婚約破棄されたら、呪いが解けました
2/16 最後にお話追加しております。
私は六つになったばかりの頃に、人質としてこのポルタ王国に連れてこられた。
当時、カヌゼル国の国王だった父は、なにより国の安寧を優先した。母も、妹のことにしか興味がなかった。
だから、私が人質に選ばれるのは当然だったのだろう。
「ルルベルや。そなたをポルタ王国に行かせることにした。辛いやもしれぬが、この国のためだ。分かるな?」
「はい。父上」
私は震える手を背中の後ろに隠し、そう応えた。国のためなのだから仕方ないと、何度も自分に言い聞かせた。
大丈夫。人質といえど、名目は相手国の王子との婚約ということになっている。きっと温かく迎え入れてくれるだろう。
周りの大人たちからもそう言い聞かされ、私はこの国に赴いた。
しかし、現実は全く違っていた。
私を迎え入れたときの、この国の人たちの目を、私は今でも忘れることができない。
私の故郷カヌゼルは、魔法技術を発展させ栄えた国だった。魔法は扱えるものにとっては便利なものだが、使えないものにとっては恐怖と嫌悪を感じさせるものだ。
このポルタ国の人たちは魔法を扱うことができない。だから魔法の国カヌゼルから来た私を、この国の人たちは穢らわしいものと考えたのだ。
もちろんそれは、婚約者であるレイム王子も同じだった。私より二歳年上の王子は私に近づこうともしなかった。顔を合わせる機会があっても、挨拶どころか目も合わせない。
私だって王子のことは好きではなかった。本当は祖国に初恋の人がいたのだ。三歳年上のアスラン。騎士の家系に生まれたくせに全然強くなくって、でもとても優しくて。私はそんなアスランに淡い恋を抱いていた。
だけどその恋が叶わないことは分かっていた。私は国のために見たこともない王子に嫁ぐことを受け入れた。知らない人でもこれからゆっくり仲良くなっていけばいい。互いのことを知れば、惹かれ合うこともあるだろう。
その気持ちは無下に切り捨てられた。
王子は私のことを、まるでそこにいないように振る舞った。
他人に興味を持たれないのは慣れていた。だが敵国で味わう孤独は、想像以上に辛かった。親しい人も頼れる人も誰もいない。周りは自分のことを忌み嫌っている者たちばかり。
そんな状況に耐えきれなくなった私はついにある答えにたどり着いた。
「そうか。感情など捨ててしまえばいいんだ」
他人を蔑む人間、他人を虐げる人間、そんな奴らに心を弄ばれるくらいなら、はなから捨ててしまえばいい。彼らにいちいち反応してやる義理などないのだ。そういう人間は、相手が辛くなればなるほど喜ぶ。
そしてそれは結果的に正解だった。
感情を捨て、辛い思いを抱え込むことをやめた私は、周りのことが気にならなくなった。
おかげで剣技にも打ち込めるようになった。
王子も誰も守ってくれないなら、自分の身は自分で守るしかない。そのためには強くならなければならない。
魔法はなぜかこの国に来てから使えなくなっていた。何度呪文を唱えても魔法が発動することはなかった。理由は分からないが、使えないのなら考えたって仕方ない。
私は魔法の訓練ができない分も、剣技習得にのめり込んだ。
婚約者の王子が周りに女の子を侍らせていたって、気にせず修練に打ち込んだ。
ある日、私と王子はポルタ国の国王に呼び出され、婚約の儀についての話を聞かされた。
「明日、正式にレイムとルルベルとの婚約を発表する」
内々に婚約は決まっていたものの、国民への発表は明日が初めてとなる。発表されてしまえば、もう取り消すことはできない。その後、私が十六歳になると同時に結婚式を執り行い、正式に私と王子は夫婦となる。
隣にいる王子は私との結婚がよっぽど嫌らしく、終始不貞腐れた表情をしていた。
「レイムよ。不服かもしれんが、これは国のためなのだ。それに彼女を娶ったからといって、他の女を妾にできぬわけではない。ルルベルが気に入らぬなら、子を産ませるのは他の女でも構わぬ」
息子の婚約者を前にしてこの言いよう。失礼極まりない物言いだが、十年も聞かされ続ければもう環境音と同じだ。
レイムはムスッとしながらも小さく頷いていた。
