2.妖女、噂話を聞く
事の発端は、数日前に遡る。
「こりゃあ、第二王子で決まりだな」
酒場では、今日もその話題が俎上にあがっていた。
この夏、第一王子はその王子妃と共に弑逆を企み、母たる正妃とその一族、さらには王子妃一族ともども処刑された。では次の王には誰が即位するのだろうか、というのがここ半年の民衆の話のタネである。
「決まりってことはないとも。お前、ものを知らないヤツだな。いいか、王位継承権ってのは、なにも生まれた順番に決まってるわけじゃないんだぜ?」
したり顔が目に浮かぶような威張った声も、その話題が出るたびに耳にする。机の上を片付けていた玲明は、顔を上げることはせず、ただ黙々と酔っ払いが転がした酒杯を回収していた。
「もちろん、基本は生まれた順さ。第一王子、第二王子って名前がついてるくらいだしな。ところがどっこい、いくら早く生まれたからって、母親がそこらのあばら家生まれの娼婦だったらどうだ、王にしていいと思うか?」
「そりゃだめだ、大体、本当に王の子かもわからん」
「ってなるだろ? 第二王子はな、生まれた順序はよかったが、血筋が悪かった、母親は娼婦あがりだ。第三王子はな、家はそこそこいいし、生まれた順番も悪くない。しかし体が弱い、噂によるとほとんど病床に臥せり、ろくに筆も持てない。二十歳まで生きられるか分からんそうだ。第四王子は、血筋も良いし体も悪くない、しかしココがてんで駄目らしい」
言いながら、酔っ払いはこめかみをとんとんと人差し指で押した。
「残るは第五王子、コイツも母親の血筋がいい。それでもって体も強く、頭もいい」
「そんなら第五王子が一番いいんじゃないか。なんで第五王子が継がない」
「だから、それで基本の生まれた順ってヤツだ。本当なら第一から第四までが死なないと王になれないヤツを王にしちゃ座りが悪い。陛下はそれを案じてるわけさ」
「なるほどね」
「ま、第一王子が謀殺なんて企んだのが全ての失敗さ」
分かったような口をききながら、酔っぱらった男は酒杯を傾ける。
「もともと、黙ってればそのまま王に繰り上がってたんだ。それを早く王になりたいなんて欲をかくからいけないのさ」
そう、第二王子から第五王子までは、それぞれ出自だの中身だの順番だの、どれもこれも微妙に脛に傷がある。それがないのは第一王子だけで、逆にいえば第一王子がそこまで非の打ちどころがないということは、誰もが「第一王子がそのまま即位するのだ」と信じて疑わなかった。
その第一王子の転落。弑逆なんておよそ許されることのない企みが明るみとなってしまった瞬間から、第一王子の人生は終わったようなものだった(現に終わった)。結果、揃いも揃って一長一短の第二王子から第五王子には、棚から牡丹餅的に、玉座を手に入れる機会が平等に回ってきた。
ただ、そのくらい堅かった第一王子が、なぜ弑逆を企ててまで王になることを焦ったのか。それは分からないままだ。
「まあ、どうせ燈家の女が我儘を言ったんだろ」
第一王子妃であったのは、燈恵李。名門貴族燈家の長姫だったが、それも処刑されるまでのこと。
実際、相手の男も、そこらの娘を捕まえたような呼び方を気に留めることもなく、ただ「我儘?」と敷衍を求める。
「我儘さ、どうせ早く正妃になりたいと望んだんだ。陛下はまだご存命、いつまで王子妃をさせられるか分かったもんじゃないからな」
幾度となく聞いてきたその説を今夜も耳にし、玲明は客に振り撒いている自分の笑顔が引き攣るのを感じてしまった。
第一王子が弑逆を企てた動機は分からないまま――であるはずなのだが、一説には第一王子妃であった燈恵李が原因だと言われている。なんなら、それは一説どころか有力説とされ、多くの民衆が囁くところだった。
が、根拠はない。人々が挙げる理由は「だってあの聡明な第一王子がそんな馬鹿なことをするはずがない。とすると、恵李が誑かしたとしか考えられない」という論理もへったくれもないもので、玲明に言わせればなんでもかんでも女のせいにしたがる身勝手な男の妄想だった。恵李の侍女を一人でも捕まえて話を聞けば、恵李がそんなことをする女性でないことはすぐに分かる。
ただ、今となってはそれもできない話だった。“恵李の”という修飾がつく使用人達は例外なくみな処刑されており、死人に口なし状態。恵李がそんなことをするはずがないという主張も、恵李が第一王子を誑かしたという説と同じくらい根拠のない話だった。
玲明は内心に燻る苛立ちを隠しながら黙々と料理を運ぶ。ここで酔っ払いの胸座を掴んで「何の証拠があってそんなことを言えるのよ!」と怒鳴ったところで、恵李の顔に塗られた泥が落ちることはない。それどころか、この酒場──恵李が生前に口を利いてくれたお陰でやっと手に入れた働き口──をみすみす失うだけの結果となる。私はそこまで馬鹿じゃない、と玲明は必死に自分に言い聞かせた。
