10.妖女、才人に会う
「ご無沙汰しております、柊青様」
「……玲明殿ですか」
無表情のとおり、その声も無愛想で感情がない。玲明を認めた声も、呆れたわけでもなければ驚いたわけでもなく、ただ淡々と「そこに玲明がいることを認識した」以上の意味のないものだった。
「書庫に出入りしたいと話していたとはお聞きしていましたが、よほど熱心なのですね。昨日の今日でいらっしゃるとは」
「ええ、まあ、退屈なもので。柊青様はどうしてこちらへ?」
「私はただの趣味です。お気になさらず」
むしろ気にしてくれるなと言わんばかりに、柊青は書架から一冊の本を手に取るとそのまま窓辺の椅子に座り読書を始めた。玲明がじっと見つめていると「なにか御用ですか?」顔も上げずに訊ねてくる。
「……柊青様は朝廷屈指の才人と名高いですよね? なぜぼ……颯秀殿下の側近をしているのですか?」
「仮にも王子妃の立場にあるのですから殿下に対する物言いにはお気をつけください、玲明殿」
柊青は、当人らと桂華以外に玲明が契約妃であることを知る唯一の人物。誰が聞いているかも分からないところで軽率に颯秀を罵倒するなという忠告は至極真っ当だ。
「王命であった以外に理由はありませんよ」
「どうしてそんな王命が? 柊青様は屈指の才人ですが、颯秀殿下は特別に有力な候補だったわけでもありません。陛下は颯秀殿下に目をかけていらっしゃるということですか?」
「どうでしょうね。陛下の御心は存じ上げませんが、私が殿下と幼馴染であるからではないでしょうか」
玲明も桂華も目を丸くした。幼馴染?
本から顔を上げた柊青は、片眼鏡をくいと持ち上げながら相変わらず感情の見えない双眸で玲明を見つめる。
「ご存知ではなかったのですか? ここ最近殿下の周囲を嗅ぎ回っていたようですが」
「かっ……ぎまわっていたなんて、人聞きの悪い。ちょっと……不思議なところがあるので、知りたいなあと」
「殿下の家庭教師は私の父でした。通常、家庭教師といえば一人に対して一人つくものですが、同い年の子と切磋琢磨するほうがよいという父の方針で殿下は私と同じ机上についていたのです。陛下はその点を考慮して私を殿下の側近としたのでしょう」
訊いてもないことを説明してくれるのは親切なのか、はたまた必要以上に話しかけるなという意味なのか。再び本に視線を戻した柊青は「他に、訊きたいことは?」と喋りながら頁を捲る。玲明と喋りながら読み進めるとは、朝廷屈指の才人というのは本当らしい。
「……殿下はなぜ私を妃にしたのですか?」
「それは私も存じ上げません。ただし、あの日殿下があの酒場に出かけており、大男に酒杯をぶちまける貴女を見ていたのは事実です」
「殿下があのような酒場に出入りすることはよくあることなのですか?」
「酒場に限らずよくあります。ご心配せずとも、殿下は女性は買いませんよ」
「そんな心配はしておりません」
慣れているのはムカつくけれど、あの殿下がどこの誰と何をしようがどうでもいい。ケッと吐き捨てると「そう嫉妬を前面に出すものではございませんよ」と冷ややかに注意されてしまった。
思わず「嫉妬じゃありません!」と反論してしまいそうになったけれど、すぐにその真意に気付いてぐっと押し黙る。きっとそれは“誰が聞いているか分からないのだから仲睦まじい夫婦を演じてはどうか”という忠告の裏返しだ。もしかすると、柊青は玲明を試すために書架にやってきたのかもしれない。
ふむ、と玲明は顎に手を当てる。確かに書庫に人はいないとはいえ、壁に耳あり障子に目あり。色々と訊きたいことはあるが、相手は才人と名高い柊青だし、こんなところで玲明が契約妃であることを匂わせるようなことは言わないだろう。さきほどの、颯秀が玲明を初めて見たのがどこか、それが精一杯口にできることに違いない。
「……今日は、殿下はどちらに?」
「さあ。殿下は私にさえ行き先を告げませんからね。むしろ告げてほしいものですが」
「護衛とか要らないんですか?」
「宮殿内に不審人物が出入りしているとすれば護衛をつけるべきは殿下ではなく陛下ですし、そうでなくとも王子の顔を知っているのは重鎮くらいです。意外と宮殿内での護衛は要らないものですよ」
「なるほど確かに……」
どうりで悠々と遊び歩き、時間を問わず私の部屋にやってくるわけだ。玲明は納得して頷く。ろくな祝福もないのに大丈夫なのかと思っていたけれど。
「でも殿下って結構好き勝手に外出もされてますよね?」
「あれも似たような話です。第四王子が夜な夜な一人で遊び歩いているなど誰も想像しておりませんから」
「そういえばそうでしたね」
衛兵には商家のボンボンと思われているなんて話があった。柊青にも辟易した様子はないし、きっと本当に何の心配もないのだろう。