勇者の勘と、まさかのまさか
苦手な要素のある方はご注意を
「とりあえず、一つの情報源で全てを判断するわけにはいかない。もう少し聞き込みしてから行こう」
宿屋を後にした俺達は、昨日アーシュがナンパにせいを出していたメインストリートに行くことになった。何だかんだあって、まだ酒場での情報収集もできていないし、人が多い分噂話にこと欠くことはないからだ。
メインストリートと言えど、昼間の混み具合は夕方より幾分マシだ。周りの状況を把握しながらゆっくり歩を進めても、邪魔になったりしない。
真中に俺、右アーシュ、左パレットというように、三人並んで歩く。
ヒシュタは規模で言うと中くらいの街だ。様々な種類の店があり、蔵書数が豊富そうな本屋や、防御力、攻撃力が高いと見える装備品の店などが軒を連ねている。眺めているだけで楽しい。
俺は、アーシュを見上げた。やや鋭い双眸をまっすぐ前に向けて、凛然と歩んでいる姿に惚れ惚れとしてしまう。横顔が恰好よくてたまらない。黙っていれば、何処に出しても恥ずかしくない男前なのにな。
今度は是非、魔王討伐の為とか関係なくアーシュと二人で観光したい。俺は二人で漫ろ歩いている場面を想像して、一人でにやけてしまった。落ち着け、自分。
流石に視線を感じたのか、不意にアーシュがこっちを向いた。
「フェイ、腹減った」
「知るかっ」
現実にいきなり意識を戻された俺は、甘い自分の妄想が気恥かしくて顔を俯けた。
しばらく進んだところで、ある店に俺の目はくぎ付けになった。
肉屋と金物屋に押し潰されるようにして建っている、一見しただけでは何の店か分からない怪しげな雰囲気。時間帯など関係なしにきっちりと引かれている分厚いカーテン。入口に置かれている、黒猫の置物三体。
これは、完璧に魔術用具店だ。自然に足が止まり、心拍数が若干上がった。
魔法使いという職業を選んで身に付いた、不思議アイテムへの尋常ではない関心が、俺に店へ入れと囁き始める。
危うく通り過ぎそうになったアーシュの腕を掴み、俺は早口で言った。
「アーシュ、俺はこの店に用事がある。だから先にパレットと酒場に行っていてくれ。後から追いかけるから」
「この店……魔術用具店か。ん~、お前を一人行動させんのやなんだけどな」
アーシュは行き過ぎそうになったパレットの襟首を掴んで引き戻しながら、歯切れ悪く言った。
「何を心配しているのか分からないが、俺は絶対この店に入る。お前達は職業が違うからどうせ入れないんだから、先に行ってくれ」
魔術用具店に限らず何らかの魔術を扱う店は、八割方魔法使いしか入ることができないらしい。店先に置いてある黒猫の置物が魔法使いとそうでない職業の人間とを見分けるのだ。客層を限定する理由はよく分からないが、強盗対策といったところだろうと、俺は推測する。
アーシュに視線を向けると、不服そうに眉を顰めた表情があった。その後ろからパレットがひょこっと顔を出した。喉元をさすりつつ、軽い調子で言う。
「アーシュさんは、店主が猥褻行為をするような悪漢だったら、とか考えてるんだと思うよ~。魔術用具店の場合、ある意味密室だからね~」
ああ、成程。俺は今まで村にある魔術用具店にしか行ったことがない。しかも、その類の店は一軒しかなく、おまけに店主は女性だ。
「でも、店主が男とは限らないだろ。それに、魔法使いなんかを生業にするようなやつが、客を襲える腕力と胆力を持ち合わせているかどうか、甚だ疑問だ。だいたい、魔法使いには猫ばかりだと言っていたのはお前じゃなかったか?」
別の意味でアーシュの顔が曇る。毎度毎度、痛いところを突かれる度に罪悪感を感じるなら、浮気なんて止めればいいのに。俺はため息を吐いた。
「アーシュさん、フェイオンさんも大丈夫って言ってるし、僕達先に行こうよ」
パレットはにこにこしながらアーシュの服の袖を引いた。行動は早ければ早いほどいい。
