15.妖女、幽霊を聞く
「……ああ。例の第一王子と第一王子妃が住んでいた宮殿ね」
その空気に気付かないふりをしてお茶を口に運びつつ、玲明は視線だけで遊鈴と藍恋の様子を窺う。
遊鈴のさっきまでの明るい雰囲気はどこへやら、その顔は唇まで青ざめ、饅頭をつまむ指先は震えていた。
藍恋が俯き加減だったのは最初からだが、今はその顔を必死に覆い隠そうとするようにほとんど下を向いている。
……2人は、事件に関係しているのか? 気付かれないように視線を落としながら、頭の中で2人の表情を反芻する。藍恋の反応はかなり微妙だ、見た感じの性格からして事件のことを耳にしただけでも暗い顔にはなるだろう。一方で遊鈴の反応は過剰過ぎる。半年近く前に第一王子とその妃が弑逆を企んだだけで、そこまで怯える必要があるだろうか。
「そうね。さすがに夏の事件は知っているのかしら?」
そして芙楊はまるで他人事かのような話ぶり……。
第一王子が最も王位に近かった以上、この場にいる王子妃には皆、第一王子の失脚を企む理由がある。じっと考え込む玲明の後ろで桂華も三者三様の反応を観察しているのが分かった。
「ええ。第一王子をはじめとした者達が陛下の弑逆を企んだ事件よね。昨年の一大事件だもの、平民でも知らない人はいないわ」
事件の話は聞きたい、しかし酒の肴以上の興味を抱いていると知られてはいけない――。慎重に言葉と態度を選びながら、玲明は少しだけ身を乗り出した。
「私達の間では、元第一王子妃の恵梨が早く王妃になりたくて欲をかいたんだってもっぱらの噂だったわ。そうなの?」
「そうよねえ、平民に降りてくる話はそれくらいよね」
貴族の、なんなら王子妃の自分はもっと知っている――そうひけらかすように芙楊は得意気な笑みを浮かべていた。
「貴女、知ってる? 元第一王子妃は燈恵梨。そして、燈家には“妖女”がいた」
「そうなの?」
「そうよ。あの珀一族の血を引く妖女がね」
どうやら、それは平民の間だけではなく宮殿内でも話題になっていることらしい。玲明自身のことをこれからどう語るつもりなのか、そう考えるとちょっとした好奇心は湧いてくる。
「燈恵梨は幻術を使って第一王子を惑わし、まんまと王子妃の座に収まった。でも燈恵梨の本当の狙いは玉座。だから第一王子は利用されたの」
「陛下に近づくために第一王子に近づいたってこと?」
「そうよ。処刑台にのぼった第一王子はとても正気には見えなかったそうよ、燈恵梨の幻術のせいに違いないわ。陛下もそう、あの事件以来――」
その続きは何だったのか、ガタガタッと音を立てて遊鈴が立ち上がったせいで聞くことは叶わなかった。
テーブルに両手をついている遊鈴は、事件が話題にのぼった瞬間から変わらない青い顔をしていた。
「……ごめん、お茶会の途中だけれど、少し気分が悪くて。今日はこれで失礼するわ」
「あら遊鈴様、大丈夫?」
「ええ、大丈夫……ごめんなさいね玲明、また今度ね……」
遊鈴が侍女達を連れそさくさとその場を後にすると、藍恋も「では私も今日はこれで……」とおそるおそる立ち上がってしまう。芙楊の侍女達も、今日はこれでお開きなのだろうという空気を出し始めた。
「残念、せっかく玲明様の歓迎会にもなったのに。仕方ないわね、日を改めましょう」
「ええ、そうですね。わざわざありがとうございました、芙楊様」
さっきの話の続きは? そう訊ねたいのはやまやまだったが、あまりに食いつきがよくて怪しまれてはいけない。仕方なく引き下がろうとして。
「あ、そうそう。さっき話しかけたことだけど」
思いがけず餌を差し出され、慌てて食いつくところだった。
冷静になるために、一拍置く。
「さっきって?」
「白水の宮のこと。事件の後、誰も立ち入っていないはずなのに火の玉を見た人がいるんですって。“妖女”の幽霊よってもっぱらの噂だから、貴女も肝試しがてら行ってみたらどうかしら。きっと楽しいわよ」
そっち、か……。内心肩を落とすが、恵梨が住んでいた宮殿も気にはなっていた。芙楊がこう言うということは、白水の宮内を歩き回っていても「探検してました」で済むだろう。
「そうなんですね。少し怖いですけれど、行ってみようかしら」
「颯秀殿下と一緒に行ってみてはいかがかしら? 亡霊相手なら槍の扱いもなにもないでしょうし」
「そうですね、考えておきます」
火の玉か……。薔薇の宮殿を去った後、玲明は北西に視線を向ける。白水の宮は宗瑶宮に遮られて見ることはできない。下手に恵梨との関係を勘繰られないよう、未だに近づいたこともなかった。
「……私、幻術を使うことができたのね。初耳だわ」
「私も初耳です、玲明様。しかし、第一王子が正気に見えなかったというのは気になりますね」
はて、と桂華は首を傾げた。
「なにか恐ろしいものでも見たんでしょうか? それこそ亡霊とか」
「分からないわね。とりあえず、今度白水の宮に行ってみましょう」
「颯秀殿下と一緒にですか?」
「あんなぼんくらと行ったら足手まといよ。当然一人で行くけど……」
ふむ、と帰り道で玲明は考え込む。芙楊は肝試しにもってこいだと言っていたし、あの口振りなら夜間に白水の宮に忍び込む者がいるのだろう。もしかしたら亡き王子と王子妃の宝飾品が残っていると期待している者もいるのかもしれない。
「肝試しってことにするなら夜のほうが怪しまれなさそうね。夜に行きましょう」
「怖くないんですか、玲明様」
「桂華がいるんだもの、怖くなんかないわ」
大体、死んだ人間よりも生きている人間のほうがよっぽど怖い。肩を竦めた玲明に、桂華はちょっと苦笑いしながら「そうですね」と頷いた。