蓬莱相撲【東方二次創作】
朝の永遠亭。
箒や雑巾を持った玉兎とすれ違いながら、永琳は月の姫の私室に向かっていた。外来の診療が始まる前に、輝夜の身支度を手伝い、朝ご飯を配膳するのがいつもの流れだった。
声をかけて私室に入ると、姫は床に膝立ちになって、眠そうに伸びをした。昨晩は妹紅が訪ねてきて、輝夜は飽きもせずに殺し合って、日付が変わる頃に裏手から帰ってきたのだ。
「随分眠そうね。ゆうべも外に出ていたでしょう」
「……分かってるなら、昼まで寝かせてくれればいいじゃない。起きたからってすることもないのだし」
「ここは診療所なの。姫が不摂生をしていては示しがつかないわ」
輝夜は拗ねた様子だったが、そのまま姿見に向かった。永琳は後ろに立って、腰を覆う黒髪に櫛を通し──ふと違和感を覚えた。
肩のあたりに、わずかに指が沈むような柔らかさがある。太ったのかと一瞬考えたが、すぐに打ち消した。輝夜の食事はこちらで用意していて、太るようなものは思い当たらない。それに、蓬莱の薬を飲んだ者は、体型の変化とも無縁だろう。
櫛を止めていたら、姫が「どうしたの」と尋ねてきた。
「いえ、何でもありません」
気のせいだろうと考えて、姫の身支度と配膳を済ませ、診察室に戻って仕事に取り掛かった。
*
次の日。廊下を歩いていた永琳は、患者を案内している妹紅と行き合った。すれ違ったとき、妹紅の白いシャツがいつもより窮屈そうだった。護符のついた赤いもんぺをサスペンダーで吊っており、体つきがよく表れるのだ。
──いや。まさか。
あの子は質素な暮らしをしているという。姫と同じく蓬莱の薬を飲んでいるし、運動量の多さを考えても、太るところは想像しがたい。診察室に戻って薬の調合に移ったが、釈然としない感覚が残っていた。たとえ気のせいでも、似た異変が短期間に二例。偶然にしては出来すぎている。
*
それからも、姫は夜に屋敷を抜けて、妹紅と二度会っていた。
朝に私室を訪ねて身支度を手伝うとき、胴回りがもっちりしていることに気がついた。衣装に身を包めば遠目には変わらないが、近寄ってみれば分かるぐらいの違いだった。
兎が寝静まってから、永琳はひとつの実験をした。試しに一度だけ、自決と蘇生を行って、体重を測ってみたのだ。結果、体重の針に変化はなかった。自分の仮説に確信を得たところで、輝夜と妹紅を呼びつけた。
「最近肉がついたんじゃないかしら」
その言葉に、妹紅はシャツの胸元の紐に手をやり、輝夜は妹紅のほうを手で指した。
「私も思っていたの。この子、どうも肉がついてきたようね」
「姫も同じよ」
「げっ」
顔をしかめる二人に、永琳は自身の仮説を告げた。
「あなたたちの共通点は、蓬莱の薬を飲んで、短期間に何度も死亡と蘇生を繰り返していること。ここに肥満の原因がありそうね。食事や生活習慣は関係がないはずよ」
「私は試しに、自分で一度だけ自害して蘇生しましたが──体重は変わらなかった。一度や二度の蘇生では変化は現れないけれど、あなたたちは何十回、何百回と、殺し合っては生き返っている。蘇るときのわずかな誤差が累積して、再生のたびに脂肪細胞が複製されているのでは、と考えているわ」
「じゃあ、私が太ったのは妹紅に殺されたせいってこと?」
「いや、お前が先に──」
「やめなさい。どちらが先というより、互いに太らせ合っているのが現状なの。元々が細めだったのもあって、今は健康的な体型に収まっているけれど、行いを改めないといずれ本当に動けなくなるわ」
永琳の忠告に、妹紅は腕を顔の前に掲げて眺めてみた。
「……死んだら太るなんて、そんなことがあるのか」
「あっちに秤があるわ。殺してあげるから、先に重さを測ってきたらどうかしら」
「黙れ。お前が測ってこい」
言った端から喧嘩をしている。永琳は溜め息をつくと、妹紅を「帰っていいわ」と追い払い、輝夜を自分の部屋に帰らせた。
*
輝夜は妹紅と引き離されて、姿見の前に立っていた。
艶やかな黒髪と、ほんのり丸くなった頬。腰に手を当てると、布越しに柔らかい肉の感触があった。胸のほうも若干大きくなったらしい。死んで蘇るたびに脂肪が増えるとは奇怪な話だが、永琳が言うならそうなんだろう。
「まったく。私を太らせるなんて、万死に値するわ」
呟く声にさほど悲壮感はない。
