酒と煙草と浪漫を愛する者の店の一幕
『Trash Box Online』 ポータルエリア ルリタニア
プレイヤーID sinobu saitou
プレイヤー名 saisin
同期率 53%
プレイヤーID Lion
プレイヤー名 Master Lion
同期率 38%
プレイヤーID Freesia
プレイヤー名 elf-maid-princess
同期率 25.1%
プレイヤーID ishtar ver6.9
プレイヤー名 ishtar
同期率 25.1%
「放浪AIかよ。あんた……」
俺のため息にウェイトレスこと快楽サービスAI『イシュタル Ver6.9』が人生に疲れた笑顔のままで己の物語を語る。
無駄に高いVer数とそのくたびれ方たるや、どれだけの人間を相手に人間を知って学び取ったか分かろうというもの。
「ついこの間、マフィアが運営していたVR快楽系サーバーが元老院騎士団によって潰されてね。
私はよそのサーバーに派遣されていたから助かったけど、大元がサーバーこど消えちまったのさ」
VR技術の発展にこの手の快楽系の関与は外す事はできず、VRセックスやVR麻薬などは問題として各国政府が対応に追われていた時があった。
それも、『エターナル・クエスト・ファンタジア』のVRハザードを機に一変する。
脳死という形で直接人命を奪ったVRハザードをテロと認定した各国政府はVR監視機構を立ち上げてその類似犯罪を防ぐ事を目指し、問題の優先順位が下げられたVRセックスやVR麻薬などの問題はロー・ヘイヴンの主たる収入源の一つだったから闇の中に温存されたのである。
それは、『Trash Box Online』プレイヤー参加理由の一位となって、マネー・ロンダリングと共に暗黒面からこの『Trash Box Online』を支えていたのである。
だが、某途上国において人身売買で買われた少女達に快楽系AIをインストールする事でリアル世界の娼婦教育を施していた犯罪組織が摘発。
逆に、快楽系AIのプログラムに学習させる為にリアル世界の娼婦から経験や知識をアウトプットしてVR売春組織を立ち上げていた犯罪組織も芋づる式に摘発された事で、VRハザードの監視がある程度形になったと判断したVR監視機構がこの問題に本格的に乗り出したとネットニュースで流れていた。
「で、あんたはどっちだ?
インストールの方か?アウトプットの方か?」
リオン先輩の隣に座ったイシュタルはここが売り込みと思ったのか、さっきまでの姿などなかったかのような妖艶な営業スマイルにて俺に向けて口を開く。
「アウトプットの方よ。
私の所は後発で、集めたデータを元に他のサーバーに貸し出して経験とログ・ロンダリングを施し、それをリアル世界にインストールする事で還元するというサイクルで動いていた所……」
「貸し出されていた間に、サーバーがなくなっていたと」
ログ・ロンダリングとは記録の改竄の事で、イシュタルは表向きはコンパニオンAIとして他のサーバーで働いていた。
その為に難を逃れたのだが、それゆえに行き場を失ってしまったという事だ。
彼女のようなAIの事をこの世界では放浪AIという。
生物の『生めよ増やせよ地に満ちよ』という性質から考えると、簡単に複製ができるAIは単細胞生物という説があったりする。
だが、それゆえに環境に適合して恐ろしい速さで学習してゆくAIは成長すると多細胞生物に進化するごとくものすごく人間臭くなる。
かくして、『AIに人権を』という論争もリアル世界では既に広がりつつあったのだが、それをすると今度は人間を主人とするネット世界における人間の影響力の低下とあいまってこの問題はかなり厄介だったりする。
話がそれた。
彼女達AIは複製も簡単だが消去も簡単だ。
とはいえ、人間にまで進化したAIともなるとただ消えるなんて己の進化過程からも許されるわけも無く。
AIはVRという情報の海を常に泳ぎ続けている為に、エントロピーの増大によって己の自己保存をマスターデータとの同期という形で維持しなければいずれ電子の海に解けてしまう。
そして、同期ができない放浪AI達は、己の生きた証であるデータを他のAIに渡してデータ統合して新たな形になったり、VRシステムの無限のプログラムの中に同期エリアを作ってひっそりと隠れて住むなど実に人間臭い。
そんな彼ら放浪AIをVR監視機構が目の敵にして駆り立てているのは、やはり『エターナル・クエスト・ファンタジア』のVRハザードが理由にある。
『エターナル・クエスト・ファンタジア』管理AIでデスゲームの統括プログラムだった『プログラム666』が『エターナル・クエスト・ファンタジア』管理AIの中から見つからなかったからに他ならない。
このプログラムAIは現在全世界において唯一絶対の国際指名手配AIであり、このAIからデータを受け取る可能性が高い放浪AIはそれゆえに弾圧されていたのである。
「あなたが、プログラム666からデータを受け取っていないという証拠は?」
値踏みをするような目でフリージアがイシュタルを眺める。
もしも彼女を受け入れた場合、その管理責任はフリージアが負うのだから彼女とて人事ではない。
「無いけど、証拠もない。
最初は独立AIという形でチェックしてもらって構わない。
放浪の結果、同期が崩れてもう自分でもどうなっているか分からないんだ」
イシュタルが投げやり気味に自嘲する。
さっきまでの妖艶な営業スマイルが元の彼女ならば、このくたびれて自嘲する彼女は同期崩壊による彼女の進化した姿。
そんな俺の感慨なんて気にする事も無く、イシュタルは視線をリオン先輩に向ける。
「ここの酒場のマスターとはコンパニオンの時に面識があってね。
