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嘘をつけない侍女は、秘密を守れない

作者: 詩央
掲載日:2026/04/18

この部屋では、決して口をきいてはいけない。


言われたことを守ること。

肩を叩かれるまで部屋を出ないこと。

そして――この部屋で起きたことは、誰にも話さないこと。


「身なりを整えてから行きなさい」

「え……?」

「それでは、頼みましたよ」


私は黙ってうなずいた。


----


外国からこの国に嫁いだ私は、故郷へ帰れないまま難民として過ごし、やがてとある御屋敷で働くことになった。


当時、使用人の中でも一番若かった私に、

御屋敷のまとめ役である『ばあや様』が小さな鍵と、小瓶に詰まった薬を渡してきた。


古い本と一緒に。


「この部屋へお行きなさい」


静かな声で言う。


----


言われた通り、部屋の前に立つ。


コンコン。

二回、ノック。


扉を押すと、鍵はかかっていなかった。

部屋の中には、一人の青年がいた。


この国の第三王子で、

御屋敷の主でもあるアレン殿下――


少し前に十八の成人を迎えられた。


窓から差し込む光の中で、本を読んでいる。

珍しい眼鏡姿だった。

私が入ったことにも気づかないほど、静かに。


近くの窓際の棚の上には、

石の抜け落ちた指輪が一つ、そこに置かれていた。


それが目に入るほど、シンプルな部屋だった。


どうすればいいのか分からず立っていると――


ふと、殿下が顔を上げた。

目が合う。

私は慌てて姿勢を正した。


「……何か用か?」


----


低い声。暗い表情。

最後にお会いした時よりも元気がないようだった。


でも私は答えない。

答えてはいけないから。


殿下は少しだけ眉をひそめ、

そして深いため息をついた。


「……そういうことか」


彼は立ち上がると、私をソファへ座らせた。

部屋は書斎より小さいが、落ち着いた空間だった。


テーブルの上に、本が一冊。

殿下はそれを置く。


そして――トン、トン。

二回、表紙を叩いた。


(読め、ということ……?)


私はそっとページを開いた。

情熱的な戦士の物語だった。

戦い。友情。勲章。


……正直、あまり面白くはない。


----


数十分後。

殿下が近づき、私の肩を軽く叩いた。

それが“退出していい合図”だと、後で知ることになる。


「もし誰かに聞かれたら」


ぽつりと言う。


「この本の感想を、一言だけ答えるといい」


私はうなずいた。

部屋を出ると――

案の定、ばあや様が待っていた。


「どうでしたか?」


私は殿下の言葉を思い出し、


「……情熱的でした」


と答えた。


----


二日目。


部屋へ行くと、甘い茶菓子が置かれていた。

迷っていると、殿下が小さく手招きした。


(食べろ、ということ……)


こんな高価なものを食べていいのだろうか。

侍女の身分でもったいない。


そう思いつつも、一口かじる。


はちみつがとろりと溶けて、

口いっぱいに甘さが広がった。

思わず目を丸くする。

その様子を見て、殿下が少しだけ笑った。


そしてまた、肩を叩く。


「もし聞かれたら、茶菓子の感想を一言」


私は部屋を出て、


「……とても甘かったです」


と答えた。


----


三日目。


いつもの部屋へ行く。

でも今日は、本も茶菓子もなかった。

殿下は窓際の椅子から立ち上がり、私の前に来た。少し真剣な顔で。


「君」


書類を一枚差し出す。


「この文字、読めるか?」


私はうなずいた。それは私の母国語だった。


「二回も翻訳するのか?」


口を開いてはいけないので、紙に書いて伝えた。

――「直接翻訳すると意味が変わってしまいますから」と。


殿下は、しばらくそれを眺めてから言った。


「……珍しい文字だな」


さらに私は、もう一言添えた。

——「私の国では、子供でも読めます」


その後も紙とペンを借り、簡単に翻訳を書いて見せた。

殿下はそれを見て、目を見開く。


そして——肩を叩いた。


「助かった」


それだけ伝えられ、部屋を出る。


やはり、ばあや様が聞いてきた。

でも今日は、殿下から答え方を聞いていない。

だから私は正直に言った。


「……感謝されました」


ばあやは少し考え、


「……貴女を選ばれたようですね」

「次からは、殿下に呼ばれた時だけ行きなさい」


と言った。


小瓶に詰まった薬は、一度も使われることはなかった。

あれは一体なんの薬だったのかしら。


この国の文化は難しい。


----


それきり——

私はその部屋へ呼ばれていない。

代わりに任されたのは、書斎の整理。


部屋いっぱいに本棚。

机の上には書類の山。


その中で、殿下が苦笑する。


「見ての通り、整理する暇がなくてね」

「君、他国語が読めるんだろ」

「手伝ってくれるか?」


「はい、殿下」


——それが、私たちの初めての会話だった。


----


本を整理していると、

書棚の奥に、恋愛小説が一冊混じっていた。


(どうして殿下が、このような本を……?)


ページをめくっていると、後ろから声がした。


「興味があるなら」


振り向く。殿下が立っていた。


「持っていくといい」

「よろしいんですか?」


思わずパァッと笑顔になる。

恋愛小説を手に取るのは久しぶりだった。


「君がそんな顔をしてくれるなら」

「本も喜ぶだろうね……」


ぽつりと、小さく呟く。

すると殿下は、私をしばらく見て――



「ふ……」


突然笑い出した。


「あはは!……ごめん」


肩を押さえて笑う。


「思い出してしまって」


「君さ、僕の言ったこと……」

「そのまま、ばあやに伝えただろ」

「誤解を解くのに苦労したよ…」


私は固まった。


……そうだ。


情熱的でした。

とても甘かったです。

感謝されました。


あの小部屋に入った状態であれば、

確かに誤解されてもおかしくはない。


「も、申し訳ありません殿下!」

「はは、大丈夫」


きっと殿下は、


面白くなかった。

身分に合わない。

意味が分からなかった。


そんなことを私に答えて欲しかったのだろう。


「ばあやの目的はむしろ、そこだって分かっていたからね……断るのに好都合だったよ」


涙目で殿下は笑った。


「でも優秀な君に出会えてよかった」

「嘘をつかない人材は貴重だからね」


私はその言葉を聞いて安心した。


「次もまた、君に頼むよ」

「はい、殿下」



……その“次”が、こんな意味になるなんて。


この時の私は、まだ知らなかった。

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完結編の投稿、楽しみに待ってます。
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