「もたもたしてると、勇者の宝剣売られちゃうかもしれないよ。ね」
アーシュは俺の目をじっと見つめ、俺がてこでも動かないと悟ったのか渋々といった様子で頷いた。
「ん、分かった。ただし、長居はするな、すぐ来るんだぞ」
続けて俺の耳に顔を寄せ、小さく呟く。
「勇者の名に懸けて、忠告しとく。気をつけろ、油断するな」
真面目な声音に緊張感が混ざっている。俺は不安そうなアーシュを見上げて、頷いて見せた。
「大丈夫だ、アーシュ。すぐに合流する。パレット、お前の情報収集能力に期待してるぞ」
「うん、フェイオンさんがくるまでに終わらせとくよ」
そう言うとパレットは、後ろ髪引かれている様子で俺を振り返るアーシュを引きずり、酒場に向かって歩いて行った。
さて。蝋燭の灯りらしきものがちらつく店に向き直る。
「……嫌な感じなんかしないけどな」
勇者の勘とやらを信じられない俺は、一度肩をすくめてドアノブに手をかけた。
一歩店内に足を踏み入れただけで、空気が変わったのを感じる。足元から、微弱な魔力が体中を包んで、鳩尾の辺りがざわざわと騒ぎ出す感じだ。嫌な感じどころか、俺にとってはアーシュに抱いているのと同等に快い。いい意味で落ち着かなくなる、抗い難い不思議な力。
外観から予想していた通り、店内はとても狭い。薬草や分厚い魔術書、杖、水晶、羊皮紙、蝋燭等が、木製の箱にぎっしり詰まっていたり、ささっていたり、テーブルやガラスケースに入っていた。その他見慣れない植物や昆虫の干物が天井からぶらさがっていたり、薄緑色の液体に浸かって瓶に入っていたりする。光源は、半ば商品に埋もれて存在するカウンター横の燭台しかない。だから、店の四隅まで灯りが行き渡っていない。そのせいで、不気味さが一層促進されている。
「いらっしゃいませ」
店の奥カウンターの傍に立てかけてあった、血の色にも似た深紅の水晶が先端にはめ込まれている杖に目を奪われていると、極至近の背後から声をかけられた。切り裂かれた喉の奥から聞こえるような不気味な低音に、一瞬で全身に悪寒が走る。
「うっ、わっ」
あまりに突然過ぎて、俺は屈辱的な悲鳴を上げてしまった。慌てて後ろを振り返って身構える。
背の低い腰の曲がった老人が、杖を支えに立っていた。性別もよく分からない。夜の帳を思わせる深く暗い色のローブで顔と体が覆われていて、垂れ下った鉤鼻と皺の寄った口元しか見えなかった。
老人は、例のおぞましい声で短く笑い、口をにやりと三日月の形に持ち上げた。
「驚かせてしまいましたかの、お若い方」
「いえ、こちらこそ大声を出して申し訳ありません」
俺は治まらない動悸に忌々しさを覚えつつ、平静を装って答えた。この老人と対峙していると、言いようのない恐怖心に駆られ、命が危険にさらされているように感じる。
俺は後ろに下がった。と言っても、カウンターがあるので二歩以上下がれないのだが。とにかく、少しでもこの人物から距離をとりたかった。
「ひゃっひゃっひゃっ、お若いの、そう恐れることはない。小生はただの道具屋店主に過ぎぬのだからの。さて、何かお探しか、お若い方」
「特に探し物という訳ではく、魔法使いの性で……」
喉が委縮して声が掠れる。俺の肩までしか身長がないのに、不穏な威圧感を発している店主に押し潰されそうで、体が震えそうになった。
本能がやばいと告げている。アーシュの勘は正しかったのだ。俺はドアに視線を投げた。一刻も早く脱出しなければ。
「……あの、俺、仲間を待たせているので、失礼します」
言い終わらない内に、俺の覚束ない脚は出口に向かい出す。全身を冷や汗と悪寒が襲い、頭がぼうっとして打っ倒れそうだ。
アーシュ……アーシュの傍に行きたい。
「まぁ、そうお急ぎなされるな」
店内の中ほどまで進んだ時、俺の手首が強い力で握りしめられた。振りかえると、老人の枯れ枝のような手に、がっしりと掴まれている。とても老人とは思えない力だ。
