願いを叶える魔王様
「貴様の願い、一つだけ叶えてやろう」
「いえ、結構です」
奇怪な申し出を、小野塚結希は二秒と待たずに一蹴した。
――確かさっきまでゲームをしていたはずだ。
結希は、手にゲームのコントローラーを持って固まったまま、冷静に自分の記憶を振り返る。
結希が以前買ったゲームソフト『フルムーン・ファンタジー』(通称FF)は、難易度が恐ろしく高いことで有名なRPGだ。その鬼畜さ故に数あまたの人間が、クリアまで辿り着けずにプレイを途中で放棄したとか……。
……だってラスボスなんて、主人公の勇者パーティを全員最高レベルにしても、連携をかなり巧妙に組まないと倒せないし……。
そして結希がこのゲームを始めて早半年。自室で過ごす時間のほぼすべてをこれ費やし、幾度も心が折れそうになりながらもやっとの思いで結希がクリアした矢先だった。
液晶画面から、魔王が現れた。
「……貴様、この我が輩がせっかく願いを叶えてやろうというのに、その態度はなんだ?」
上から目線な喋り方で、魔王が結希に問う。直立する魔王に対し、結希は床に腰を下ろしてそれを見上げている状態なので、構図としては口調通りである。
結希はとりあえずコントローラーを床に置き、どういう原理で現れたか理解不能のその男と話し始めた。
「例えば、ですよ。強面のおじさんに『欲しい物なんでも買ってあげるからついて来て』って言われたらどうします?」
「知らん」
「うわ、魔王にこんな比喩は通じないか。……じゃあ、全身を黒いローブで覆った怪しい商人が『これを使えば魔王様に刃向かう勇者ごとき、一秒で全滅ですよ。今ならお安くしときますぜ。ヒッヒッヒ』って言って突然訪ねてきたらどうですか?」
「うむ、第一に疑うな」
得心がいったように、魔王は首肯する。その言葉で魔王が自分の首を絞めたことに気づくには、存外時間がかかった。魔王は数拍置いてから「ちょっと待て」とツッコんできた。
「我が輩のこの姿のどこが不審だと?」
「……そこに鏡があるので、しかと自分を見つめ直してください」
結希は呆れた口ぶりで言い、部屋の隅に置かれた姿見を人差し指でさした。
魔王は姿見の前へ移動すると、そこに映る自らの様相を眺め始めた。襟の立った巨大な黒いマントで体全体を隠し、顔のほとんどは漆黒の髪に覆われていて、わずかに覗くその目は赤く輝いている。明らかに異質だ。
それでも魔王はやはり納得がいかないらしく、首をかしげていた。
「別におかしいところなどないだろう」
どうやら魔王の価値観はこちらの世界とはだいぶ異なっているようだ。
結希が溜息をついている間にも、魔王は鏡の前でニヒルな笑みを浮かべながら片手を高く掲げ、何やら決めポーズを取り、自分の姿を堪能していた。
というかそもそも――
「あなた、FFの魔王であってますよね?」
そう、勝手に『魔王』と呼称しいていたが、その男の風体は、RPG『フルムーン・ファンタジー』のラスボスたる〈満月の悪魔〉――つまるところの『魔王』そのものなのだ。
結希の質問に魔王は振り返り、
「無論だ。我が名はルナルスター・ルシファー! 世界を常闇に陥れたかの有名な〈満月の悪魔〉とはまさしく我が輩のことだ!」
ルナルスターは右手でマントを翻しながら、高々と、近所迷惑な声で言い放つ。今は親が留守だからいいものの、もしそうでなかったら、何事かと結希の部屋に駆け込んできていたことだろう。
ちなみにこのルナルスター・ルシファー、今しがたゲームで結希(の操作する勇者パーティー)によって倒された男だ。
「はあ、そうですか」
ルナルスターの意気揚々とした自己紹介を、結希は特に関心なさげにあしらった。
「おい、もっと驚くなり恐怖するなり、なんかあるだろう?」
「一応驚いてはいますよ。ただ……さっき俺がゲームで倒したばっかりだからだと思うんですけど、威厳とかそういったものをまったく感じないんですよね……」
「……それは言うな。脚本なのだから仕方がないだろう」
肩を落とし、うなだれるルナルスター。脚本だからと割り切ってはいるものの、勇者に負けるのはやはり悔しいらしい。
「で、その勇者に負けた魔王様が俺になんの用でしたっけ?」
「同じ傷を何度広げれば気が済むんだ……。だから、願い事を一つ叶えてやろうと――」
「あ、それだったらお断りします」
「せめて最後まで言わせて!」
上から目線気味の台詞によってかろうじて保っていた威厳も、もはや完全に消え失せていた。随分とメンタルの弱いラスボスである。
「そもそも、いきなり願い事を叶えるとか、どういう状況ですか?」
結希が訊くと、ルナルスターは「気を取りなおして」と言わんばかりに一度こほん、と咳払いをしたあと、口調を戻して喋り出した。
「我が輩が『願いを叶えてやる』と言ったのは、それすなわち『フルムーン・ファンタジー』をクリアした貴様に対する褒美だ。ただ、クリアした者全員が願いを叶えてもらえるというわけではない。これは、このゲームを真に愛し、裏ワザや攻略の情報を一切使用せずに、悪戦苦闘して、自力で、正々堂々とクリアした貴様のような崇高な人間にのみ与えられる権利だ。権利であり、我々からの敬意でもある。光栄に思え」
「我々?」
