携帯電話の忘れ物 中
「花蓮、なんだか最近時計ばっか気にしてる」
「・・・え、そ、そう?」
そ、そうかな?そうかな?そんなそぶりしてたかなあ?
にへらっと笑い返すと、にへらっと笑い返す里梨。
にこにこにこにこ。
あれ、笑顔なのにちょっと怖くないですか?
美人の笑顔は凄みがあるって知ってます?
「さ、白状なさい」
「い、いや・・・別に、白状することなんて」
後ろにじりっと下がるものの、今度は肩に手が置かれる。
「あるでしょう?」
「せ、せいら・・・」
「たまーに思い出し笑いしてるの、知ってるんだからね」
「えっ、そんな!」
「ほーら、ね?」
思わず頬に手を当ててしまう。
ああもう、これで何かありますって言っちゃってるもんじゃないの、私ったら!
なんと言おうか困って、うーとかあーとか言葉にならない私を見ながら、里梨もせいらも顔を見合わせて肩をすくめた。
何よ、その反応。
「ま、大体予測はつくけどね」
「え?」
「どうせ、携帯を忘れてきたお店の店員さんのこと、好きになっちゃった!」
「携帯を取りに行く日が待ち遠しい!・・・とかでしょ」
「え、ええ~~~~~!」
ど、どうしてどうして。ほとんど当たってますよ。
どうしてだろう。何も言ってないのに!
「そりゃあ、ねえ」
「携帯忘れたっていうから、落ち込んでいるかと思えば」
「ほっぺ赤くして報告してるんじゃ、ばればれよ」
「ねー」
「ねー」
「そ、そんな・・・」
あれから毎日、十分くらいだけど、木下さんと電話する日が続いて。
木下さんについて分かったことは、同じ高校一年生だってこと、期末試験が来週にあること、数学が得意なこと、なのに理科系の教科は苦手なこと、定休日とかにお菓子作りの練習をしていること、中学校はバスケ部だけれど、高校に入ってからは帰宅部になったこと、兄弟はいないこと、目が悪くてコンタクトをしていること、一週間前に眼鏡を落として割ってしまったこと。
毎夜、11時50分から電話の前にスタンバイして、12時ちょうどに最後のナンバーを押して。
コール音が耳から心臓に伝わって、いつも胸がどきどきする。
これが、好きになったと言うんだろうか。
木下さんと話すと、胸が熱くなる。
好きってなんだろう。
木下さんについてのちょっとした情報は知ったけれど、顔だって、下の名前だって、知らない。
どんな人なのか、一回も会って話したことがないのに、人を好きになることはできるの?
私、男の人を異性として好きになったことは一度もないから、よく分からなくて・・・ずっと考えてる。
「気がつくと、その人のことを考えてたり、声を聞くだけで、姿を見るだけで嬉しくなったり」
「嬉しいことがあったときに、早く教えたい!と思ったり、何かする度に、相手にどう思われるかなって考えたり」
「・・・・・・」
「好きって、そういう、自分の世界に誰かが入り込んでくることじゃない?」
「・・・・・・そう、なのかな・・・」
「会いに行くの?約束とかは?」
「約束は・・・」
明日の朝、親が帰ってくる。
だからきっと、今日で電話は最後。
親に事情を話せば、すぐ取ってきなさいとか、送ってもらいなさい、とか言われるはず。
行くなら、明日か、明後日になるんだろう。
「・・・・・・どうしよう」
どんな顔して会えばいいんだろう。
どんな話をすればいい?
木下さんは、私のこと、どう思ってる?
「その人、彼女はいるの?」
「・・・え?か、彼女?」
そ、そっか、彼女がいるかもしれないよね。
ああ、そうしたら、毎日電話するなんてとっても迷惑だったかもしれない。
「あら、大丈夫よ。だって、彼女がいる人は、毎日電話なんてできないんじゃない?」
「まあそうよね。向こうだって、迷惑ならそう言うだろうし。ね?」
「・・・・・・」
ああ、会いに行くというのが現実味を帯びてきた。
怖い。ちょっと怖い。いや、かなり怖い。
「・・・一人で行ける?」
「ついて行こうか?」
血の気が引いてきた私に、心配そうに言ってくれるけれど。
本当は、心細くて、ついてきて欲しいけれど。
私が始めた関係に、二人を巻き込むのは申し訳ない。
きっと、二人はそんなこと気にするな、なんて言うんだろうけど・・・。
二人に笑顔を作って、拳を握った。
「大丈夫。行ってくる!」
電話の前に立つ。
時計は、11時59分。
今日で、電話は最後。
明日の午後、もしくは明後日、携帯を取りに行ってもいいかを聞かなくちゃいけない。
結局、私は木下さんのことを好きなのか、どうなのか。
声を聞くと、嬉しい。
授業中とか、歩いているときに、ふと電話の内容を思い出しては笑ったりしてる。
夜が待ち遠しくて、時計を見る回数が増えた。
これは、私が木下さんのことを好きだからなんだと、せいらや里梨は言う。
でも、本当に?
声しか知らないのに?
