9.妖女、書庫へ行く
玲明と桂華が書庫へ行くと、管理人は快く中へ入るのを許可してくれた。颯秀が話を通しておくというのは本当だったらしい。
「意外と仕事はするのね、あのぼんくら王子」
「玲明様、ぼんくらぼんくらとおっしゃるのはやめたほうがいいですよ。本人の前でも出ます、というか出てました」
「だって噂にたがわぬぼんくらなんだもの」
書庫には誰もおらず、玲明は気兼ねなく桂華と話しながら目当ての書架を見つける。国王弑逆を企んだ恵梨と芳陽元第一王子の処刑記録だ。
しかし、開いた中にある情報は巷の噂で流れているものに毛が生えたようなものだった。『玉座の間において謁見する際、恵梨が手引きした上で芳陽元第一王子が陛下の弑逆を試みた。しかし芳陽第一王子の挙動には以前から怪しいところがあったため、玉座の間には衛兵が控えており事なきを得た。』……。
「仮にも陛下を殺害しようと企んだ事件の記録がこれしかないなんてことがあるかしら?」
記録を戻しながら、玲明は別の記録を手に取り捲る。桂華も首を傾げた。
「そうですね……。他の事件はもう少し詳しく書いてありますよね? どこの誰が犯人で、誰のお陰で誰が助かったとか……」
「それこそ陛下の命を助けるなんて勲章ものよ? しっかりと記録に残してほしいって頼みそうなものだし……あ、これ見て。妖女狩りのときのものね」
「ひえっ」
本が襲い掛かってくるわけでもないのに、桂華はつい玲明の背に隠れてしまった。
「こういうものがしれっと置いてあるあたり、瑶華国はすっかり肖瑶教に支配されていますよね……肖瑶教の始祖が王族に加護を与えているので仕方がないんでしょうけど」
「あのぼんくら王子も肖瑶教らしいしね。あーあ、完全に天珀教は悪者よ」
数百年近く前、天珀教の敬虔な信徒であった珀家は、加護を用いて王に弓引き、結果一族皆殺しにされた。記録には、それがあたかも事実のように記載されたうえで、珀家が裏でいかに悪行の限りを尽くしていたかが書かれていた。
「神が2人もいるとお布施が半分になる、たったそれだけのくだらない話なのにね」
でも現実はそうではない。本を捲りながら、玲明は幼い頃に失くした母のことを思い出す。
肖瑶教と天珀教それぞれの始祖は、この世界に降り立つにあたり2人の人間に加護を与えた。1人は瑶征龍、彼は人々を導く力を与えられた。もう1人は珀琳香、彼女は自然と生きる力を与えられた。2人はやがてそれぞれの一族を持つようになり、家同士で互いに協力し、国の繁栄に尽くしていた。
しかし、天珀正教会が徐々に大きくなっていくにつれ、肖瑶正教会を統治していた主教が私腹をこやすにあたって他の宗教を排除することを企んだ。そこで主教は当時の愚かな王に「珀家の加護は王族の立場を脅かす危険なものだ」などと唆し、珀一族にいわれなき罪を着せて根絶やしにした。
それが、玲明が母から聞いて育った話だ。そして肖瑶教が瑶華国の国教である今、珀家の血を引くことは決して誰にも明かしてはならない、と。
玲明が恵梨の異母妹であることはもちろん、玲明と桂華が珀一族に関係していることは、誰にも知られてはいけない。特に、肖瑶教の神官達が出入りするこの宮殿では。
「それにしても、すごい本の量ね。燈家もそれなりに本は集めていたけれど、さすが宮殿の書庫だわ」
ろくな情報は得られないと諦めた玲明は、改めて書庫の中を歩き回る。一体何十冊、いや何百冊の本があるのだろう。妖女呼ばわりされてショックを受けるくらいには純粋だった頃、燈家に引きこもって本を読んでいたのが懐かしい。
「契約が終わったら書庫で働かせてもらえないかしら。日がな本を捲りながらのんびり過ごすのも悪くないわ……」
そのとき書庫の扉が開き、一人の青年が入ってきた。黒に近い暗い髪を後頭部で簡単に結い、無表情の上に無愛想な片眼鏡をかけた青年――颯秀の侍従である瑛柊青だった。