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日陰者は強者の光にあぶられるか? 5

 帰り際、おれはバッティングセンターに寄ることにした。


 特に意味はない。


 だが体を時たま動かしてないと、なんというかこう、体がソワソワしてきてしまう。


 わかるだろ? わかんねぇか。


 名前は『組沢バッティングセンター』


「…………ん?」


 春の温もりは夜まで続いていた。


 バッティングセンターを利用しているのは、一人だけいた。


 おれはその人物の近くまで寄っていく。


 百三十キロのストレートを二十五球打ち返してひぃひぃ言ってカゴから出てきたのは、何と戸塚先生だった。


「やぁキミか。こんなところであうなんて奇遇だな」

「奇遇でもない気がしますけどね。僕とあなたはよくここであいます」

「なぜそんなに片言で喋る?」

「缶コーヒーでも奢って下さいよ」

「お。キミは担任の教師の扱いがわかってるじゃないか」

「へへ。まだ途中ですが任務を引き受けた側なんでね。ちょっとくらい見返りがあってもいいでしょう」

「そうだな。ちょっと待ってろ」


 戸塚先生は美しい茶髪を揺らしながら自販機の方へ向かう。おれも近くのベンチに座った。


 しかし星が瞬く夜だ。組沢地区でこんなにきれいな夜空が見られるのはそうそうない。


「順調かね?」


 ほっぺたに温かいコーヒーが当てられた。


「おれはアイスがよかったんだけどなぁ」

「はっ。これだから子どもは。コーヒーは温かいうちに飲めってな。ちなみに私も温かいうちにもらって欲しい」

「切実ですね。泣いちゃいます。うえーん」


 おれはへたくそな泣き真似をした。


 戸塚先生はコーヒーのせいなのか、それともおれのせいなのかわからないが、苦い顔を浮かべた。


「先生本気でこの間傷ついたんだ。聞いてくれるか?」

「マッチングアプリの話はいいですよ。自己責任でお願いします。大人なんだからさ……」

「医者だって言ってたのに学生だった……」

「あんたそんなんに騙されんなよなちくしょう!」


 おれはそんなクズに引っかかってしまう女性がこの世に存在していたことに驚きを隠せなかった。


 ふつう騙されませんよ。


 戸塚先生はポケットからタバコのケースを取り出すと、一本口にくわえて火をつけた。


 びゅう、と吹き込んできた風に煽られて、タバコの煙がふわりと香った。


 タバコの香り。


 およそ青春生活においてなかなか嗅がない香りだろう。


 だがおれは、この香りが好きだ。


 戸塚先生と二人で語らうこの時間は、きっと永遠に、忘れられないものになる。


 青春濃度のとびっきり濃い時間だ。


「三浦の件はうまくいきそうかね」

「まぁまぁですよ。期待しない程度にお願いします」

「そうかそうか。まぁ気長に待っているよ」

「明日には学校に来られそうです」


 おれが言うと、『ぶっ!』と戸塚先生はタバコを吹き出した。


 汚いですよ……。


 もうなにやってんすか。


「なんだと!? まだ頼んでから数日しか経っていないじゃないか」

「ははっ、戸塚先生が思ってるよりも、僕と涼花は優秀なのかも知れませんね」


 俺は誇らしげに笑った。


 教師ができないことをできるって言うのは、誇らしいモノだ。


 おれは満足げに鼻を鳴らす。


 先生の前ではちょっとばかし子どもでいたいじゃないか。


「まったくキミは。大した奴だ」


 落ちたタバコを再びくわえた先生。


 だから汚いって……。だから結婚できないんだよ……


 ばっこん

 ぎりぎり、びゅっ

 ばかーん


 バッティングセンター特有の音が響き渡る。


 近所迷惑にならないんだろうか、とも想うが、近隣の方々は理解した上でこの土地を買うのだ。


 おれはこのバッティングセンターに昔から通っている。


 初めて来たのは小学校一年生の時だった。


 親父に連れられてここに来た。


 そのときは野球なんて、まったく知らなかった。ルールも、やり方も。


 そこから大きくなって、中学では全国大会で優勝した。


 神塚中学校野球部のエースで主将。それがおれだ。


 顧問は若干体罰やらかしてたが、部員同士で隠匿した。


 なんかその辺の事情がリアルすぎてやだって?