好きなのかも、と思う一方で、会ってもいないのに好きになるはずなんかない、とも思う。
ああ、分からない。
難しい。
ふと、時計に目を移すと、12時2分になっていた。
わ、12時過ぎちゃった!
急いで受話器を取ろうとしたとき、受話器から呼び出し音が家中に響き渡った。
「ひえっ」
夜中に電話!怖!
人のいない家の中、夜中、受話器の向こうは・・・お、お化け!?
きっと番号は000ー0000ー0000とかだ!
ひええええ!
心臓が縮み上がってズキズキ痛い。
胸を押さえながら、おそるおそるナンバーを見ると、
「・・・・・・」
知らない番号。
携帯の番号だ。
この時間・・・でも、もしかして。
「も、もしもし!」
『・・・もしもし?』
「き、木下さん、ですか?」
『ああ、そうです。笹波さんで合ってますか?』
「そうです!そうです!・・・ああ、良かった!」
『すみません、驚かせてしまいましたね』
「い、いえ、そんな!び、びっくりはしましたけど・・・」
そう言うと、受話器の向こうで笑い声が聞こえた。
「で、でもどうして・・・」
『いつも、12時ジャストに電話くれますよね。でも、今日は来なかったから、どうしたかなと思って』
「あ・・・す、すみません」
あなたが好きなのかどうか考えていたら、12時を逃してしまいました、とは言えません。
『いえ、もしかしてご迷惑でしたか?』
「そんなことないです!あ、でも、私の携帯電話は・・・」
『電池が1になってしまって、・・・ああ、やっぱり切れた。もう、点滅して切れそうだったので、これ以上時間が経ったら電話をもらってもきっとつながらないな、と思ったのもあって、俺ので掛けました。誰だと思ったでしょう』
「え、えと、はい、少し」
木下さんから掛けてきてくれてるってことは、通話料が木下さんが払うってことだ。
今日は、いつもみたいに、ゆっくり10分なんて話すのはきっと困るだろう。
じゃあ、伝えることを早く伝えなきゃ。
電話はこれが最後、だけど。
最後の最後で、これ以上迷惑掛けたくないし。
「あ、あの!」
『はい?』
「あの、明日の・・・午後、か、明後日に、携帯を取りに行きたいんですが・・・」
『明日の午後か、明後日ですね』
「は、はい」
言え、言え、言わなくちゃ!
「あの、木下さんは・・・お店に出てますか?」
『俺ですか?』
「あ、えっと、電話に付き合ってくださったので、直接お礼を言いたくって・・・」
『それは全然、気にしなくていいんですが・・・』
「で、でも・・・」
『明日は、・・・そうですね、午前だけ出る予定です。明後日は、試験勉強しろとお休みすることになっていて』
「・・・あ、そ、そうなんですね・・・」
『でも、来てくださったときに声を掛けていただければ、家が隣なので、出て行きますから』
「え、そ、そんな、それは申し訳ないです!」
本当は、実際に会ってみたくて、どうしようもないんだけれど・・・でも、きっと迷惑だ。
電話でしか知らないけど、優しそうだし、きっと彼女だっているんじゃないかな。
会って、ちゃんと確かめた方がいいのかもしれない。
彼がどんな人か、私の本当の気持ちとか。
でも、これまで私のわがままに付き合ってくれて、これ以上我がままを言うわけにはいかない。
「じゃあ、多分明日の午後、お店に、取りに伺いたいと思います」
『はい』
「お店には、申し訳ないので、わざわざ出られなくて良いですから」
『それは・・・』
「もし、お店で働いていたら是非、と思ったので、それで、あの」
『・・・はい?』
「ほ、・・・本当に、ありがとうございました。電話、付き合ってくださって」
受話器を耳に当てながら、頭を下げる。
木下さんは、見えていないけれど、でも自然と頭が下がるのだから仕方がない。
『お役に立てたのなら。楽しかったし、こちらこそありがとうございました』
「わ、私も!楽しかったです。ありがとうございました。本当に、本当に、木下さんのおかげで」
ああ、泣きそうだ。
「・・・一人の夜も、怖くなかったです」
『それなら良かったです』
「きっと、街ですれ違っても気がつかないけど、雑踏の中でも、声を聞いたらすぐに分かる自信があります」
『はは、そうですね、俺も、きっと声を聞けばすぐに気がつきますよ』
そんなこと言わないでください。私、馬鹿だから、すぐ期待しちゃうから。
「そうですか」
『そうですよ』
「・・・そうですか・・・」
最後、これが最後の電話。
「私、あなたが・・・・・・」
『はい』
・・・私、何を言おうとしているんだろう。
「・・・ごめんなさい、なんでもないです。・・・一週間、ありがとうございました」
『そうですか?・・・いえ、こちらこそ、ありがとうございました』
「これを言うのは・・・最後なんですね。なんだかちょっと寂しいですけど・・・」
深呼吸して。
時計は、12時11分。
そろそろ、終わりにしなくちゃ。
「・・・おやすみなさい」
『・・・おやすみなさい』
受話器を置く。
けれど、受話器から、手が離せない。
「・・・・・・っふ、・・・」
ああ、・・・つながりが、切れてしまった。私が、切った。
噛みしめた唇の端もつと切れて、ちょっと血の味がした。