体がわずかに重くなったとはいえ、まだいつも通りに動けたし、お洒落を楽しむこともできる。従者の言う通りに夜遊びを止め、屋敷で大人しくしていれば、程よくふっくらした体型で通るはず。顔を合わせれば殺し合いになるから、妹紅には会わず、夜は裏手を閉め切って門前払いにすればいい。
──それじゃつまらない、と姫は思う。
「あの子を何十回か殺して、歩けなくなるまで太らせて、首輪をつけて地下壕で飼おうかしら。空を飛ぶのを見られないのは惜しいけれど、飛べなくなっても一生面倒を見てあげるわ。毎日お湯で体を拭いて、髪を梳いてあげたらさぞ悔しがるでしょうね」
輝夜が笑みを浮かべたのと同じ頃。妹紅はもんぺの懐に手を差し入れて、竹林の小径を歩いていた。シャツのボタンを一つ開けて、足元の石を蹴る。
地上に堕ちた月の姫。まさか自分が太るとは考えもしなかっただろう。
「あいつがこのまま太り続けたら、蹴鞠で遊んでやるか」
丸々とした身体を鞠のように蹴ったらさぞ面白いだろう、と妹紅は嗤って、小径を歩き続けた。
*
満月に近い夜。
ずしん。ずしん。
どすん、どすん。
永遠亭の中庭から、地鳴りが響いていた。
「いったい何が……ひっ!」
様子を見に行った鈴仙は、庭の光景に言葉を失った。面影がなくなるほど肥え太った姫が、庭で四股を踏んでいたのだ。いつもの装束ではなく、桃色の浴衣を羽織り、こちらに背を向けて足を踏み鳴らしている。胸も腹も尻もたっぷりと肉づいていた。
診察補助と薬売りの仕事が忙しく、しばらく姫の顔を見ていなかった間に、何が起きたというのか。
姫の向かい側では、妹紅も同じように四股を踏んでいた。肥えた身体はカッターシャツには到底収まらず、どこかで調達したらしい白装束と、手縫いしたような赤いズボンを履いている。気づいているのかいないのか、鈴仙の存在には何の反応もなかった。
四股を踏み終えると、見せつけるように腹や腿を手で叩き、ばちばちと音を鳴らしていた。互いに腰を落として蹲踞の姿勢を取る。二人の姿に気を取られていたが、間には妖怪兎のてゐが立っていて、ふわふわの耳が揺れていた。
「はっけよい、残った残った残った!」
空を駆けて弾を撃ち合っていた二人が、地上で四つに組み合い、頬に張り手を浴びせている。相撲についてはよく知らないが、てゐは行司のつもりらしく、扇子を振りながら飛び跳ねていた。
てゐの声と地響きに引き寄せられて、屋敷の玉兎たちが様子を見に集ってくる。誰もが地上に気を取られていて、空を見上げる者はいなかった。
竹林の上空では、鴉天狗の射命丸が、目を輝かせてシャッターを切っていた。
蓬莱人の撃ち合いはいまさら記事にもならないが、夜に相撲を取っているとは珍しい。新聞の号外を出すのにふさわしい話だろう。
二人が四股を踏み、蹲踞で向かい合い、相撲を取る様子をアングルを変えて何枚も撮ってから、鴉天狗は夜空を飛び去った。
「月の横綱、蓬莱相撲。明日の朝刊のネタは決まりましたね。早く帰って記事を書かないと!」
*
射命丸は夜の間に記事を書き上げ、翌朝には里で号外が配られた。永遠亭の中庭で二人が相撲を取っている様子が、写真つきで載っている。見出しには「百貫超えの熱戦!」と尾ひれがついていた。
月の頭脳、八意永琳は、新聞記事を読んで顔色を変えた。
「屋敷の品位が台無しよ……!」
新聞を破り捨ててから、対応が後手に回ったのを後悔する。死ぬたびに脂肪が増えるとしたら、殺し合いは自然と慎むものだと思っていた。当初はふっくらした程度だったし、本人が希望すれば痩せ薬でも調合しようと気長に構えていたが──甘かった。
今や、影響は里にまで及んでいた。午前の最後の診察にやってきた里の爺から、相撲のことを尋ねられたのだ。
「先生先生、夜の相撲はいつですかいな。わしもぜひ見物したいと思ったもので」
「……天狗の新聞ですね?」
「そうじゃ。友達に見せてもらってな。あの写真、迫力があったわい」
「夜は妖獣が動き回る時間です。あの新聞は大げさに書かれていますし、見物に来ると危ない目に遭いかねません。夜は里でゆっくり過ごすよう、お友達にもお伝えくださいね」
「そうかねぇ」
