生臭勇者に天誅を
苦手な要素がある方は、ご注意ください。読んでからの苦情等はご遠慮願います。
もし職業変更ができたら、今すぐ弓使いになりたい。
俺は、街の雑踏の中で嬉しそうに美形野郎と会話している、赤髪の長身男を見て思った。
目に付いた美男を片っぱしから口説いて回っている、あの好色煩悩生臭勇者のアレを的にして、使い物にならなくしてやりたい。
「つーか、むしろ死ね」
心の中で罵倒するつもりが、期せずして腹の外に出てしまった。自分でも驚くほど怨念がこもった低音だ。偶然通りかかったおばさんが、脈絡なくこれが聞こえたのだろう、俺を振り向いたが、そんなの知ったこっちゃない。
俺は今、どうしようもない殺意と闘っているのだから。
「あ~あ、アーシュさんってばまたナンパ始めちゃったよ。こりゃ、ほっといたら魔王の事なんかすっぱり忘れちゃいそうだね」
俺が静かにバーサク状態へ移行していると、右斜め背後からやけにのんきな声がした。
半ば条件反射的な速さで火炎魔法の印を結んでいた俺は、パレットの言葉に手を止める。後ろに向き直って、へらへら笑顔を浮かべている癖毛で茶髪の男の顔を見た。
「ああ……そう言えば俺達は魔王を倒す為の旅をしているんだったな。危うくあいつを焼き殺すところだった。抑止してくれてありがとう」
そうだ。俺達がこの見知らぬ街に来たのも、アーシュが舞いあがって男を漁ってるのも、全部魔王のせいなんだった。
俺の口調がやけに淡々としていたからだろう。柄にもなくパレットの表情が苦笑いだ。
「目が怖いよ、フェイオンさん。っていうか、ここにいたら邪魔だし、いい加減アーシュさんを回収しに行こうよ」
パレットは軽く怯えながらも、よく動く小動物のような茶色の瞳を遠くに向けた。
確かに、夕時の大通りに立ち尽くしている俺達は、通行の障害以外の何物でもない。俺はため息を吐きつつ、頷いて足を動かした。
街の内側に入ってすぐのこの大通りは、夕方になると食べ物の屋台が軒を連ねるようだ。肉が焼ける香ばしい匂いや、その他の食欲をそそる煙がそこかしこに漂っている。威勢のいい客引きの声と、人々の会話が織りなすざわめきがすごい。気を抜いて歩いていると、突然耳元で怒声が上がって驚かされることなど多々ある。
「祭日でもないのに屋台が出るんだね。何だか楽しい街だなぁ」
できるだけ早くアーシュの元へ行くのに必死な俺の横で、また間抜けな声がする。
「ああ、そうだな。きっと治安がいいんだろう。俺達にとっても好都合だ。情報収集にたっぷり時間をかけられる」
「ですね~。……おっ、アーシュさんが前に立ってる店って、酒場じゃない? 僕、先に入って席取っとくよ」
やっと問題の人物が近付いてきたところで、パレットが妙な歓声を上げた。どことなくほっとしたような、砂漠に湖を見つけたような。
「そうしてくれ。ついでに宿がどこにあるか聞いておいてくれないか?」
「分かった。じゃあ後で」
パレットは笑顔で頷くと、軽快な足取りで緑の扉に駆けて行った。
さて。そろそろあの馬鹿のところへ行くとしよう。
俺は人混みから抜け出すと、色男を前に嬉々としているアーシュの後ろに立った。怒りを押し殺して声をかける。
「おい、随分良い男じゃないか。今晩、早速お持ち帰りか?」
アーシュの肩越しに敵を観察する。成程、アーシュが好きそうな華奢で綺麗な男だ。庇護欲を掻き立てるような、美人薄命な奴にアーシュは弱い。見境なんてあったもんじゃない。
「ふっ、もちろん」
相手を俺だと確認もせずに即答しやがった。男の顔に軽く触れる仕草がさらにムカつく。体中が燃え上がっているみたいに熱い。着用しているローブが消し炭になりそうだ。
「だったら、燃やしていいんだな?」
「へっ?」
アーシュが今更こっちを振り向く。喜色満面が、瞬時に顔面蒼白に変わった。
俺は極上の笑みを顔に張り付けて、印を結び終えた。と同時に、右手を好色煩悩生臭勇者に突き出した。
「炎よ、我が身の怒りに応えて唸れっ。炎華っ」
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああっ」
こうして、誉れ高き勇者の人生は、度重なる淫行によって幕を下ろしたのであった。
めでたしめでたし。
……なわけないだろ。
酒場で紹介された宿の一室。
ベッド二つにささやかなテーブルと、椅子二脚があるだけの質素な部屋だ。外開きの窓からは、夜の涼やかな風が入って気持ちいい。床や壁はよく磨かれていて、木特有の艶が綺麗に蝋燭の火を反射している。
あの後、騒ぎを聞きつけたパレットが外に出てきて、酒場の主人から聞いたこの宿にアーシュを担ぎ入れた。黒こげになったアーシュを見た店主に、死体だと誤解されて宿泊を拒否されかかったり、大変だった。
そして、パレットは気を利かせたのかどうか分からないが、俺とアーシュを同室にしてしまったというわけだ。
「フェイ、お前いきなり燃やさなくたっていいじゃねぇか。本気で昇天しそうになっただろ」
風呂に入って焼けただれた服を着替えたアーシュは、ベッドに座って髪を拭きながら言った。不満そうに眉をしかめている。
