小舟のような気分だった。圧倒的戦力の差に、リオンはただ覚悟を決める。例え此処で死ぬことになっても悔いはないと心に決めようとして、ロックが平然と言った。



「俺の傍を離れるなよ」



 凛と背を伸ばして、正面を真っ直ぐ見据える。紅い髪が風に舞い起こるその様は正に紅蓮の炎。猛禽類のような瞳には何の迷いも怯えもない。その意味が、リオンには何となく解るような気がした。

 何の予備動作もなく踏み出したその一歩は、背中に羽を持つかのように軽やかだった。敵軍は目の前に迫っていた。向けられる槍の森に突き進んだロックの体を幾つもの刃が突き刺さると誰もが思った。けれど、瞬きをするまいと目に力を込めた筈のリオンが見たのは、一掃された敵軍の哀れな姿だった。

 誰も何が起こったのか解らなかった。それでも迎え撃つしかない敵軍が、雄叫びを上げて突っ込む。ロックは一振りで剣の血を払うとまた一歩踏み出した。

 付いて行くのが精一杯だった。隣に並ぶことなどできない。小さくなるロックの背を必死に追い掛けて、飛び散る血液が全身に染み込む。遠くで悲鳴が上がった。反射的に顔を向ければ、其処には金色の髪を躍らせるシヴァの姿があった。破壊神と呼ばれるシヴァは戦うために生まれて来たような男だという。仮面のような無表情のロックに比べて、楽しくて仕方がないというシヴァの面は笑みで溢れている。

 象と蟻の戦いだった。たった一歩で大勢の命を呑み込んでいく二人の前に、敵軍は敗走せざるを得なかった。目的地であった隣国の王宮は目の前まで迫っている。大きな扉が行く手を阻み道を塞ぐ。漸く、ロックは足を止めた。

 ひゅうひゅうと喉が奇妙な音を立てる。リオンは口内に広がる血の味を唾と共に呑み込み、悲鳴を上げる膝に手を付いた。頭から血を被ったかのように、全身は赤く染まっている。

 ロックは剣の血を払い、リオンに向き直った。これまでの戦いぶりが夢であったかのように返り血一つ浴びないその姿に目を疑う。ロックはリオンを見ていた。



「俺だって、戦いが好きな訳じゃねぇよ」



 離れた場所で戦闘していたシヴァが、少し遅れて合流する。リオンと同じく返り血に染まっているが、その面は心底楽しそうだった。ロックは無表情にシヴァを一瞥し、続けた。



「戦わず開ける道があるのなら、俺だってそうするさ。だが、戦うことでしか変えられないものがある」



 リオンは返事ができなかった。喉の奥が乾いて張り付くようだった。

 ロックの言葉を聞いて、リオンは固く目を閉ざす。血も涙も無い冷徹な人間と言われるロックが、そんな言葉を吐きたくなるような目を向けていたのだろうかという罪悪感からだった。

 シヴァがへらへらと笑いながら、リオンの肩に肘を付いた。



「そうとしか生きられねぇ人間も、いるけどな」



 シヴァは皮肉ではなく、日常会話の冗談のようにからりと笑った。けれど、リオンは寂しげにシヴァを見詰める。

 零番隊は国境なき騎士団内でも最強を誇るが、それ故に他部隊と一線を引き敬遠されて来た。けれど、此処で戦う者もまた人間だ。彼等の生い立ちなどリオンの知るところではないが、生まれたときから強かった訳ではないだろう。そして、人を殺すために強くなった訳でもないだろう。大切なものを守る為に、強くなったのだ。

 戦うことでしか生きられぬ修羅のような人間もいる。その犠牲の上に成り立つものがある。この世は白と黒で塗り分けられている訳ではない。誰もが被害者で、加害者だ。ロックは自分も加害者の一人と言ったけれど、それは同時に被害者でもあるという意味にも繋がる。

 ロックは大きな扉の前に立ち、静かに息を吸い込んだ。



「さて、結末を見に行こうか」



 そうして微笑んだロックは酷く儚げだった。何故だかリオンはそのままロックが消えてしまいそうな気がして、その名を呼ぼうとした。まだ、教えてもらいたいことが沢山ある。まだ、何処にも行かないで。