玉座の間から出された私は、自室に帰ってきた。
婚約の儀は10日後。そして私の十六歳の誕生日は、その1ヶ月後だ。つまり約1ヶ月半後には、結婚式を挙げていることになる。
私は出窓に腰掛けると、窓を少し開け夜風に当たった。秋の少し冷たい風が頬を撫でていく。
「結婚したところで何も変わらないわ」
王子はすぐにでも他の女を閨に呼ぶだろうし、私はこのままの生活を続けるだけ。
なのに、今日はなんだか胸の辺りが妙に重苦しかった。感情などとっくに捨てたはずなのに。
「こんな日は、早く寝てしまったほうがいいわね」
私は重いドレスを脱ぎ捨てるとネグリジェに着替え、毛布に潜り込んだ。
「大丈夫。あなたは強いもの」
そう唱えているうちに、私はいつの間にか眠ってしまっていた。
とうとう婚約の儀を執り行う日がやってきた。
いつもは私にお付きのメイドなどいないのだが、王子の婚約者がみすぼらしい姿をしていてはいけないと、朝から私の自室にメイドがわんさか押し寄せていた。
今日は重たいだけのボロドレスではなく、絹であつらえた、翡翠のような美しい緑のドレスに身を包む。
髪も香りの良いオイルをぬられ、櫛でこれでもかととかされた。
普段は無愛想なメイドたちだが、自分たちの仕事への達成感からか、めかしこんだ私の姿を見て満足げに頷いている。
鏡を見て、自分でも驚いた。
鏡の中にいるのは、いつものみすぼらしく貧相な自分ではない。
物語の中のお姫様のように、華やかな自分が立っていた。
そんな自分の見慣れない姿に、少し舞い上がっていたのかもしれない。このあと王子があんなことを言い出すとは思ってもみなかった。
「ルルベル! お前との婚約を破棄する!」
式典場は、騒然となった。
私は頭が真っ白になる。もちろん王子と夫婦になりたかったわけではない。しかし婚約破棄されれば私はこの城から追放されることになる。そうなればカヌゼル出身の私が生きていくのは難しい。城の中であったからまだ蔑まれてもなんとか生きてこられたが、巷でのカヌゼル人への差別はさらにひどいという。かといって今更カヌゼルに帰ることもできない。
正直言って私の人生は詰みだ。
ただ、王子の妄言に困っているのは私だけではないようだった。
「バカもの! 婚約破棄など何を考えている! 今すぐ取り消せ!」
国王は怒髪天を衝く勢いで怒り狂っている。
しかし一方のレイム王子も全く引く気はないようだ。
「だけど父上! やはり僕はこんな女を娶るのは嫌です。国民にバカにされてしまいますよ」
「カヌゼルから来たことは伏せて公表すると言っただろう。とにかくお前はこの女と夫婦になればそれで良いのだ」
国王は苛立ちを通り越して焦っているように見えた。
その様子に、私は違和感を覚える。
私との婚約を破棄すれば、カヌゼルとポルタの同盟関係は解消される。そうなれば困るのはカヌゼルの方だ。いくら魔法大国とはいえ、国自体はポルタの方がはるかに大きくて豊かだった。いくら魔法大国とはいえ、カヌゼルのような小国との同盟がなくなったくらいで大慌てすることもないだろうに。
いや、そもそも私はなぜ王子の婚約者だったんだろう。王女が人質として嫁ぐことはよくあることだけど、人質だからと言って必ずしも娶らなくてはならないわけではない。
極端な話、ただ人質として牢に入れおいてもよかったのに。
私は改めて国王の顔を見た。すると国王は今や青ざめ冷や汗をかいている。
「レイム、他のことは何でも好きにして良いが、この女との婚姻だけは受け入れろ。だからほら、はやく婚約破棄を取り消すんだ」
「嫌です! 絶っっ対、嫌です父上!」
聞き分けのない息子に国王が手を上げた時、急に式典場の外が騒がしくなった。
衛兵が騒いでいる。その人混みの間から、大きな声が聞こえた。
「――ベル。ルルベル!」
確かに私の名を呼んでいるけれど、知らない声だ。
しかし――。
声の主が衛兵をかき分け姿を現した瞬間、私は心臓が止まりそうになった。
透けるような翡翠の瞳に、長くて綺麗な亜麻色の髪。
「アスラン!」
私が名を呼ぶと、彼は嬉しそうに微笑んだ。
私は目の前の光景が信じられなかった。アスランがどうしてポルタに? こんなところにいるの?
