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還月ノ桜  作者: 神埜 澪
2/7

第1話:気づかれない存在

初めましての方も、そうでない方も、お読みいただきありがとうございます。


これは、“神代の記憶”を受け継いだ者たちが、現代という舞台で運命に抗う物語。


今回は、その始まりとなる少女・郁桜いおの現代での初登場シーンです。


眠りから目覚めた彼女が、やがて“記憶”と“運命”に触れていく前の、静かで切ない一日。


どうぞ、彼女の小さな異変に耳を傾けていただけたら幸いです。



「―――っ。」


郁桜(いお)は、不意に息を呑むようにして瞳を開いた。

視界に広がるのは、見慣れた施設の自室の天井。


(……夢……?)


夢だと断じるには、あまりにも曖昧で、けれど確かに心の奥に何かが残っている。

それは、どうしようもなく、焦がれるような切なさ。


首を傾げながらむくりと身体を起こすと、つぅと温かい何かが一筋、頬を伝った。


(……え……涙……?)

驚いて指先でそっと拭えば、そこにはたしかに、ひと粒の雫。

意味も理由もわからない。…けど、これだけは分かる。


―――この涙は、必要なもの。


「………はっ!今何時!?」

ふと我に返った郁桜はヘッドボードにある目覚まし時計に目をやる。時計の針が示す時間に青ざめる。


「遅刻っ!!」

郁桜はベッドから飛び出ると全力で身支度を整える。顔を洗って歯を磨いて、昨夜用意しておいた制服に袖を通した。

「あーもう!」

焦りからか上手く着られないことにもどかしさを感じながらも、なんとか着替えた郁桜はこれまた昨夜用意しておいた学校指定の鞄を肩にかけると、勢いよく部屋を飛び出した。

そのまま施設の玄関で靴を履き、一応先生に向かっていってきます!と挨拶をした。―――返事は返ってこないが。

(今日も無視……ま、いつものことよね。期待するだけ無駄無駄。)

郁桜は気持ちを切り替えて、学校までの道を全力疾走した。


***


(あ〜……お腹すいた。)


朝食を抜いてきたことを、郁桜は心の底から悔やんでいた。体育の授業前、掛け声に合わせて1、2と準備体操をしてはいるものの、空腹で力が入らない。まるで、お腹と背中がくっついてしまいそうだった。


春の日差しがじりじりと肌を刺す。

まだ四月の終わりだというのに、今日は少し汗ばむほどの陽気だった。


(なんで寝坊した日に限って、よりによって体育……しかも四時間目?)


起き抜けの寝ぼけた頭のまま家を飛び出し、駅まで全力疾走してどうにか遅刻だけは免れた。だが、朝からずっと心がざわつき落ち着かない。なにもかもが噛み合わず、呼吸すら上手く合わない気がしていた。


そして今、その半日の締めくくりに待ち構えるのが、まさかのサッカーの授業。昼休みまであと一歩というこのタイミングで、空腹に追い打ちをかけるような内容だった。


(…まぁ、どうせ私は影が薄いし、いるんだかいないんだかって感じだし。目立たないように、隅っこで体力温存してよう……)


発作が出ていないだけマシだ、と自分に言い聞かせながら、なんとか準備体操を終えると、教師の集合の合図に合わせて足を引きずるようにして列に並ぶ。


(……もう、ダメ。お腹すいて、ほんとに力が出ない……)


ゲームが始まった。生徒たちは班分けされた。郁桜は例に漏れず、一度名前を呼ばれなかったあとに教師のフォローで押し込まれるようにして、とある班の一員として加えられた。


案の定、パスは一度も回ってこない。でも、それでいい。むしろその方が楽だ。

誰にも気づかれないよう、時折立ち位置を調整しながら、郁桜はフィールドの端でひっそりと試合を見守っていた。だが──


(……ん……?)


視界が、不意にぐにゃりと揺れた。


(これは……まずい、かも……)


胸の奥がざわめき、意識が遠のくような感覚。頭の奥がじんわりと熱を持ちはじめ、視界の端が暗くなる。心臓の鼓動が耳の奥で大きく反響し始めると指先が痺れ、呼吸も浅くなってきた。

これは、間違いない。慣れ親しんだ、けれど歓迎できない“発作”の予兆。


自分が今、どれだけ無理をしていたのか、ようやく実感する。


(……先生に、言わなきゃ……)


ぐらつく足を必死に踏ん張り、郁桜は静かにコートを抜け出した。そして、ゲームの様子を見回っている教師の姿を探し、声をかけようと、重たい足を一歩前に出した──その瞬間だった。


「……っ!」


ごく軽い、けれど鋭い衝撃が頭部に走る。何かがぶつかったのか、それとも、内側から何かが壊れたのか──判然としないまま、視界が白く弾けた。


音が消える。風景がにじみ、色を失い、そして崩れた。

膝が抜け落ち、地面が迫る。

遠くで、誰かの叫ぶ声。駆け寄る足音。ざわめくクラスメイトの気配。


でも、もう届かない。沈むように、郁桜の意識は深く、暗く、落ちていった。



最後までお読みいただきありがとうございました。


第1話は、主人公・郁桜の“日常のひび割れ”を描く形となりました。


ほんの些細な違和感、夢の余韻、そして発作。それらは彼女が背負う運命の、最初の“ささやき”です。


次回以降、物語は少しずつ動き出していきます。


感想・ご質問など、お気軽にいただけるととても励みになります!

それでは、また次の章でお会いしましょう。

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