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その優しさもはなまる!

作者: 艦桜 奏

面白いか、面白くないかは僕もわかりません。ただ、試しに読んでみてください。

人の温かさがしだいに染み入るのではないのかと思います。

 ある日、春休み中の部活の帰りのことだった。

 ぼくは最寄駅からのびる歩道橋をショッピングセンターに、のどかな春の風をに学ラン越しに感じながら、足早に向かった。

 昨日、母とささいなことで喧嘩をしたのだ。もう、今後は一切飯を作らないらしい。仕方なくフードコートで自分の小遣いをはたいて何かを食らうしかなかった。中学生のぼくとしては、せっかくの春休みなので小遣いでゲーセンを楽しみたかったけれど、まあ、仕方が無い。それに、普通の人よりは多めに小遣いをもらっているから、そんなに困ることもない。

今日の太陽は、夏のおもむきをちょっぴり含んでいる。

 ぼくは学ランとカーディガンに包まれた開襟シャツを素肌に、べっとりした不快感を感じていた。

階段を下りるたびに背中の熱が増して、時たま走るむず痒さが本当に嫌だ。

一階の入口手前にあるエスカレータを下り、二枚の自動ドアに挟まれたエントランスを抜ける。二枚目のガラスが開いたその時だ。地下の喧騒に踏みつけにされたタイル張りに足を入れると、暖房でも入れているんだろうかと感じるほど体にはりついてきた空気に耐えられなくなった。居ても立っても居られなくなったぼくは、両耳からイヤホンをはずし、スマホごとポケットにしまってから脱いだ学ランをカバンにつっこんだ。

 普段から雑に扱ってきたボロボロの、私立中学の刺繍ししゅうの入った紺碧のカーディガンと汗で黒ずんだシャツがあらわになる。

 正面は様々な店を構えるフードコートだ。ボリュームのある炭水化物を食べたかったぼくは、丁度目に飛び込んだうどん屋に歩みを進めた。

朱色を基調にした「はなまるうどん」と書初めような字とにっこりマークの掲げられた看板に思わず感嘆の声を上げそうになる。

 昼の、お年寄りや子供を連れたママさんで混雑した列に入る。

ぼくは立て看板のメニューに目をった。 なるだけ安いものだいいな。余った金で帰りに2Fのゲーセンにでも寄ろう。

でもその時だ。突っ立ていたぼくと前の人との間隙に老人がいきなり割り込んできた。

 その男の頭は乾燥した春雨はるさめのようにゴワゴワしていて、真ん中がぽっかりと穴のあいたように禿げていた。

気のせいか、その老人が今こっちを見てぼくを鼻で笑った気がする。しゃくに障って、殴ってやろうかと思ったが、暴力じゃあ何も解決しないことを知っていたので大きな舌打ちだけが口からもれる。

 揚げ物のコーナーに通りかかったが、腹が満たされなかった時のために駅の売店で安くてうまい焼きそばパンを買っておいたでプラスチックのトレイだけを手にしてそこは素通りした。    はなまるうどんはどの店舗でも調理場がお客さんに見えるようになっていて、そこはかとない解放感がある。

厨房の奥の方で必死になって水回りをホースで洗っている女性店員はアルバイトを始めたばかりの人だろうか。細見の肢体したいで背中が曲がっていて、せっかくの鮮やかな朱色の制服もみずぼらしく見えた。失礼かもしれないけれど、こういう人を見てると物悲しくなってくる。

 さっきのじいさんは店員に注文をしている。その物腰ものごしがなんだか気に入らなくて、睨みつけたくなったけれど。

 「お次の方、どうぞ」

そっけない声で呼びかける店員。やる気のない人は、ぼくのの気勢までいでゆく。 もう一度、壁にかかった小さいメニューを確認したが、やっぱりこれを頼むほかならなかった。

「えーっと。かけの中で」

「かけ中ですね」

 「かけ」はこの店で最も安いうどんだ。冷たいか温かいかを選べないのが難点だが、一番安いので良しとする。でもこの時、財布を確認しておけばよかったんだ。そうさえすれば、こんなことには。

別の店員が手際よくお椀の中にカップでだし汁を、鍋の中のうどんを、ステンレスの中に並べられた薬味からねぎを取り出し投入した。本当にアルバイトか?と疑ってしまうほどの手早さだった。

 横のじじいが会計を済ませると、「かけ」が乗ったトレイをレジの前にスライドさせる。

「かけ中一つですね」

女の店員は、はきはきとした声音で確認を取ると、レジスターに指をカタカタと走らせる。

そして、電子盤に数字を表示をさせる。300と。

「300円になります」

やっぱ安いよな、と綽々(しゃくしゃく)たる顔でズボンのポケットに入っていたがま口のふたをパチンッと鳴らして開ける。うん?思わず言いたくなった。じゃりじゃりと銅や銀の擦り合う音を鳴らしながら、中をまさぐる。けれどあるのは200円と小銭のみ。この時、朝の自宅にいたときの映像がかすめる。

 そうだ。今日はけちって「かけ」の分の金しかがま口に入れてこなかったんだ。

 休み期間中の部活前特有のだるい意識のなかでどうせ「かけ」しか食わないだろうと思って200円と適当な小銭しかがま口に入れなかった時がよみがえる。しかもうちの学校は私立なので、電車通学なのだ。そういう日の朝の記憶なんて、決まって部活中に頭から消し飛ぶのだった。