ううん。今はそんなことどうでもいい。アスランにまた会えた。それだけで胸が張り裂けそうだ。
しかしその喜びも長くは続かなかった。
「何をしている衛兵! 闖入者を捕らえよ!」
レイム王子の声に、衛兵たちが一斉にアスランに刀を向けた。
瞬間、私は叫んでいた。
「やめて!」
その場にいた全ての者が私を見つめた。みんな目を丸くして口をパクパクしている。
そんなに大きな声だったかしらと思っていると、衛兵の甲冑が何やら輝いているのに気づいた。
何あれ……ん? ちょっと待って光ってるのは、もしかして……。
私は自分の両手に目を落とした。
すると、私の体は、無数の柔らかい光の粒に包まれていた。
この感覚……もしかして、魔法が戻ってきた?
何年ぶりだろうか。魔力が体のうちから湧き上がってくる、この感覚。
「ルルベル! 呪いが解けたんだ! 婚約自体が、呪いだったんだよ! だから君はもう魔法が使える!」
アスランが叫ぶ。アスランにそう言われるだけで、さらに魔力がみなぎっていく。
「くそっ、こうなったら仕方ない。衛兵ども! そこにいる女を殺せ! 奴は魔女だ!」
国王がさけぶと、衛兵たちはすぐに私の方へ剣を向けた。
けれど何も怖くない。
ああ、何ていい気分なんだろう。こんな気分はいつ以来だろうか。
今なら何だってできる気がする。
私は呪文を唱えた。すると手のひらの上に、光の球体ができる。それを衛兵たちに向けて放った。衛兵たちは逃げ惑うが、光の球は追随し彼らを逃さない。光の球が体をすり抜けた者はみんな気絶して床に転がった。彼らは死んだわけではない。少しばかりエナジーを吸い取っただけだ。
「あとは」
私は国王と王子を振り返った。
二人はひっと情けない声をあげる。私は床に転がっていた剣を拾い上げた。
「覚悟はできていらっしゃいますよね」
努めて冷静な声を出したつもりだったが、むしろそれが王子の恐怖を煽ってしまったようだ。王子は怯えた目で私を見つめながら、下半身をぐっしょり濡らしていた。
「ま、待ってくれ、俺は悪くない。悪いのは父上だ」
「いい加減、自責の念を覚えたらいかがです」
私は持っている剣に手をかざした。すると剣が炎に包まれる。私はそのまま炎を纏った剣を振りかざした。
直後、レイム王子はガクンと泡を吹いて気絶してしまった。
まったく、これくらいで気絶するとは。いくじのないやつ。
私は王子を見下ろしていた瞳を、そのまま横にスライドする。
「き、貴様、こんなことしてただで済むと思うなよ」
「おどしですか。しかしよろしいので? 私がいなくなって困るのはあなた方のほうではありませんか?」
国王は口を閉ざし答えようとしない。私はちらとアスランの顔を見た。アスランは私の意見を肯定するように頷く。
この婚約が呪いだったとすると、その呪いのおかげでポルタ王国は何か利益を得ていたのだ。呪いの対価は、おそらく私が今まで魔法を使えなかったことと関係がある。
「貴様はただ祖国に捨てられたのだ。それだけだ。貴様のような邪悪な女は――」
聞き飽きた言葉だ。婚約について答える気がないならもういい。
私は先ほど同じように光の球を作ると国王に向けて放った。国王は電撃を受けたようにビクリと身体を震わせると、そのまま床に崩れ落ちた。
「ふう」
これで全部終わった。