俺はもう一つのベッドに腰掛け、アーシュと向かい合う形で杖を抱えて座っている。理由は、言うまでもなく護身の為だ。アーシュは、所謂修羅場というやつに出くわすと、必ず強硬手段でうやむやにしようとする。魔法使いの俺は、勇者の力に敵わない。
俺はため息を吐いて首を振った。
「以前、『また男を口説いたら燃やされても文句は言わない』、とほざいたのはどこのどいつだったっけな? あれからまだ一月も経ってないじゃないか」
アーシュは「あっ」と声を出した後、バツが悪そうに視線を逸らした。意気地のない勇者がいたものだ。
「その様子では、すでに忘却の彼方か? 全く、俺はどこまで軽く見られているんだろうな」
人は怒りを通り越すと笑いに至るらしい。俺は微かに笑みらしきものを浮かべて言った。
「……えーと、そんなこともあったな」
沈黙。
外から入ってくるざわめきが、やけにはっきり聞こえる。重苦しい静けさが、しばらく俺達の間に横たわった。
そして、脳が何百回もその無神経かつ腹立たしいことこの上ない言葉を反芻した後、俺のなんとか袋の緒が音を立ててブチ切れた。
勢いに任せて立つと、俺は紫水晶を戴いた杖を振りかざして、目を丸くしているアーシュに詰め寄った。因みに、この紫水晶。かつて今と似たようなことが起きた時にアーシュの肋骨を粉砕している。
「そんなこともあったな、だと? ふざけるなっ、この淫乱自称勇者っ。毎度毎度俺がどんな想いで、知らない男と仲良くしている貴様を見てると思ってんだっ。いい加減にしろっ、つーか死ねっ。いっそ貴様のような強欲厚顔無恥野郎は死んでしまえっ。それとも俺が殺してやろうかっ? 今すぐ血の海に沈めてくれようかっ?」
言い終わらない内に、俺はありったけの力を込めてアーシュの脳天に杖を振り下ろした。
が、俺の最終武器である紫水晶は、ヤることと殺ることしか詰まっていないアーシュの頭をかち割ってはくれなかった。
アーシュの腕力はたとえ紛いものと言えど、勇者のそれだ。アーシュの大きい掌は、紫水晶をこともなげに掴んで止めてしまっていた。
日頃杖より重いものを持ったことがない、俺の軟弱な力とは勝負にならないのだ。
俺が固まって動けないでいると、アーシュに握りしめていた杖を床に叩き落とされた。重いものが床に当たる鈍い音がして、ごろごろと遠くに転がって行ってしまった。
虚しい音が消えると、だんだん怒りが再燃し始める。ああ、転職したい。
「貴様っ、それでも勇者の端くれかっ。戦闘以外で勇者の力……」
言ってる途中で、アーシュの腕が伸びてきて俺の背中に回った。
やばい。また強行突破か?
そんなことを思っている間に、俺はアーシュの膝の上に抱きかかえられている状態にされてしまった。
「あっ、貴様、今度こそはその手に乗るかっ。離せ万年発情期っ」
ああ、畜生。どうして俺は魔法使いなんて職業を選んでしまったんだろう。どうせなら武道家とかにしておけばよかった。びくともしない腕の中で、暴れつつ無駄に嘆いてみる。
「フェイ、うるさい」
真剣な色を含んだ艶っぽい低音が、俺の鼓膜をくすぐる。こいつ、俺が耳弱いことを利用してやがる。なんて卑怯なやつだ。
気を強く持って流されないようにしようと必死になっている俺だったが、耳元で囁かれるだけで心臓が酷く脈打ってしまう。
アーシュは俺の体から力が抜けると、俺の黒髪を撫でて顔を覗き込んできた。黄緑色の瞳が俺を貫いて離さない。そう、俺はいつだってこの瞳に敵わない。
「卑怯者。俺がお前を拒絶できないって分かってて、こんな風に曖昧にする」
「ふっ、当然。フェイはオレの嫁だからな、知らないことなんてねーし」
熱い吐息が額にかかって、その場所にアーシュの唇が落ちる。優しいその感触に、愛を感じずにはいられない。
「アーシュ。今度浮気したらただじゃおかないからな。覚悟しておけよ」
俺はゆっくりアーシュの首に腕を回して呟いた。我ながら声が甘い。
小さく笑って、アーシュは俺をベッドに組み敷いた。
「何回同じこと言うつもりだ? フェイオン」
アーシュが俺の名前をちゃんと呼ぶ時は、『今夜は寝かせない』という合図だ。心なしか、顔つきが獲物を見つけた肉食動物みたいに変貌したような。
アーシュの精悍な顔が近付く。俺は静かに目を閉じた。
「フェイオン、好きなのはお前だけ……」
聞いただけで溶けそうな声を発するアーシュ。俺は心底でほくそ笑んだ。
時は満ちたりっ。
あとほんの僅かで唇が重なる距離になると、アーシュの首に回していた腕を緩め、代わりに両手をかけた。
馬鹿なアーシュは気付きもしない。
俺は目を開けて、鼻で笑ってやった。
「おい、貴様の大事なところが無防備だぞ」
「なっ」
「油断したな、勇者様」
ニヤリと笑って、職業は関係ない弱点を思いっきり膝でけり上げてやった。
「いぎゃああああああああああああああああああああああああああっ」
その後、血相を変えたパレットが部屋に入ってきた時、アーシュはベッドの上で号泣しながら俺に許しを乞うていた。
読んでくださりありがとうございます。
世界設定や魔王討伐の詳細はおいおい書こうと思っております。