老人は背中を丸めて、少し残念そうに帰っていった。永琳は穏やかな声音を作って「お気をつけて」と言葉をかけ、患者がいなくなったところで、痩せ薬を煎じ始めた。鈴仙が「変な臭いがする」と様子を見に来たので、湯気を吸うと喉が焼けるから離れなさい、と追い返した。
*
日が落ちて、妹紅が屋敷に突撃してきた。荒い息を吐きながら地面を踏み鳴らして走ってくる様は、手負いの猪を連想させる。
「輝夜! どこにいる!!出てこい!!」
庭に面した一室で、姫は寝転がって天井を眺めながら「ここよ」と返事をした。太りすぎて動くのが億劫になり、口だけで返事をする姫に、似たような体型の妹紅が煽り文句を吐いた。
「寝転がってないで庭に出な。外を転がして鞠にしてやるよ」
傍で見ていた永琳は、呆れ半分に感心した。
「……その体でよく走ってこれたわね。膝、平気なの?」
「滅茶苦茶痛い!!」
「それなら相撲なんか止めなさい」
永琳は妹紅の背中をつついて、部屋に上げ、輝夜と向かい合うように座らせた。にらみ合う二人の前に、煎じ薬を満たした盃を二つ並べる。
「痩せ薬を煎じたの。これを飲めば、明日の朝には元の体型に戻れるわ。膝が痛いのも治るでしょう」
「……変な色」
「ひどい匂いね。こんなものを飲めというの?」
「ええ」
渋る二人の間で、永琳はぱちりと手拍子を打った。
「ほら、一気に行っちゃいなさい。先に飲んだほうが勝ちよ」
言い終える前に、二人とも盃を掴み、一気に喉に流し込んでいた。
「……熱いっ、何だこれ……!」
「なんか、心臓がおかしい!」
汗をかきながら床を転げ回る二人に、永琳は「死にはしないわ」と返した。後の世話は鈴仙に任せて、中庭に足を運ぶ。
*
満月が上る頃。中庭では、見慣れない灯が揺れていた。赤提灯を提げた屋台が出ており、昼の仕事を終えた玉兎が集まっていた。ご丁寧に「蓬莱相撲」の筆文字の旗も立っている。
「いらっしゃい。相撲のお供に八目鰻~!」
「お酒と鰻。支払いは屋敷のツケで」
「まいど~」
夜雀のミスティアが、中庭に八目鰻の屋台を出していたのだ。たれの匂いに誘われて飲食する兎たちに、永琳は眉をひそめた。
「相撲は無いし、ここは永遠亭の敷地です。無断で屋台を出してはいけません。あと、勝手にツケ払いをしないこと」
一通り注意をしてから、永琳は中庭の一角に足を運んだ。額の赤い角、手に持った大盃──地底の鬼、星熊勇儀の姿があった。平たい岩に腰かけ、月を眺めながら悠然と酒を飲んでいる。まさか鬼まで来るとは思っていなかった。
永琳が静かに近づくと、勇儀は盃を片手に立ち上がった。背丈は永琳よりも高い。
「地上で月見をするのは久しぶりだよ」
「……遠くから、よくお越しで」
「そろそろ相撲が始まるんだってね。私もぜひ交ぜてもらいたい」
「申し訳ありませんが、今夜の相撲は中止ですし、これから取る予定もありません」
「そうなのかい」
「はい。姫たちの不摂生を正すため、治療の真っ最中なんです。戦いどころではありませんよ」
せっかく来たのに惜しいことだ、と勇儀は口にした。
「そうだ。月の民と手合わせしてみたくてね。あんたも月から来たのなら、今から腕相撲でもどうだい?」
枷のついた腕を振って笑いかける勇儀に、永琳は内心でげんなりしていた。
──鬼と腕相撲なんて、冗談じゃない。
「あいにく私は薬師でして。書き物も多いですし、腕が折れては困ります」
不死の民としては少々言い訳がましい気もしたが、勇儀はあっさりと笑い飛ばした。
「そうかい。気が向いたらいつでも来てよ。地底の酒を用意するからさ」
勇儀はふらりと屋台のほうに行き、撤収作業をしているミスティアに声をかけていた。
「その鰻、残り全部もらえるかい?」
「えっ、全部買ってくれるんですか!? まいどあり~!」
鬼は八目鰻の包みと酒を手に、月の下をのし歩いて帰っていった。
*
さらに数日が経って、夜空を飛び交う光の弾。体型が元に戻った二人は、空を駆けてはいつものように撃ち合っていた。
戦いは止められなかった。ただ一つ変わったのは、終わったら屋敷に帰って体重を測ること。
戦いを終えて永遠亭へ戻ると、輝夜と妹紅は黙って体重計に乗る。結果が変わらなかったのを確認して、永琳は帳簿に数字を書き入れる。脂肪複製の不具合は、今のところ再発していない。
一晩で一行。帳簿は数十頁。いずれは使い切る日が来るんだろうか、と永琳は先を思い描いた。