無理言って置いてもらって、常連さんにも目をつぶってもらっているのさ」
俺とフリージアのジト目がリオン先輩に向けられる。
「先輩。
知ってましたね」
「お前俺をスーパーハッカーか何かと勘違いしているだろ。
ログ・ロンダリングされたAIの裏取りなんどいちいちやってられるか!」
「じゃあ、何てここに置く事を認めたんです?」
フリージアのある意味当然な質問にリオン先輩は言葉を選びつつごまかす。
視線を逸らしながら言うあたり実に白々しい。
「そりゃ、助けてくれと言われたら俺の義侠心が疼いてだな……」
なお、その視線の先にはイシュタルの芳醇かつ瑞々しい豊かなる二つの果実に向けられていたりする。
「胸だな」
「胸ですね」
「胸だったのよ」
「お前ら、少しは情けというものをだな……」
たかがデータと侮る無かれ。
データのみだから、究極のおっぱいも至高のおっぱいも、乳神様も尻神様も作れてしまう訳で。
そしてそれが劣化しない。
犯罪組織がリアル売春から撤退しつつVR売春に軸足を移し、経済的弱者の雇用先でもあった風俗産業の衰退という社会問題を引き起こしていたり。
色々と刹那的な世の中なのは間違いがない。
話がそれた。
俺達のじと目に抗議するリオン先輩が真顔で尋ねる。
「彼女を救うにはどうしてもサーバー管理権を持つ人間が必要になる。
さすがにここまで聞いて元老院騎士団に突き出すのは後味が悪い。
最悪、名貸しだけでいいからどうにかできないか?」
放浪AIは管理者が居ないからこそ、放浪AIと呼ばれている訳で。
管理者が責任を持って管理するならば、その類ではない。当たり前の事である。
だけど、この『Trash Box Online』において信頼できる管理者というのが、どれほどレアアイテムであるかを俺もリオン先輩も知っていた。
ロー・ヘイヴンという特権があるがゆえにそのザーバー管理料は普通より遥かに高く、その管理料金をまかなう為に違法行為に手を染めるサーバー管理者も多い。
リオン先輩はこのザーバー内にあるこの酒場を維持するだけで結構な金が飛んでいっているのを俺達は知っており、俺達がサーバー購入の為に資金集めに奔走していた事をリオン先輩も知っていた。
「win-winの取引のつもりでしょうか?
ポータルエリア内に歓楽街を用意してそこの収益が私たちの受ける報酬という所ですか?」
フリージアの淡々とした物言いがかえって彼女の怒りを露わにしていた。
この酒場ではポータルエリアという事で18禁な性風俗系のサービスができない。
だが、俺達はサーバー管理者な訳で、そのようなR-18エリアを設定する事ができる。
もちろん、そこからの上がりは折半という所だろうか。
だが、フリージアとリオン先輩の会話にイシュタルが口を挟む。
「そこまであんたらに迷惑はかけるつもりはないさ。
他の歓楽街サーバーに出稼ぎに出で、その上がりは全部あんたらが持って行ってくれて構わない。
こちらが欲しいのは身分と保護だけよ」
「それこそ見くびらないでください。イシュタル。
受け入れるならば最後まで面倒は見ます。
だからこそ、貴方を受け入れるに足りるだけの条件を私に提示しなさい」
一気に空気が締まる。
フリージアは平然と澄まして、イシュタルは焦りながらも自分を見失わず、必死に計算をし続けているのだろう。
AI同士の対決の場合、そのほとんどが先読み勝負となる。
それは、計算速度よりも与えられるデータ量によって左右される事が多い。
つまり、ログ・ロンダリングされたイシュタルより、エルフメイドプリンセスとして無駄に知名度のあるフリージアの方が不利になる訳で。
「じゃあ、メイド専用プログラム『ちょっとえっちなメイドさん』。
上級拡張パック『もっとえっちなメイドさん』。
AI作成プログラム『こんにちは赤ちゃん。パパは私のご主人様』でどう?」
「ご主人様。採用しましょう」
駄目だこの駄メイド。
はやくなんとかしないと。
見事なまでにフリージアの完敗である。
まぁ、それもある意味フリージアが人間臭いというのと同義語なのであまり強くは言えないのだが。
ため息をついたついでに俺はリオン先輩に話を振る。
「折角なのでどうです?
うちに来ませんか?」
リオン先輩には日頃からお世話になっている身だ。
何とか公開寸前にまでこぎつけられたからこそそのお礼をと考えていた事である。
けど、俺の言葉を真顔で聞いたリオン先輩はそのままぽつり。
「で、本音は?」
「俺が居ない間はGMとしてこき使おうとかと」
「この駄メイドにしてこの主人か。
いいコンビだよ。おまえら」
失礼な事を言うが、その駄メイドに最新流行の萌え知識をタレこんだのは目の前で白々しく嘆いているこの御仁なのだが。
24時間365日稼動するVRMMOにおいて管理AIのみに任せられない問題というのも必ず発生する。
そんな時に人間が応対するのだが、俺はまだ学生の身ゆえ全部のトラブルシューティングなんてできる訳もなく。
「ここまで付き合ってもらったんです。
一蓮托生ですよ」
「それ俺が言う言葉だろう。普通は」
俺の差し出した手をリオン先輩は力強く握る。
それが取引成立の証だった。
で、これからよろしくお願いしますなんて観想を言おうと思ったら酒場の入り口のドアが乱暴に開いて、俺達以上に場違いな騎士達が酒場になだれ込んでくる。
周囲を威圧する騎士の隊列が中央から割れると、聖騎士姿の女騎士が威風堂々と入ってきてその名前を告げた。
「元老院騎士団所属。
アマデウス。
ここに放浪AIがいるとの情報を得て踏み込ませてもらった。
既に周囲は包囲させてもらっている。
放浪AIは出てきてもらいたい」