俺は手を通して体中に染み込む嫌悪感と戦慄に、本格的に震え始めた。血の気が失せ、歯ががちがちと鳴る。怖い。
「は、はな、せ」
全体重をかけて逃れようとしても、老人の手はびくともしない。俺は泣きそうになりながら、自由な方の手で印を結んだ。
「ひゃっひゃっひゃっひゃっ、無駄な足掻きはよしなされ」
言うことを利かない指先を何とか操り、咄嗟に思いついた氷魔法の印を結び終える。手を老人に目がけて振りかざした。
「氷よ、千の槍と成りて敵を貫き通せ、氷槍っ」
無数の氷の刃が老人に降り注ぐ。
間合いなどなかったから、外すことはないだろうし、魔法耐性があるとは思うが、無傷という訳にはいかない。
氷片を避けるために閉じていた目を開ける。
が。
相変わらず不気味な笑みを張り付けた老人が、何事もなかったように立っていた。それこそかすり傷一つ負わずに。
「なっ」
俺は目を見開いた。おかしい、そんなはずはない。俺の思考回路は機能停止して、唯馬鹿みたいに目の前の光景を見ているしかない。
「だから、無駄だと言ったはずだ」
そして俄かに、老人の声が若い男のものになった。体の輪郭がぼやけ、徐々に縦へと伸びて行く。俺の頭一つ上の位置でブレは治まり、ローブの影から魅惑的な唇が笑みを形作った。
「遠目で見た時より綺麗だ」
脚から力が抜ける。信じられなくて、怖くて、俺はその場に座り込んでしまった。
何がどうなっているんだ? こいつは、どうして老人から若者になった? こんな魔法、あるわけない。気が動転して男を見上げることしかできない。
男は片膝をついて掴んでいた俺の手首を離した。片手でローブを後ろに払う。その仕草に乗って、甘く芳しい香りが、俺の鼻孔を刺激した。
紫の髪と瞳を持つ、挑発的な眼光の男だった。何処かアーシュを彷彿とさせる切れ長の目は、見つめられた者全てを虜にするような、艶やかさを秘めている。
男の長くしなやかな腕に、胴を引き寄せられた。さっきから呆けたように体が動かなくて抵抗できない。おまけに、男の動きがいちいち優雅で、見とれているうちにそうなってしまった。
「や、やめろ……貴様は誰だ」
喉にも力が入らなくて、囁き声程度しか出せない。
男は空いている方の指先で俺の髪を弄び、くすくすと笑った。息がかかるくらい顔が近い。
「怖いのかい? くっくっ、可愛いねぇ。でも大丈夫、絶対傷つけたりしないよ。私はサラスだ。君の名前を教えてくれるかい?」
サラスは囁くと、端正な眉を顰めてから俺の首筋に舌を這わせた。
「うっ、何をするっ、やめ、ろっ、変態っ」
「変態とは心外だ。唯、切り傷ができていたから消毒したまでだよ。さぁ、名前を教えて」
頭の後ろに手が回って、サラスの唇に触れそうになる。俺は何とか身を引いて、サラスの体を押しやった。
「ふぅ、流石に魔法使いは手強いな。せっかく思考鈍磨の香をたき込めてきたのだけれど、だめか」
残念そうに肩を落とすサラス。体が動かないのは香のせいだったのか。
「俺を、どうするつもりだ」
サラスの口の端が持ち上がる。
「分からない? もちろん、私のものにする為だよ。……さぁ、いつまでもここにいたら君のお仲間がやってくるかもしれないから、場所を移そう」
こいつはアーシュとパレットを知っているのか。なら、計画的な犯行ということだ。でも、何故よりによって俺なんだ。未だに理由が分からないし。
俺はサラスに抱き上げられながら、何とか声を絞り出した。香のせいか、瞼が重くなり始めている。
「貴様の、目的は……? 何者、だ?」
直後。遠のく意識。瞼が完全に閉じた。耳元で甘い囁き声がする。
「お休み、私の可愛い人」
旅立ちとか言いつつ、旅立てませんでした(汗
今回も読んでくださりありがとうございました。楽しんでいただけたら幸いです。