 ついて来い、と言ってロックは剣を振り上げた、ような気がした。リオンにはロックの剣が一筋の閃光となって見えただけだった。大きな石の扉は呻き声にも似た轟音を低く響かせ、真っ二つに崩れ落ちた。リオンが驚く間もなく、ロックは既に走り出していた。目の前には武器を構えた兵士の軍勢が広がっていた。



「国境なき騎士団零番隊隊長、ロック・アルファ。絶対的正義と中立の下に、この戦争貰い受ける!」



 その凄まじい戦いぶりから、ロックの周囲には常に敵の血がまるで霧のように舞っていた。血霧の中を突き進むロックに無数の槍が突かれ、剣が振り下ろされ、矢が降り注ぐ。それでも止まらぬ勢いは、全てを呑み込んでいくマグマのようだった。

 リオンはその後ろで折れた矢を避け、雨のように降る血を吸わぬよう口元を抑えながら必死に追うことしかできなかった。そして、ロックは建物内部に斬り込んだ。

 警備は手薄だった。まさか、建物内部が戦場になるとは夢にも思わなかっただろう。武器を持たぬ侍女や学者が悲鳴を上げ、腰を抜かす。リオンは一瞥するだけでロックを追うことしかできなかった。

 雅やかな赤絨毯の廊下を踏み付け、ロックが一枚の扉の前で漸く停止する。リオンは膝に手を付いて大きく息を吸い込んだ。シヴァが機嫌良さそうに鼻歌を歌いながら剣の血を切る。ロックは扉に手を当てた。暫しの無言を挟んで何かを考える素振りをしたかと思うと、ロックは勢いよく扉を押し開けた。

 そして、次の瞬間。時が止まった。



beautiful world



それは恐れから

それは敬いから

それは尊さから

それは同情から

それは妬みから

それは絶望から

それは希望から


人は彼をそう呼んだ



4、化物






 噴き出たのは赤黒い血液。白いマントを染め、無数の刃先が顔を覗かせる。だらりと下げられたロックの腕から血が滴り落ちる。リオンの頬に、生暖かい血液が飛び散った。



「……ロック、さん……?」



 何の声も返さないロックを不審に思って、リオンは少し笑ってみた。無視しないで下さいよ、と声を掛けようとして失敗した。ロックに突き刺された剣や槍が勢いよく抜かれ、薄い身体が木の葉のように揺れる。

 扉の奥で、玉座の男が高笑いを響かせた。



「はははははははッ」



 何が可笑しいと、叫びたかった。けれど、リオンは倒れるロックの体を支えようと手を伸ばす。ロックはゆっくりと膝を着いた。



「隊長ッ!」



 叫んだのはシヴァだった。髪を逆立てる勢いでシヴァは剣を持ち、目の前の男達に斬り掛かった。シヴァなら瞬殺できるだろう人数だと思われが、男達は鋭い音を響かせてその剣を防いだ。

 ギリギリと剣を押すシヴァが、忌々しげに言った。



「お前等、傭兵か……ッ!」



 国境なき騎士団と対を成す存在、それが所謂傭兵だった。金の為に戦う信念も忠義もない人間達だ。

 項垂れたロックの横にリオンはしゃがみ込んで、その肩を揺さぶった。



「ロックさん、ロックさんッ!」



 反応が無いと知ると、玉座の男はにたりと深い笑みを浮かべた。恐らく王であろう出で立ちだが、気品は微塵も感じられず、肥え太った豚に感じた。

 王は、可笑しくて堪らないとでもいうようだった。



「呆気ないものだな、ロック・アルファ」



 動かないロックを蔑むような目で見る王を、リオンは精一杯睨み付けた。

 この人は、お前のような下種が蔑んでいい相手ではない。そう言ってやりたかったけれど、胸が詰まって何も言葉にできなかった。



「戦争の裏に気付いたようだが……、全てはもう時遅しだ。あの国はもう終わったも同然。貴様等、国境なき騎士団のあぶれ者風情が幾ら粋がったところで、所詮は青二才の戯言にも等しい。幾ら正義を掲げようと、中立を誓おうと、金で雇った傭兵にすら敵わんではないか!」



