第七話:目覚めと、名も知らぬ訪問者
気を失っていた郁桜が目を覚ましたのは、慣れ親しんだ保健室のベッドの上。
ほんのりと漂う懐かしい香りに、夢の名残が胸を揺らす。
そこへ現れたのは、見知らぬ制服の生徒たち――桜嶺学園の龍ヶ崎司狼と藤堂妃奈。
「……あなたと話したいって子たちが来てるの」
彼らの目的とは。そして、郁桜の“異変”に隠されたものとは――。
「……。」
郁桜は、ゆっくりと瞳を開けた。
最初に感じたのは、鼻をくすぐる消毒液のツンとした匂い。そしてそれに重なるように、どこか懐かしい、若葉のように爽やかな香りが微かに漂ってきた。
(……この匂い……懐かしい……)
ぼんやりとした意識の中、ゆるやかに視線を動かすと──カーテンがシャッと音を立てて開き、見慣れた顔が覗いた。養護教諭の平田先生。その穏やかな笑顔も、ここ一ヶ月ですっかりおなじみになっていた。
「目、覚めたのね。気分はどうかしら?」
「……はい、大丈夫です。」
「そう、それならよかったわ。起きられそう?」
小さく頷いて、郁桜はベッドの端に手をつき、ゆっくりと上体を起こす。身体に少し怠さは感じるものの、意識ははっきりしていた。ただ、夢の余韻だけが、まだ胸の奥にほのかに残っている。
「はい、これ。少し飲んだ方がいいわ」
差し出されたのは、冷えたペットボトルの水だった。小さく礼を言って受け取り、キャップを開けて一口。思っていた以上に口が渇いていたようで、水の冷たさが舌に染み渡る。それはまるで甘露水のように、じんわりと甘かった。
二、三口飲んだところで、ふぅとひと息つき郁桜は口を開く。
「すみません、またご迷惑をかけてしまって……」
何度目かの保健室。それだけに、申し訳なさは募るばかりだった。そんな郁桜を見て、養護教諭はやさしく微笑む。
「あなたはここの生徒よ。そして、生徒の体調を見るのが私の仕事。気にする必要はないわ。ーーーでも、今日は朝食抜いてきたでしょう?」
その微笑みが、ふいに凄みを帯びる。図星をつかれた郁桜はギクリと身体を強ばらせた。
「……あ、すみません。今日は寝坊してしまって……」
気をつけます、と言うと、養護教諭は「よし!」と頷き、もう少しここで休むといいわ、とカーテンに手をかけた。だが、その手がふと止まり、少し困ったような表情を浮かべて郁桜の方を振り返る。
「そういえば、あなたと話したいって子たちが来てるの。……入れてもいいかしら?」
その言葉に、郁桜は目を見開いて固まった。――クラスメイトですら自分の存在をきちんと認識しているか怪しいのに、私に“会いたい”人?
「……………いいですけど……誰、ですか?」
「ええと……そうね。他校の子たちよ」
「……他校?」
他校に知り合いなんているはずがない。訝しむ郁桜に、養護教諭は少し焦ったような、困ったような、複雑な表情を浮かべながら説明を続けた。
「あー……ほら、最近変なことが続いてるじゃない? その件について調べてる子たちなの。関係者に話を聞いて、情報を集めてるんですって。」
そういえばそんな噂があったな。あれ事実だったのか…と思いながら養護教諭の説明に一応納得した郁桜は、おずおずと口を開いた。
「……そういうことなら……構いません。入ってもらってください。」
郁桜の許可を得た養護教諭は、ほっとしたように頷いた。
「ちょっと待ってね」と言い残し、カーテンの外へ出ていく。
外で誰かと一言二言、短くやり取りを交わすと、やがて戻ってきた。
その後ろには、妙に凝った制服を身にまとった同年代の男女が続いていた。
一人は妙に顔立ちが整っているクールな雰囲気の男の子と、頭の高い位置でお団子を二つ結っている小柄で快活そうな女の子。
(……あ、この匂い。)
起き抜けに感じたどこか懐かしい若葉のような爽やかな香りはどうやら男の子の香りらしい。郁桜がじっと男の子の方を見ると、澄んだ金瞳が郁桜の瞳を捉えた。
郁桜は内心驚き、サッと目を逸らす。誰かとまともに目が合うなんて久しぶり過ぎて、落ち着かない。
「こちら桜嶺学園の龍ヶ崎司狼君と藤堂妃奈さん。学年は皇さんと同じよ。」
養護教諭の紹介に二人は小さく会釈する。続けて郁桜の紹介を二人にしてくれる養護教諭の声に郁桜も二人に小さく会釈した。
「それでは私はこの後職員会議があるので、これで失礼しますが…無理はさせないでくださいね。」
「ええ、手短に済ませます。」
「……。」
司狼の淡々とした返事に養護教諭が不安げに妃奈を見る。彼女の言いたいことが伝わったのだろう。妃奈は養護教諭を安心させるようににこりと笑って言った。
「彼、ちょっと口が足りないですけど、気は遣えますから。私もフォローしますし、ご安心ください。」
妃奈の言葉に養護教諭はようやくほっとしたように息をつくと、カーテンから出ていった。
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今回から、物語の中心となるキャラクターたちが登場します。
郁桜にとっては“特別な始まり”の瞬間……。
次回は、いよいよ彼らからの問いかけが始まります。
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では、また次回にて――。