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9.愛の言葉

 大学三年生、二十歳。

 七月七日生まれ、かに座、O型。

 身長百七十センチ、体重五十七キロ。

 右利き。

 趣味、天体観測。

 特徴、毒舌。


 ――それが僕の彼女、心星ざくろ。

 

 もし、僕が彼女について知っていることをすべて述べるとするならば、四百字詰め原稿用紙百枚でも足りないかもしれない。


 僕が彼女と交際を始めて、二年の月日が過ぎた。


 もちろん順風満帆だったというわけではない。幾度となくケンカをしたことはあったし、破局の危機になったこともあった(その都度、小熊の仲介によって仲直りさせられたが)。


 彼女のことをすべて知っているとは口が裂けても言えない。女の子に秘密の一つは付き物よ、というセリフは、どこで聞いたものだっただろうか。


 それでも他人以上には、彼女のことを理解しているつもりだ。

 

 どういう表情のときはどんな感情を抱いているのか、何も言わなくてもそれぐらいはわかるようにもなった。


 その彼女が今、僕の目の前で悪戯に微笑んでいる。

 しかしその表情から彼女の気持ちを読み取ることはできない。見慣れたはずのその笑みは、僕が今まで見たことのない彼女のそれでもあった。


「だから言ってあげたじゃない。我慢しなさいって。人の忠告は素直に聞いておくものよ」

「……まさか僕がトイレに行ってる間にプラネタリウムが終わるとは思ってなかったからな」


 空気がふわふわとしていて、まるで夢の中にいるような感覚に陥る。いや、事実これが夢の中なのかもしれないのだが。


「約束通り、後でたっぷりレクチャーしてあげるわ」

それは眠ってしまったときの約束じゃなかったのか。


「まあそれはさておき」

 彼女は次の言葉を紡ぐ。


「りゅうはどうして私が今日ここに誘ったのかわかる?」

「どうしてって……単純に来たかったからじゃないのか? それにほら、このイベントって期間限定だし。この辺でプラネタリウム観られるなんてすごく珍しいことだしな」


 僕は思っていたままの返答をする。

 というかそれ以外でここに来る理由なんて思い当たらないのだが……。


「ふむ。半分正解と言ったところかしら。さすがは私の彼氏ね」

「いや、それは彼氏じゃなくても、ざくろが天文好きってことを知ってる人なら大抵わかると思うんだけど……」


 珍しくお褒めに預かったのは光栄なことなのだが、その程度で彼氏をやっていられるなら簡単なものである。


「半分正解……なら、残りの半分は何なんだよ?」

「りゅうはこの間の日曜日、何の日だったか覚えてる?」


 質問に対しての、質問。こちらの質問に正解することもまた、容易である。


「記念日、だろ? 付き合って二年の」

 二人にとっての大切な日付を忘れるはずもない。


「早いものね……あれからもう二年も経ったのね。どうかしら、私たち、少しは成長したのかな?」

「…………!?」


 間違いを正さないところを見るとどうやら正解だったようだが、僕が面食らってしまったのはそれがあまりにもざくろに似合わないセリフだったからだ。成長だなんて言葉が。


 いや……ざくろだって感傷に浸ることはあるだろうし、過去を振り返ることだってあるだろう。ただその姿を僕に見せることはなかったのが、他ならぬ彼女だったのである。


「どうだろうか……あいにく僕は当事者だし、そういうのって第三者から見ないとわからないものなんじゃないのかな?」

「ほら、私って見ての通り、愛情表現の類がすごく苦手じゃない? だからそういうの、ちゃんと伝わってるのかなって不安になることもあったりするのよ」


 先ほどのセリフをあまりにも似合わないと言うのなら、今度はどう形容すれば良いのだろう。それほどまでに衝撃なざくろの言葉。


 愛情表現。不安。

 どちらもざくろの口から聞くのは初めてのものだ。


 そんな言葉を知っていたのかと、そんなふうに言っても過言ではない。


「だから今日ここに来たのは、私なりの愛情表現と受け取ってもらって構わないわよ。記念日より少し遅れちゃったけどね。自分の好きなものを、自分にとって一番大切な人と一緒に観られるなんてすごく幸せ。私もう死んでもいいわ」


 ……それは笑えない冗談だ。


 自分が今置かれている状況と、ざくろからの言葉に対する嬉しさや照れで、なんとも言えない表情になってしまう。


「? 何なのその顔は……私がこれだけ普段しないようなことをしてあげているのに、まだ足りないっていうの?」


 少しだけ頬を赤らめるざくろ。

「いや……そうじゃなくて……っ……!?」

 何か弁解をしようとしたその刹那、僕の口を彼女の唇が塞ぐ。


 時間が止まる。

 止まる……という表現はこの場にはそぐわないのだろうか。

 誰もいないドーム内、例え本当に時間が止まっていたとしても、気付かないんじゃないのか。


 或いは、それに気付くことができるのは水槽内にいる魚たちだけだろう。


 実際にそうしていたのはほんの一秒……否、一秒にも満たない時間だったが、僕にはそれが何十秒にも何百秒にも感じられた。

 

 今日は本当に、時間の概念と言うものをおかしく感じる日だ。

 そして止まっていたように感じた時間は、ざくろの言葉と共に動き出す。


「好きよ、りゅう」

 それはおそらく、彼女が初めて口にした、愛の言葉。


 体に電流が走ったように感じ、体温が激しく上昇していくような感覚。


 見えていた世界が姿を変える。あまりにも眩しく、聡明に、鮮明に。

 そして次の瞬間、思考とか感覚とかそう言ったすべてが自分からなくなっていく。


 残ったのは本能。ただそれだけだった。


 目の前にいる彼女がただただ愛おしくて。


 これから起こるすべてのことに、理由なんてなくたっていい。

 僕はざくろと一緒にいたい。


「ざくろのいる世界で、いっしょに生きていたい……!」


 謎を解かなければいけないとか、真実を解明しないといけないとか、そんなことを言っていたくせに、結局最後は、ただの願望じゃないか。


 いてもたってもいられなくなって、僕は目の前にいる彼女を――心星ざくろを――強く抱きしめる。


 僕だって愛情表現は得意なほうじゃない。

 でもなぜか、こうせずにはいられなかった。


「「龍……」」


 再び、二人の声が重なる。


 わからない。何も。

 本当はわかっている?

 誰が知っているんだ? 何を?

 耳元で聴こえるその泣き声は。


「龍……いい加減、夢から醒めてこっちを見てよ……!」


 子之星小熊だった。


 またしても、二人は入れ替わってしまっていた。


 ……そしてきっと、もう二度と入れ替わることはない。

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