 下卑た笑いをする王にリオンは、心底腹が立った。それは殺意にも似たものだった。



「目障りな若造共め。貴様等も所詮は時代の歯車の一つだ。儂が動かす時代のな」



 シヴァがギリギリと剣で押すが、七人の傭兵を相手にその眼は余りにも怒りで濁っている。そして、王が立ち上がって一際大きな声で叫んだ。



「平和は、金で買えるッ!」



 けれど、王がそう叫んだとき、リオンが掴んでいたロックの肩が微かに震えた。驚いて顔を覗き込むと、其処には日輪にも似た金色の瞳が煌々と輝いていた。



「言ってくれるぜ」



 笑いもせず、泣きもせず、ただただ無表情にロックは顔を上げた。王は余りのことに喉から引き付くような音を鳴らす。競り合っていたシヴァと傭兵も、呆然と血塗れのロックを見ていた。



「平和がどんなものかも知らない癖に」



 驚いた王が一歩後退り、倒れるように玉座に着く。ロックの目には鬼火にも似た仄暗い炎が宿っている。それがこの男の怒りなのだと気付くのに、リオンは時間が掛かった。

 王が震える指先をロックに向けた。



「き、貴様……何故生きてる! あれだけ刺されて!」



 ロックはゆっくりと立ち上がった。穴の開いた服に染み込んでいるのは、紛れもなくロックの血だ。けれど、そのロックが受けた傷は一つ残らず完治していた。



「化物めッ!」



 其処で漸く、ロックは笑った。馬鹿にするような嗤いだった。



「違いねぇ。化物なのさ、俺は。心臓を貫かれても、首を切り離されても、頭を潰されても死ぬことはない。何百何千何万と殺されて来たが、一度だって死んだことはねぇよ」



 くつくつと喉を鳴らしてロックが笑う。リオンは身動き一つできなかった。



「さっきから俺のことを餓鬼扱いするがな、俺はお前なんかよりずっと永く生きている。青二才はてめぇだよ」



 現実味を帯びないその話を一体誰が信じるというのだろうか。けれど、傭兵と切り結んでいたシヴァはその場を一歩後ろに飛んで離れると、ロックの傍で微笑んだ。



「一度、噂で聞いたことがあります。不死身のロック。戦闘での腕を買われて付いた通り名だと思っていましたが……、そのままだったようですね」



 俄かには信じ難いけれど、とシヴァは引き攣った笑いを浮かべる。

 王が怯えるように叫んだ。



「な……、何をしている! 早くそいつを、」



 殺せ、と王の口が動こうとした瞬間、其処には剣を振り切ったロックがいた。傭兵等は剣を振り上げることもなく、その場に崩れ落ち血の池を作った。

 音速を超える速度で、ロックは既に王の前に立っている。玉座から、慌てて退き隠れようとする王を冷たく見下ろしていた。



「た、頼む、許してくれ! 命だけは!」



 ロックは苦笑した。



「俺を盗賊だとでも、思っているのか?」



 その笑いの意味はきっと、王には解るまいとリオンは思った。一瞬の内に物言わぬ肉塊と化した傭兵達は、多勢に無勢であったとはいえ、シヴァでさえ振り切ることのできなかった猛者達だ。その力に怯えるばかりの王には、ロックのことなど何一つ解らないだろう。

 ロックはゆっくりと諭すような丁寧さで言った。



「俺達は国境なき騎士団。お前の命なんざ、欲しくもねぇ」

「な、ならばッ! 何が欲しいのだ! 金か、名誉か!?」



 ロックは首を振った。



「平和、だ」



 返り血すら浴びぬ剣を鞘に納め、ロックは王をじっと見詰めた。数分の内に随分と老いたように感じる。この男にはもう戦争を続ける力など無いだろう。



「あの国に二度と手を出すな。また再び、罪も無き民に無用な血涙を流させるようなことがあれば、国境なき騎士団零番隊隊長ロック・アルファ、その名を掛けて貴様を沈黙の肉塊へと変えてやろう」



 其処に転がる者どもと同じように、とロックは鋭く言い切った。王は悲鳴にも似た声を上げ、何度も何度も頭を下げた。ロックは踵を返し、振り返ることなく王の間を出て行く。呆れたように首を竦めるシヴァが続き、リオンも慌てて後を追った。