 けどおれはそう言う先生も嫌いじゃない。


 わからない奴は殴って聞かせる。


 今でこそ問題になるが、おれはそういう教育もアリだと思っている。理不尽でさえなければな。


 バッティングセンターのケージの裏には、歴代ホームランランキングが載っている。


 去年とおととしの一位がおれだ。去年は四十七本、おととしは五十三本。


 なかなかの数字である。褒めてくれたまえ。


 なんてな。バッティングセンターのホームランなど所詮はセンターライナーである。


 おれは美琴を学校に行かせるためにどんなことをしたのか語った。家での説得から、髪型を変え、服装も変え、次いでコミュニケーション能力講座をカラオケで開催したこと。


 戸塚先生はカラカラと笑いながら話を聞いていた。


「愉快な方法を思いつくなキミは」

「そうですかね。けどあのときの美琴の顔はマジですごかったですよ。面白すぎて涙出るかもと思いました」

「キミはなかなかの女たらしになれる……。泣いてる女の子を前にして、よし作戦通りだと思うのだからな。教師ながらキミにはデーモンの称号を与えよう」

「あっはっは。光栄ですね戸塚郷。はっ、我は今日からデーモンなりし!」

「なんだそれは! 面白すぎる! しかも日本語の使い方が若干間違っているではないか」


 戸塚先生は国語の先生である。現代文と古典両方いける。


 この人教師としては優秀なんだけどなぁ……


 おあいにく様もらい手がいない。


 って言うかマッチングアプリなんて、たいていの男はヤリモクなのに、どうしてこの人はアプリを続けるんだろうか。


 先生に聞いたら、アプリだとみんな私を求めてくれるから、だそうだ。


 泣きたくなる理由だった。


 おれはふと前を見て、缶コーヒーを傍らにコトリと置いた。


 神妙な面持ちで呟く。


「間違ってると思いますか?」

「なにがだね?」

「僕らがやってることがですよ」

「さぁ……。不登校児を説得して、外見と内面をプロデュース。なるほどいかにも学生らしいやり方だ。我々のような大人は、それくらいの変革を実は生徒に求めているモノだ」


 戸塚先生はタバコの副流煙をぶわっと吐きだして、言った。


「だがそれが吉と出るか凶と出るかは、明日になってみないとわからんな」

「明日が今日(凶)になる、みたいなギャグは止めて下さいね」

「そんなギャグは言わんさ。私は占いは信じない派でね。毎年おみくじは恋愛運だけはすこぶるいいんだ」


 おれは噴き出してしまう。


「それは信用なりませんね。草が生えます」

「だろう。だからけっきょくは、なるようにしかならない。美琴がどういう対応を取るか、そして当日周りの生徒たちがどのような反応を取るか」

「見物ですか?」

「私もできる限りのサポートはする。当然だ」

「当然ですよ……。むしろあなたたちがどうにかすべき問題ですからね」


 再び空気が死んだ。おれと戸塚先生の間には、いつも奇妙な沈黙が満ちる。


 だがこの沈黙もまた、信頼の証と言えた。


「先生はこの学校が本当に平等だと思いますか?」

「なんかかっこいいことを聞いてきたな。そうだな、もちろん思わない」

「どうして?」

「生徒には優劣がある。それは教師も認める。カーストだったり、学業の成績だったりする」


 この世に生きている以上絶対はない。絶えず人間関係というのは流動している。


 友達同士でも、いつ他人に戻るかわからない。


 そうやってあやふやなまま終わっていく青春もあるだろう。


 だから、それがわかってるからこそ、おれたちは堅固な関係性を求める。


「カーストって言うのはわかりやすい。我々教師から見てると特にな。

 そりゃもう、休み時間の教室に如実に表れてる。

 ちなみに寝てるもんが最下位」


「言っちゃうんですね」


「当然だ。もちろん本当に寝不足の奴もいるだろうがな。たいていは友達がいないから寝ている。教師が気づかないとでも思うか?

 ちなみに一番はお前らみたいな奴だ。そこは自信持っていい。

 そういう輩は、教師も頼りにする。

 クラスの全体の雰囲気を担ってるのもお前らだ。だからできれば、お前らにはよけいないことはしてもらいたくない」


「してませんよ」

「そうだな。今のところは、かな」

「なんでちょっと半笑いで言うんですか」


 おれはため息をつく。学校の屋上でこっそりタバコ吸ってるダメ教師に言えることがあるのだろうか。いやない。


「クラスの雰囲気って言うのはな、そのトップによって決まるんだ。

 陰陽入り交じって喋りかける奴がトップにいたら、陰陽関係ないクラスになるだろう。みんな仲良し、って感じだな。

 お前らみたいにピラミッドを保ちながら、各々ができることを精一杯やりましょう、的なクラスもある。私のクラスだな。ホワイト企業型のクラス、ってところか。

 逆に一番上がマウントを取りまくるタイプがある。言い方は悪いが、Fランク高校型、とでも言おうか。こういうクラスは陰陽はっきり分かれる。三浦美琴が前にいたクラスがこんな感じだな」


 すごい。分析している。

 あの戸塚先生がだ。


 だが言いたいことはものすごくわかる。クラスによって特色が変わる。個人個人は普通の高校生活と思っているものが、実は人それぞれであることに気がついてない。


 まるでマジックのようだ。


 自分がいる場所を当たり前だと思い込む。そこで与えられた立場を、自分は一生覆すことができないと勘違いしてしまう。


 それが学校。


 こんな理不尽な空間があることを、しかし学校は教えてくれない。当然だ。学校そのものが魔法に掛かっていることに、誰も気づいてないからだ。


「いじめはなくなりそうかね」

「それもわかりませんよ。まだなんとも」

「そうか。私たちとしても頭を悩ませている問題でね」

「それは何度も聞きましたよ」


 おれは戸塚先生と、それからたわいのない会話をした。


 最後に先生はタバコの火を消して、おれに振り返らずに言った。


「まぁ頼りにしている。終わったら報告してくれたまえ」


 この無責任教師………………。

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