Epilogue
あれから、五か月が過ぎた。
夏が終わり、秋がやってきて……冬も半ばに差し掛かるころ、年が明けた。
そんな冬のある日、僕と、そして僕の彼女、子之星小熊は家の近くの公園にいた。
僕と小熊が初めて出逢った、あの公園。
そのジャングルジムのてっぺんで。
今日は、ペルセウス座流星群、双子座流星群とともに三大流星群の一つに数えられている、しぶんぎ座流星群の極大日だった。
時が経って、僕の星座に関する知識は前よりずっと広くなった。そして、小熊も。
あのころはざくろに無理矢理付き合わされていた天体観測も、今や趣味とも言っていいくらいにはなったように思う。
ちなみに、しぶんぎ座、という星座は全天八十八の星座には含まれていないそうだ。
昔は星座の一つだったそうなのだが、現在は流星群としての名前だけが残り、かつてしぶんぎ座だった星々はりゅう座の一部になっているらしい。
つまりあの日プラネタリウムで、全天八十八星座の一つとして紹介されていたのはまったくのデタラメということである。
思いだしてみれば、あれはざくろのいた世界――夢の世界――での出来事だった。
もしかするとあの世界から僕への、ちょっとしたヒントみたいなものだったのかもしれない。
「あ、また流れたよ!」
僕の隣では小熊が無邪気にはしゃいでいる。
「晴れてよかったねー! 心星さんもみてるかなあ……」
僕を気遣ってか知らずか、小熊は時折そんなふうに、ざくろのことを思いだすことがある。
「どうだろうなあ……あいつ星は好きだったけど、それ以上に寒いの嫌いだったし」
そのたびに僕もざくろのことを思いだし、少しだけ切なくなる。
でもそのことで、小熊のことを責めたりはしない。ざくろのことを思いだすということは、僕と小熊の中に彼女が生き続けているということなのだから。
「どのように時代は過ぎても、我らの行なったこの崇高な場面は、繰り返し演ぜられることであろう……」
小熊がふと、何かのセリフを引用する。
「誰の言葉?」
「シェイクスピアだよ!」
中学生の頃に夢中になって観ていた、深夜アニメ。
シェイクスピアの言葉を引用するヒロインと、彼女に翻弄される登場人物たち。
作中に登場するシェイクスピアの言葉は、彼女らの心象を鮮明に映し出していた。
僕がよく思い出すあの言葉は、そのアニメのヒロインの口癖だった。
〝すべての事には、理由がある〟
実に的を得ている言葉だと思う。
僕が胡蝶の夢に迷いこんでしまったのは、ざくろを失った悲しみからだった。
僕がこうして今小熊と一緒に星空を見上げているのは、その胡蝶の夢から抜け出させてくれ、そして僕に気持ちを伝えてくれたからだ。
理由のないことなんて、この世にはない。
それこそ、夢の世界でもない限り。
「どういう意味なんだ、それは?」
これまでも繰り返し行われてきた、否、繰り返し演じられてきた、慣れたやりとりである。
「そのままの意味だよ。シェイクスピアの意図するところとはちょっと違うかもだけど」
今まで空を見上げていた小熊は、そう言って笑顔で僕のほうを向く。
僕が大好きなその笑顔。
果たしてその笑顔には、どんな理由があるのだろう?
いや……今はそんなことを考えることさえ無粋かもしれない。
「来年もこうして、一緒に星を観られたらいいなって思ってさ!」
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読んでいただき、ありがとうございました(*´꒳`*)