 やきそばパンなんか買わなきゃよかった。 やっべえ、やっべえ、そんな独り言ががま口に視線を落とすぼくの口をいて出た。

「どうしましたか」

店員の威圧的なひとみがすこし怖かった。会計を済ませて、好みの味に調節できる台の前にいる老人は傲慢そうにニタリと口元で笑っているような気がした。となりのサラリーマンもぼくを待ちかねて、昼休みがなくなる。はやくしろよと腹の底でつぶやいているみたいだ。

「あ、あの」

恐る恐る言う。

「お金が、足りないんですが」

がま口をがばっと開いてお金が不足していることを提示する。

 店員の視線が苦虫を噛み潰したときのように、さらにきつくなった。昨日の母の鬼さながらのおどろおどろしい目つきでぼくを見据える。

「斉藤さーん。どうすればいいですかねえ、こういう場合って」

店員は遠くの方に鋭い声を飛ばした。

はいはい、どうしたのという陽気な声が聞こえて、声の主は現れた。

 さっきの痩せ細った女性店員だった。制服の襟ぐりから覗く首はやはり貧相だ。水回りの掃除などという雑用をしていたので、アルバイトを始めて間もないとばかり思っていたが胸についた札を一瞥すると

不意を突かれてしまう。

驚くことに「職人」と記してあるではないか。

 はなまるうどんの厨房の中にいる黒い名札のスタッフ。それは厳しい修行と試験を通過した

マイスターとよばれる「職人」たちだ。実ははなまるうどんはすべてのお店で彼、彼女らがだしを取り、うどんを茹で、いなりやおにぎりを手作りしているのだ。熟練の選ばれし作り手達。だしの配合、生麺までにこだわったはなまるうどんの達人だ。

 たまたま彼女が雑用をしていた時に居合わせていただけなのだ。 なめていた。確かに彼女の貧弱な顔についた目玉には職人にしかない威厳が洋々と広がってくるような気がした。

 親身になって彼女は女店員の言葉に耳を傾けている。

「どうしたの」

「いや。見てください。この学生がお金が足りないと言い張るのです」

「それで」

「最近の学生は物騒ですからね。これも金目当ての演技かもしれないですし」

「まあまあそんなこと言わないで。かわいそうでしょ。私だって学生の時にはよく失敗していたし、特にこの子なんか育ち盛りなのに「かけ」しか頼んでないじゃん。身なりも貧相だし、がま口財布でしょ。なにか家庭に事情を持った子なんじゃないかな?せっかく作っちゃったんだし、おまけしてやってよ」

話が終わったのか、彼女は持ち場にもどっていく。

店員は嗜めるように言った。

「ねえ、君。今度からは気をつけてね。斉藤さんが許してくれたからいいけど、今度お金忘れたらただじゃ置かないから。ほら、200円でいいよ」

 彼女の名前は斉藤か。

 その時だった。厨房に戻った彼女のなかでビックバンが起こったような気がした。フードコートをつんざいてしまうような轟音。絶え間ない宇宙が瞬く間に広がったのだ。星々がまたたくコスモスに放り出されたぼくは彼女のおばあちゃんのような愛に抱かれていると錯覚した。

斉藤さんは若いとは思うが、それでも腰の曲がった彼女はおばあちゃんのようだった。

「ほら早く、出しなさいよ」

店員の声が聞こえてきた。いまとなってはお金なんてどうでもよかった。この壮大な愛と宇宙に溶けてしまいたい。本気でそう思った。

 

 会計をすませると、夢心地に浸っていたぼくはごまや天かすを足すことのできる調節の台を通り過ぎ、そのまま適当な席に着く。

しだいに熱が冷めてきたぼくはようやく我に返る。ファスナーを手にカバンを割り、スマートフォンの入った学ランを取り出そうとした。でもここでぼくは思いとどまる。

 どうして彼女はぼくにおまけをしてくれたんだろう。よく考えてみれば身なりはボロボロのカーディガンでだらしないぼくのたちがあらわれているし、今日は少額しか使わないと思っていたので財布の代わりにがま口を持ってきた。それにケチったため、育ちざかりの中学生が「かけ」しかたのまなかった。

「と、言うことは」

一気に腹の奥から悪魔の手のような罪悪感がはい出てぼくを責めさいなんだ。

ぼくは貧乏だと思われたんだ。ああ。もう言い訳のしようがない。本当にだましてしまったようで、斉藤さんに申し訳が立たない。どんなに誤っても許されないだろう。もしかしたら犯罪に近いことをしてしまったのかもしれない。第一、僕は私立の学校でお金にだって余裕はある。

斎藤さんのお婆ちゃんのような愛のスケールが大きすぎて、彼女の意中を悟った途端、ぼくをここから出ていけと言わんばかりだった。

もう矢も楯もたまらなかったぼくは、電気掃除機のようにさっさとうどんを腹に流し込むと急ぎ足でフードコートを出て、エスカレーターを駆け上がり、家まで疾走して帰った。ぼくの腕につかみかかってくる罪の意識を手でしきりに振り払った。 ほつれたカーディガンの刺繍が目障りだ。

おぼろぐもの影に陽が隠れてしまって、風が襟元に勢いよく入り込んだから寒かったけど、ぼくは絶対にスマートフォンとイヤホンの入った学ランと、焼きそばパンの入ったポリ袋を開けっ放しのカバンから出したりはしなかった。









ご精読、ありがとうございました。

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