 廊下には武器を構える兵士がずらりと並んではいたが、ロックは剣を抜かず、その堂々とした振る舞いに誰も手を出すことができなかった。シヴァが言った。



「殺さなくていいんですか?」



 ロックは振り向かなかった。



「いい。あの男を殺せば、また戦争が起こる。次は指導者を失ったこの国でな」



 あの男が間違っているとは、リオンは思えなかった。野心家ではあるようだが、上に立つものとしてそれは必要なものだ。この戦乱の世を治める為に、武力により統一しようとするならそれは国境なき騎士団とて同じことだと思うのだ。

 正義とは酷く曖昧だ。ある意味では勝者こそが正義でもある。だからといって、弱者が全て悪者だとは決して言えない。それを信念に掲げる男が如何してこんなにも揺るがず、前を見据えて歩き続けているのかが不思議だった。

 自らと不死身と言うこの男は一体今まで、何を見て来たのだろう。リオンは問う。



「貴方はどれ程の時を生き、どれ程の戦場を越えて来たのですか」



 ロックの足は止まることも迷うこともない。振り返ることすらなくロックは前に進み続け、言った。



「この戦乱が起こる以前、今では神話として語り継がれる革命戦争の終結後の平和な時代から。そして、戦争が勃発してから今に至る」



 この永き戦乱の以前には平和な世界があったというそのお伽噺を信じる者は少ない。千年近く続くというこの永き時代の間に誰もが疲弊し、絶望したのだ。

 それが本当ならば、千年近くの時を一人老いることなく、死ぬこともできず生き続けるこの男は今何を思うのだろう。リオンは真っ直ぐに伸びた背中を見詰めた。



「貴方は一体、何者なのですか」



 敵なのか味方なのかも危ういと、リオンは瞬間的に思った。けれど、その考えを読み取ったかのようにロックは言った。



「国境なき騎士団零番隊隊長ロック・アルファ、それ以外の何者でもないさ。何百年時が過ぎようと、俺の意志は変わらない」



 外は既に日が暮れ、空にはガラス片を散りばめたような星々が輝いていた。銀色の月を眩しそうに見上げながら、ロックは漸く振り返った。



「俺は人間が好きなんだ。欲望に脆くて、醜悪で愚かで、けれど強い人間が。何度絶望の淵に立とうと、何度地獄に堕ちようと這い上がろうとする」



 それこそが全ての答えだとリオンは思う。

 夜空に流星を見つける度に、願いを託して来た。どんなに辛く悲しい暗闇の中でも、たった一つでも光を見付けようとする。それが人間だ。

 シヴァが呟くように言った。



「それにしても」



 シヴァは頭の後ろで手を組み、不貞腐れた子どものように言った。



「俺の夢は、隊長を超えることだったのに……。夢が遠退きました」



 ロックは肩を竦めて笑った。



「夢なんてもんは案外、手に入れない方がいいもんだぜ?」

「またそんなこと言って」



 シヴァが不満げに言う。リオンはくすくすと笑う。

 さて、とロックが背伸びをした。



「もう一度、あの国に戻って状況を把握しないとな。急ぐぞ」

「また国境越えですか。夜が明けてからにしませんか?」

「駄目だ」



 ちぇ、と口を尖らせるシヴァを横目にぴしゃりと言い切って、ロックはリオンを見た。



「次の戦場が、俺達を待っているからな」



 リオンは頷いた。口元には僅かに笑みが浮かんでいる。

 すぐに背を向けたロックにも、僅かに笑みが浮かんでいる。



「行くぞ」



 歩き出すロックの背を追って、リオンもまた足を踏み出した。

 初めての戦場を終えたリオンは清々しい気持ちで一杯だった。けれど、いつか辛さだけが残る戦争も経験するだろうと思ったが、足を止めることはしないと誓った。永き時を戦い続けるこの男の背を追いながら、自分も誰かを救える人間になりたいと思う。


 そして、ロック・アルファという多くの謎を抱える隊長と、リオンは暫くの間二人で戦場を越えていくことになる。


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