この国に来て十年。長かった。
でも……。
これからどうしようか。アスランが来てくれたのは嬉しかったけど、アスランのお荷物になるのは嫌だ。
「アスラン、来てくれてありがとう。おかげで生きる勇気が出たわ」
「大袈裟だよ。俺は何もしてない」
「だけど、結果的にあなたを巻き込んでしまった。カヌゼルにバレないかしら」
「大丈夫。俺はもうカヌゼルの人間じゃないんだ。君が国を出た後、俺もすぐに国を出たんだよ。今は医術師として各地を放浪してる」
「アスランあなた医術師になったの?」
「もともと騎士は向いてなかったんだ。それに君を救えなかったことがずっと心残りで。それでたぶん、誰かを救う仕事につきたかったんだろうな。医術師になって各地を回るうち、時折王族を診ることもあった。その王族たちから、君の婚約にまつわる話を聞いたんだ」
「呪いのことを?」
「そう。ポルタの国王は、君に婚約という制約を与えることで君の魔力を奪い、その魔力を利用して富を得ていたんだよ」
「そうだったのね。私何にも知らなかった」
つまりカヌゼルは私を人質ではなく、魔力を生み出す生贄として差し出すことで、ポルタからの侵攻を免れようとしたのだろう。
カヌゼルに恨みがないと言えばうそだが、何だかもうどうでも良かった。
「今までよく頑張ったね。ルルベル」
アスランがそっと私の身体を抱き寄せる。私はすっぽりとその腕に包まれてしまった。昔は小柄で弱々しい少年だったのに、いつの間にこんなにたくましくなったのだろう。
その優しい温もりに包まれていると、不思議と涙が溢れてきた。
どこかに捨て去ったはずの感情が、溢れてくる。
「一緒に違う国へ行こう。クヌルートっていう、食べ物が美味しい素敵な国があるんだ。そこで二人で暮らそう」
「アスランはそれでいいの?」
「よくなかったら命懸けでこんなところへ来ると思う?」
私は涙を拭ってアスランの顔を見上げた。昔よりずっとたくましくなっても、変わらぬ優しい微笑みがそこにあった。
「クヌルートに行ったら、まずは微笑む練習をするわ」
そう言って私は、笑顔の代わりにアスランの手をぎゅっと握る。すると温かい大きな手が握り返してくれた。
この後、ポルタ王国はルルベルの力を失ったことにより急速に衰退。民衆は苦しい生活に耐えきれず蜂起し、国王たち王族は地下牢に幽閉されることになりました。
またルルベルの祖国カヌゼルも、ポルタ王国との同盟が破綻したことにより、他国の侵略を受け滅んでしまいました。
一方、クヌルートへ向かったルルベルとアスランは、その国の人々に温かく迎え入れられ、都で素敵な家を買いました。二人はその家で一緒に暮らしながら、ルルベルは剣の腕と魔法の力で魔物退治をして人々を助け、アスランは小さな診療所を開いたそうです。
「アスラン。今日は隣町に行ってくるわ。魔物が出て畑が荒らされてるそうなの」
「分かった。それじゃ今日の夕食は俺が作ろう。きっと君は疲れて帰ってくるだろうから体力回復メニューだな」
「ふふっ、いつも気遣ってくれてありがとう。アスラン」
ルルベルはとびきりの笑顔で微笑む。
こうして二人はいつまでも、いつまでも、幸せに暮らしたのでした。
おわり
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