「『フルムーン・ファンタジー』におけるすべてのキャラクターのことだ」
「その中で、出てきたのがなんで魔王なんですか……」
クリアの褒美なら、勇者とかが出てくるべきなんじゃ……。
「今回は偶然我が輩が当番であっただけのことだ。購入したソフトによって誰が出てくるかは異なる」
「いやでもよりにもよって魔王って……」
「どこかの村の一般住人や初期の敵キャラよりは断然マシだろう」
「うわー、そんなキャラまで……」
どうやら結希は思いのほか運が良かったようだ。
「で、願い事でしたっけ?」
「そうだ。なんでも叶えてやろう」
「って言われてもなぁ……」
口元に手を当て、結希は考える。
――『願いを叶えてやる』
そんなことを言われても、願いなんてとっさにパッとは思い浮かばない。とはいえすぐには浮かばずとも、誰しも突き詰めてみれば大なり小なり望みはあるものだ。
――頭が良くなりたい。――絵が上手くなりたい。――意中の人ともっと仲良くなりたい。――自分の性格を変えたい。――身長を伸ばしたい。――病気を治したい。――地球の裏側まで行ってみたい。――もっと飛び出して、宇宙へ行きたい。――あれが欲しい。――これが欲しい。――も欲しい。――も手に入れたい。――も捨てがたい。――いっそのことそれらすべてを買える程のお金が欲しい。――果てには漠然と、幸せになりたい。
ほんの些細な望みさえ無いということはあり得ない。
そして叶うのが一つだけと言われれば、それらの中からどんな願い事がいいかを時間の許す限り考えて、最良の案を選び抜く必要がある。
――『願いを叶えてやる』
それは通常、返答するための時間がいくらあっても足りない、難問だ。
ただ結希の次の行動は、そんな『通常』から大きく外れていた。
「なあ、魔王さん」
「なんだ?」
「これって、ズルいまねをしないでクリアしたからこその褒美なんですよね?」
「ああ」
「願いを叶えるって、これ、人生における最大のチート手段じゃないですか。ゲームを正々堂々クリアした人間に裏ワザを授けるんですよ? 苦労してエンディングまで辿り着いたプレイヤーを侮辱してるんですか?」
結希は自分の体の奥から、ふつふつと沸き上がってくるものを感じ、徐々に冷静さを欠いていった。
「いや、ゲームと現実は別であろう。それに、貴様に敬意を抱いているからこそのこの褒――」
「だからそれが侮辱だっていうんですよ。そもそも俺はそんなもののためにFFをクリアしたわけじゃない。純粋にこのゲームを楽しむためにプレイしていたんです。……というか、そう考えるとムチャクチャ腹が立ってきた!」
「えぇ!?」
そして、沸き上がったものは全身を駆け巡り、怒り心頭に発した。結希は床にバン、と手を叩きつけ、勢いよく立ち上がった。
「あんたなんてタイミングで出てきてくれたんだよ! 俺がFFクリアして! 自分の辿ってきた物語のラストを涙まじえつつしっかり見届け! エンディングムービー見ながらこれまでの努力や苦労なんかを振り返って! あと『よくやったぞ俺』なんて自らの成果を褒め称えてみたりもして! それでエンディングの後もクリアした感動の余韻に浸っていたそ・こ・で・だ!! 画面からなんか出てきたと思ったら『貴様の願い、一つだけ叶えてやろう』だぁ!? 今思えばあんたのせいで感動台無しじゃねぇか!」
敬語も忘れてまくしたてる結希。シリアスな映画が放映され、観客が感動の渦に巻き込まれた映画館に直後、アロハシャツを着たおっさんが「ハロ~」とハイテンションに乱入してくる。魔王がしたのはいわばそんな無粋なことなのだ。結希がキレるのも無理はない。
「いや、その……!」
ルナルスターはその勢いに気圧され、
「……すいませんでしたァ!」
ついには腰を九十度折って謝罪した。ゲームの世界で勇者に倒された魔王は、現実世界の戦士にも打ち負かされてしまうのだった。
「俺は人生も一種のゲームだと思ってる! セーブもやり直しもできない、FFをも凌ぐ超高難度の鬼畜ゲーだ! だけど願いを叶えるなんてチートは卑怯ってもんだ! 裏ワザ使ってクリアしたゲームの何が楽しいんだ!? まともなやり方でじっくり時間をかけてクリアした方が余程面白いに決まってる! それと同じだ! 過程をすっ飛ばした結果になんの意味がある!? 何が楽しい!? 何が面白い!? 分かったならさっさとゲームの中へ帰れ!!」
「了解ッ!」
こうして、RPG『フルムーン・ファンタジー』最強キャラクターである魔王――〈満月の悪魔〉ルナルスター・ルシファーは、ただの少年である小野塚結希に圧倒され、足早に液晶画面へ逃げ帰っていった。
のちに『フルムーン・ファンタジー』世界内では、ルナルスターによって「現実世界はゲームの中より恐ろしい」と語られることとなる。
魔王が消えて十数分後、改めて冷静になった結希は、果たして考えるのであった。
――もったいないことしたな。
しかし一方で、持論を通しきったことに自らを誇ってもいた。
その後『フルムーン・ファンタジー』を幾度クリアしても、魔王は二度と結希の前に戻ってくることはなかった。
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