「ははあ。第一王子妃ってだけでも充分過ぎる贅沢ができただろうに。女ってのはどうも感情的でいけないな」
「そもそも燈家ってのがいけねえのよ。知ってるか? 噂だと、琥珀一族の血が混ざってるらしい」
「まさか!」
ひっそりと、内緒話のように囁いた友人を、男は笑い飛ばした。
「琥珀一族だって? あの? 有り得ないだろ、あの一族の血はとっくに絶えてる」
自分を宥めたばかりであったが、続く話の予想がつき、玲明はついじとりと酔っ払い二人組を睨んだ。
琥珀一族とは、瑶王国の昔話に出てくる家の名だ。そしてその通称は“妖女を生む一族”。
珀家とは、瑶華国の昔話に出てくる家の名だ。そしてその通称は“妖女を生む一族”。珀家の血を引く女性には神の“加護”が与えられていたから。
昔々、珀一族は王たる瑶一族に戦争を仕掛け、その座を、ひいては国そのものを奪い取ろうとした。珀一族は “加護”により人智を越えた魔術を扱ったため、その使い手たちは“妖女”と呼ばれた。その“妖女”達を相手に、国は民を率いて奮闘した。多大な犠牲を払った末、王国はなんとか勝利をおさめ、同時に珀家の妖女を狩り尽くすことに成功した──そう言われている。
「いやいや、燈家にはな、外に出されない“妖女”がいるって噂があったんだよ」
ほら、やっぱり。予想通りの話の展開に、玲明は溜息すら吐くことができなかった。
「それが恵李だったとか言うんじゃないだろつな?」
「そのまさかさ」
相手の知らない情報を持って優位に立ったかのように、男は身を乗り出して勢いづいた。
「クリスタル家には外に出されない娘がいるって噂があったんだよ。で、第一王子が恵李を見初めたのはどこだと思う? ――森の中だよ、ぎりぎりクリスタル家の領土内のな。外遊しようとした第一王子が、たまたま、オンボロ別荘にいる恵李を見初めたんだ」
もったいぶった言い方だったが、相手の男は「へーえ、知らなかったなあ」と着眼点も分からずに感心した素振りをみせるだけだったので、饒舌に語る男は「お前、よく考えてみろよ」とその興味を引っ張ろうとする。
「クリスタル家は恵李を長女だと言い張ってたがね、辺境伯の長女がそんなところに、ろくに侍女も連れずにいたなんておかしいだろ? ということは、だ。クリスタル家は、うっかり生まれた妖女の恵李の扱いに困って、森の奥の別荘に住まわせてた、しかし第一王子が見初めたからこれ幸いと長女ということにした、妖女だなんてバレたらいくら見初めたつっても話がなくなるからな」
男はふんぞり返って「どうだ、筋は通ってるだろう」と仮説への自信を露わにする。その自信ありげな語り口調のせいか、もともとの話し相手以外の客達も、興味津々にその話に耳を傾けていた。
「なるほどな、そうなると、第一王子はいくらあらゆるものが秀でてるって言っても女を見る目がなかったな」
ただ、琥珀一族の妖女の話はもう百年以上前の昔話であるし、恵李が妖女だったという話に根拠はない。恵李は妾がうっかり孕んでしまった子なので隠されていたのだろう──そんな話半分で、男は笑いながら酒杯を傾けた。琥珀一族の末裔だの妖女だの、馬鹿馬鹿しいことこの上ないが、この夏に起こった大事件のオチとして楽しむのに充分な与太話だ。
「そもそも、第一王子だってのに旅先で見初めたどこの馬の骨とも分からん娘を妃にしようという、その軽率さがな、王の器でなかったということだな」
「挙句、蓋を開ければ妖女だからな。それが王妃になろうだなんて、面の皮が厚いってもんじゃない」
「燈家だって、所詮は名しかないカビ臭い貴族さ。娘の恵李に品がないのも分かるってもんだ」
ガハハ、と酔っ払い特有の大きな笑い声が下品な評価と共に酒場内に広がる。話題が話題だけに、彼らの話には耳を澄ませている客達は多く、さらにその客達の中では一緒になって笑う者のほうが多かった。弑逆を企んだ元王子と元王子妃、そしてその元王子妃は妖女──これが平民の酒の肴以外の何になろう。そんな心理が透けるような雰囲気だった。
その雰囲気は、バシャッという弾ける水音と共にかき消された。
ひたりひたりと、酔っぱらった男達の髪を酒が滴り落ちる。
何が起こっているのか分からず目を白黒させる男達の間に、玲明は立っていた。その両手には逆さになった酒盃がある。
「ごめんなさいね」
玲明は笑みを浮かべたまま、ひっくり返した酒盃をひょいと持ち直した。突然頭から酒をかけられた男達は今なお呆然としている。
「お話を聞いているとあまりに性根が腐っているようですので、洗い流してさしあげようかと思いまして。ご気分はいかがですか?」
その二分後、玲明は仕事を失った。