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3.胡蝶の夢/荘子

『まず初めに、春の空を見てみましょう』

 

 そんな呑気な挨拶とともに、どこかノイズの混じったオルゴール音が、イベントホールの中に流れてくる。

 これでは本当に眠ってしまうのも、時間の問題かもしれない。


『北の空を見上げてください。ひしゃくの形をした、鮮やかな七つの星が見つけられます。これが有名な北斗七星です』

 

 七つの星が、小さくチカチカと瞬き、その背後にひしゃくのイメージ映像が浮かび上がる。北斗七星ぐらいであれば、僕にだってわからなくもない。


『この北斗七星を見つけることができれば、春の星座はトントン拍子に見つけることができます。ひしゃくの柄の部分を、そのまま伸ばしていくと、少しだけ黄色く、明るい星にぶつかります。これが、うしかい座のアークツルスです』

 

 そんな解説をよそに、僕は隣に座るざくろのほうを見る。

 ざくろは星座についての解説を真剣に聞いているようだ。僕の視線を感じたのか、こちらに目をくれないまま、周りの迷惑にならない程の小さな声で話し出す。


「胡蝶の夢って言うのはね、中国に伝わる昔話なんだ」

「昔話?」


 心なしか、その口調はいつもより穏やかに感じられる。やはり周りを気にしているせいだろうか。それでいて淡々と、粛々と、ざくろは語る。



 胡蝶の夢。


 古代中国の思想家荘子は、あるとき夢の中で蝶になって、ひらひらと飛んでいたという。目を覚ましてふと考える。もしかしたらこの世界……荘子が人間である世界こそが、蝶である自分が見ている夢ではないのか、と。


 人間である自分が蝶になった夢を見たのか、蝶である自分が人間になった夢を見ているのか。しかし、そのどちらが真実なのかは何ら問題ではない。蝶であるときは蝶として生き、人間であるときは人間として生きる。そのいずれもが真実であり、自分が自分であることには変わりはない。


 どちらが真の世界であるのかを論ずるよりも、いずれをも肯定して受け入れ、それぞれの場で満足して生きればよい。その本質は何ら変わらない、という話である。



「…………」

 話を聞き終えた僕は、一つ大きく息をつく。

 

 隣を見ると、話を終えたざくろはもう既に星の世界に浸ってしまっていた。


「胡蝶の夢……」

 あまりにも突飛な話である。


「まさか……な……」


 だが、自分の身に起きた一連の現象を説明するのに、適切な言葉が他に見当たらないのもまた事実だ。

 そして、もし仮に、これとまったく同じことが僕の身に起きていたとして、僕の場合は。


 どちらが真の世界かを論じ、それを解明しなければならない。それぞれの場で満足して生きるなんてことはできなくて、本当の世界と夢の世界、そのいずれかを否定しなければならないのだ。

 

 仮の話をさせてもらえるのなら、この話には穴があるように思う。

 第三の選択肢とでもいうのだろうか。つまり、蝶である自分と人間の自分、そのいずれもが、それとは別の姿をしている自分が見ている夢である、ということだ。


「もし、龍が胡蝶の夢の世界にいるとして、どうなんだろう。やっぱり龍は、心星さんのいる世界が現実世界であってほしいって願うのかな?」


「な……!」

 隣の席にいるざくろ……ではなく、小熊が僕にそう聞いてくる。


「???」

 不思議そうな顔をする小熊。


 彼女にはまだ、僕の身に起きていることの説明はしていないはずである。

 いや、そんなことよりも。


 今度は前兆(そう呼ぶのかどうかは定かではないが)のようなものは何もなく。

 一瞬。刹那。僕が考えごとをした少しの間に、ざくろと小熊は再び入れ替わってしまっていた。


「……どうだろうな」

 あたかも冷静さを取り戻したかのように、僕は答える。ここで見栄を張る必要は別にないのだが。


 かと言って、大袈裟にリアクションをとるほどお笑いに通じているわけでもない。


「だってざくろが死んでいない世界だと、普通に考えるなら小熊、おまえが死んでるってことになるんじゃないのか? いくら恋人とは言え、おまえとざくろ、どちらかが死んでしまう世界を選べなんて僕にはできない」


 ……そう、だから、第三の選択肢。

 ざくろがいて、小熊がいる現実。


「いいんだよ、別に」

 小熊は少し照れたような仕草をしてから、そう言う。


「きっとこの世界で私は、私のいる世界が現実だって言う。でもそれは心星さんも同じ。そっちの世界が現実だって、きっとそう言うと思うよ?」


 僕には、小熊の言っていることが頑としてわからなかった。

 それに、小熊はまるで、この現象……この事象が、ざくろの言う胡蝶の夢だと決めつけて話しているような印象を受けた。


 小熊らしくもない。


 適切な場面に、適切な言葉をくれるのが、子之星小熊。


『……カラスの嘘に怒り狂った太陽の神・アポロンは、カラスから人間の言葉を奪い、そして銀色に輝く美しい羽根を醜い黒に変え、空へと磔にしてしまいました。これが、春の星座の一つ、からす座です』


すべての事には、理由がある。


なら、今日の小熊は……僕らが演じるこの場面にそぐわない言葉を用いるこの小熊は、夢?

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